第5話 暗躍
(影を相手に孤軍奮闘する少年の前に、アースラから力強い援軍が駆けつけた)
その少年は自分を取り囲む影を見て、ようやく不利な立場にあることに気付いた。
ぎりぎりまでその事に気付かなかったのは、おそらく彼の生来の傲慢さゆえだろう。
自身の強さに病的なまでの自尊心を持っていた彼は、まさかこんな展開になるとは予想もしていなかった。
「面倒なことになったな・・・・・・」
背後から迫る鋭いツメを躱しながら、少年はまるで他人事のように呟いた。
ざっと見ても20体ちかい影が彼を取り巻いている。
しかも人、獣などの形態が混在しているために戦術を立てにくい。
「諦めろ。貴様に勝ち目はない」
「闇にひれ伏すのだ」
「闇が全てを覆う・・・・・・」
少年をあざ笑うように影がその包囲網を狭めていく。
「誰が――!」
少年が右手を突き出し、掌からプラーナを放った。
見えない力は中空を走り、最も近くにいたライオンの姿をした影を吹き飛ばした。
「その力ももはや我々の一部・・・・・・」
不気味な声と不吉な言葉に、少年は戦慄した。
慌てて振り向いた彼の眼前を、長剣がかすめた。
「お前は・・・・・・?」
何となく見覚えのある影の姿に、少年は後ずさる。
この輪郭。手にした長剣と盾。
間違いない。
これは遺跡の中で実体化したあの土塊の戦士だ。
「・・・・・・ッ!」
少年は何か言いかけたが、直後に押し寄せる痛みに顔をしかめた。
肩から左腕にかけてが深く抉(えぐ)られている。
避けたと思っていた一撃をまともに受けていたことに、彼は軽いめまいを覚えた。
だがそうして相手に隙を見せたのは一瞬のことだった。
片方の腕が――あるいは指一本――動けばプラーナは使える。
五指からアメジスト色の閃電が伸びた。
だがその閃電は術者の期待を裏切るかたちで消滅する。
影の戦士が大きな盾をかかげ、プラーナの波をせき止めている。
なおも力を込めようとした少年は、周りの影が迫って来るのを感じ取り、バックジャンプで窮地を逃れた。
そして着地と同時に息があがっていることに気付く。
――これが僕の限界なのか?
彼は思った。
見切っていた――と思い込んでいた――ハズの剣撃を躱すことができなかった彼は、その理由を考えた。
答えはすぐに出た。
この体に馴染んでいないのだ。
視力も、腕力も、脚力も、あらゆる部分が彼の体になっていない。
プラーナ・ライトニングが通用しなくなったことについても彼は考えてみた。
簡単だ。
これは彼の体ではない。
力の使い方は覚えているが、この体は彼の意思どおりには動いてくれない。
それにもっと重大な理由がある。
プラーナはその昔、ムドラの民が魔導師を憎む過程で生み出した力だ。
力の源は魔導師への憎悪であり、憎悪が強くなればなるほど威力が増す。
が、今の彼は魔導師を憎んではいない。
純粋に平和を愛する少年になっている。
実を言うとプラーナは魔導師に対する憎悪がなくとも、多少なら放つことはできる。
しかしその場合は自身を守る程度の特殊な能力でしかなく、敵を殲滅するほどの威力も切れ味もともなわない。
彼は弱くなった。
それと同時に、逆に影のほうが強くもなった。
「マズイな・・・・・・」
少年の口からはじめて諦めに近い言葉が出た。
影の戦士はその呟きを聞き、姿勢を低くしてあざ笑った。
「そうだ、貴様は死ぬ。そして闇の一部となる」
そう言い、長剣を振り上げる。
今だ――。
少年はパッと顔を上げ、渾身の力を込めて閃電を放った。
不規則に蛇行する稲妻が、剣を振りかぶったために隙のできた影の戦士を焼夷した。
少年は呟く。
「さすがは”僕”だ。気を抜くタイミングまで同じか」
翻って背後の影にもプラーナを叩きつける。
だが多勢に無勢。
はじめこそ善戦していたものの、少年は徐々に追い詰められていく。
左腕の傷が痛み出した。
「くそッ!」
少年はガラにもなく汚い言葉を吐いた。
言うことを聞かない体のくせに、痛みだけはしっかりと伝えてくれる。
「オオオンンンッ!」
彼の背後でライオンが吼えた。
「――ッ!?」
迂闊だった。
さっき倒したと思っていたライオンが大きく跳躍した。
視認できないほどの速さで迫る影に、少年はなす術もなくその巨大な牙に――。
「伏せろッ!」
少年は咄嗟に言われたとおりにした。
直後、彼の頭上を青色の光がかすめ、ライオンを木っ端微塵に打ち砕いた。
砂ぼこりにまみれながら、少年はゆっくりと目を開けた。
時空管理局の執務官がいる。
S2Uを携えて、彼は油断のない視線を影たちに投げている。
突然の乱入者に、影たちの注意は少年からそれていた。
「・・・・・・・・・」
その顔をハッキリと見ないうちに、少年の体は何者かにさらわれた。
「大丈夫かい?」
耳元でささやかれる。
彼はオオカミの耳を生やした女性に担がれ、上空を滑っていることに気付いた。
「ケガしてるじゃないか」
「ああ、これは・・・・・・」
少年は最後まで言わずに息をとめた。
女性が思いの外しっかりと自分の体を抱きとめているために息を継ぐ必要があった。
「――大した傷じゃない」
と素っ気なく言い捨てた。
それより、と彼は少し息苦しそうに言った。
「逃げた方がいい。助けてくれたことには感謝するけど、あなたたちに勝てる相手じゃない」
少年の言葉に女性はムッとして返した。
「分かってないね。私たちを誰だと思ってるんだい?」
彼女はこのまま、この少年を落としてやろうかと思った。
プライドがそう思わせたのだが、よく考えれば少年は自分たちのことを知らない。
”逃げた方がいい”というのは単純に彼の気遣いなのだろう。
女性は影の群れから離れたところで少年を下ろすと、踵を返して執務官の援護に向かおうとした。
「危険だ! 彼を連れて逃げろッ!」
少年は女性の腕を掴もうとしたが、左肩の痛みに立ち止まってしまう。
「心配ないさ。あいつらの相手には慣れてるんだ」
女性は振り向き、彼にウインクすると再び空高く飛び上がった。
S2Uを手にしたクロノは、襲い来る影の戦士を次々と葬った。
『”Stinger Snipe”』
彼の強さはこの射撃系魔法に表れている。
一度の射撃に術者の魔力を込めた光弾は、螺旋を描いて彼に群がる影を貫通していく。
「さっすが、クロノ」
自らの拳でクモ型の影を叩き伏せたアルフが、腰に手をあててしきりに感心した。
「油断するな。まだ終わってないぞ」
クロノは鋭い視線を周囲に向けた。
彼の言うとおり、ここにはまだ多くの影がいる。
「いいや、すぐに終わるよ」
岩陰から黒い霧が噴き出し、中空で円を描いた。
次第に霧の濃度が増し、それらはひとかたまりになって形を持ち始める。
アルフは周囲を、クロノはその黒い霧を注視した。
「大胆だねぇ、アンタたちは。わざわざアタシたちの中に飛び込むかい?」
霧が不気味な音を立てながら、真紅のローブをまとった子どもの姿になった。
見たところあどけない少女のようだが、その瞳には生あるものの光が感じられない。
「何者だ?」
これまでに何度、クロノはこの質問を繰り返してきただろう。
「ソルシア。あ、覚えなくていいよ。アンタたち、すぐに消えるんだから」
そしてこの質問に律儀に答えるあたり、影には余裕がある。
ソルシアは厭らしく笑った。
「お前たちの目的は何だ?」
「ヒューゴに聞かなかった? アタシたちは全てを闇で覆う。ただそれだけだよ」
「答えになってない!」
クロノは威嚇するようにS2Uをソルシアに向けた。
「もう一度訊く。お前たちの目的は?」
「アンタ、頭悪いね」
「な――?」
ソルシアは生真面目なクロノの性格を掌握しているかのように、おどけて見せた。
「闇が全てを覆うんだ。アタシたちが世界を支配するんだ!」
ソルシアが両手を掲げた。
中空に24個の小さな円形の魔法陣が出現する。
反射的にクロノはバリアを展開した。
これまでの戦いからソルシアがどんな攻撃をしかけてくるかは大体予想ができた。
円形魔法陣からおびただしい数の赤い光弾が放たれた。
(速い!?)
ビュンという風を斬る音とともに、無数の光弾がクロノのバリアを突き破ろうとする。
一発一発の威力が恐ろしいほどに大きい。
しかも驚異的なスピードで迫ってくるため、クロノは防御に徹するしかない。
このままでは最大出力でバリアを張っても、1分と持たないかもしれない。
その様子を見て取ったアルフはクロノの援護に回ろうとするが、周囲の影がそれを許さなかった。
彼女に覆いかぶさるように影が次々と攻めて来る。
「次はアンタの番だよ」
孤軍奮闘するアルフを横目に、ソルシアはまず目の前の敵を始末しようとした。
ソルシアが右手を軽く振ると、中空にさらに8個の円形魔法陣が現れた。
「クロノッ!」
この位置ではアルフがどんなに速く駆けても間に合わない。
ソルシアが笑った。
「ディバイン――」
クロノは不意に戦場外に巨大な魔力を感じた。
「バスターー!!」
直後、はるか彼方から桜色の砲撃がソルシアめがけて飛んだ。
ソルシアはそれを呆然と眺めているだけだった。
32個の魔法陣がクロノへの射撃を止め、ディバインバスターからソルシアを護るように移動した。
桜色の砲撃がソルシアを撃ち抜こうと迫る。
が、前衛を固めている魔法陣がそれを完全に遮断した。
その隙にクロノは上空に舞い上がり、アルフもまた影の猛攻から逃れるために大きく跳躍した。
「大丈夫、クロノ君?」
なのはが心配そうにクロノの顔を覗きこんだ。
「ああ、助かったよ。裁判は――」
「終わったよ。なのはは無罪だ」
ユーノが緊張しつつも笑顔で言った。
「そうか・・・・・・良かった・・・・・・」
慶ぶべき報告だが、今はそれを祝っている場合ではない。
「また現れたんだね・・・・・・」
愛杖バルディッシュを携え、フェイトが呟いた。
「ああ、とにかく話は後だ。まずはあれを何とかしないと」
クロノは足元に蠢く影を見下ろして言った。
「あらら、もう少しだったのに・・・・・・」
体勢を立て直したクロノを見上げ、ソルシアは舌打ちした。
「ま、いっか。獲物が増えたんだし」
そう言って彼女は新手のいる方向に視線をやった。
3人いる。
それもかなり強い力を持った魔導師だ。
「こうでなくちゃね」
ソルシアは肩をゆすって新手の魔導師たちを睥睨した。
それを遠目で見ていた少年は、今すぐこの場から退散すべきかを考えた。
たしかに数の上では有利とは言えないまでも、ようやく影の大群と渡り合えるまでにはなった。
だが彼女たちは、1人を除いて影の脅威を分かっていない。
アルフの拳が影の戦士を打ち砕き、その度に彼女は勝ち誇ったような顔をしている。
後から現れた少年が緑色の鎖を連結させて影の動きを止め、その間に白い服の魔導師が高威力の砲撃で一掃していく。
その連携が思いの外うまくいき、2人は阿吽の呼吸で頷きあっている。
(違うんだ)
彼はそう叫びたいのをぐっとこらえた。
あれはそんなに甘くない。
影は数を頼りに攻めて来るだけの雑兵ではない。
1体1体が恐ろしいほどの力と、さらに恐ろしいほどの力を身につける可能性を持っている。
「僕が・・・・・・」
立ち上がろうとして左肩に激痛が走り、彼は苦悶の表情を浮かべてその場にひざまずいた。
「降伏するんだ」
クロノがにじり寄った。
「お前の仲間はもういないぞ。おとなしく投降するなら手荒な真似はしない」
影が戦っている間、ソルシアが手を拱いていたためにこの様だ。
気がつくと彼女はたった1人で、魔導師たちに取り囲まれていた。
「数が多いから勝ったつもりでいるってワケ?」
ソルシアはクロノを睨みつけた。
「実はこうなるのを待ってたんだよね」
「・・・・・・!?」
アルフが咄嗟に身構えた。
「こいつ・・・・・・まだ何かやる気だよ!」
「ユーノ」
クロノが耳打ちした。
「もしあいつが動いたら、まずバインドで両手を抑えてくれ」
「分かった」
ユーノはソルシアに感づかれないように魔法発動の準備に入った。
クロノたちがそんなやりとりをしている間、フェイトは交渉を試みていた。
「あなたたちに訊きたいことがある。まずは話を聞いてほしいんだ」
フェイトは冷静に、なのはがかつて自分に言ったことをそのまま伝えた。
「もうすぐ消えちゃう奴と話す必要なんてないよ」
ソルシアが前かがみになって笑った。
「アンタたちもすぐにアタシたちの一部に加えてあげる」
ソルシアが両手を掲げた。
(まずい!)
すぐに中空に力が集まり、先ほどの円形魔法陣が生成される。
ユーノの両手から緑色の鎖が伸びた。
だが彼のバインドはソルシアを捉えられなかった。
生成途中の魔法陣のいくつかが、バインドにぶつかってしまったからだ。
「しまったっ!」
ユーノはもう一度バインドを発動させようとするが、焦っていたためかうまくいかない。
「喰らえッ!」
その時、魔法陣が機能するより早く、アルフがソルシアに躍りかかった。
少女の外見をしているため多少の抵抗はあったが、今はそんなことに構ってはいられない。
拳を握りしめ、渾身の力を込めて叩きつける。
アルフの狙いは確かだった。
「芸がないねぇ。動きも直線的すぎるしさ」
ソルシアが掌をアルフに向けた。
「・・・・・・ッ!?」
アルフの体が硬直する。
拳はあと数センチのところで見えない力に阻まれた。
(この感覚・・・・・・プラーナ!?)
アルフが思い当たった時には、すでに彼女の体は後方に弾き飛ばされていた。
「こいつッ!」
クロノとなのはがほぼ同時に動いたがすでに遅かった。
中空に40個の魔法陣が煌めき、直ちに光弾が連続発射される。
ソルシアの狙いは真っ先に動いたクロノに向けられた。
この攻撃の威力は先ほど痛感させられた。
クロノは防御ではなく、今度は回避行動をとった。
幸いソルシアの攻撃には追尾能力は無く、無数の砲弾が一直線に飛ぶという単調なものだった。
一方、回避が間に合わなかったなのははバリアを張って防がざるを得なかった。
1秒間に数十発放たれる高速弾を前に、なのははバリアに全魔力を注いでいる。
「あっはははは、どうしたの? もっとアタシを楽しませてよ♪」
ソルシアは影とは思えないほどに嘲笑した。
この間にフェイトは素早くソルシアの背後に回りこみ、ユーノは再度バインドをかけようと構えた。
が、2人はこの影の少女の力量を見誤った。
ソルシアを取り囲むように新たに40個の魔法陣が出現した。
「うっ・・・・・・!」
死角をとったと思っていたフェイトは目の前に現れた発射口にたじろいでしまった。
しかし発射までにはまだ僅かに時間がある。
構わず攻撃をしかけるか、それとも一旦退くか。
瞬時に判断したフェイトは楕円を描いてソルシアから離れた。
直線的な軌道では追撃の恐れがある。
ユーノもまた、構えを解き回避に移る。
しかしこの判断は2人には良かったが、なのはやクロノにとっては仇となった。
新たなに生まれた40個の魔法陣が回避と防御を続ける2人に集中砲火を浴びせた。
クロノは回避に全力を傾けた。
ソルシアの攻撃は速すぎる。
わずかでも気を抜けばその集中砲火を浴び、昏倒だけでは済まないかもしれない。
赤い雨が下から上へと降り注ぎ、クロノの行く手を阻む。
「うわっ!」
そのうちの数発がクロノの体を激しく打った。
元より強力な光弾にさらに加速による力が加わっている。
クロノは空中で一瞬、気を失った。
「きゃあぁっ!!」
なのはのバリアが破られた。
赤い光弾が無防備ななのはの腹部を抉る。
「くっ・・・・・・あああッ!」
なんとか持ちこたえようとしたが、ソルシアの容赦のない攻撃になのはの体が背後の岩盤に叩きつけられた。
「なのはッ!」
慌ててユーノが駆け寄ろうとするが、ソルシアはそれを見逃さなかった。
今度は80個の魔法陣が一斉に彼を狙った。
この位置では後方のなのはまで巻き込まれてしまう。
ユーノは急いで彼女から離れた。
それを見越していたようにソルシアの赤い光弾がユーノを貫く。
これらはわずか数秒の出来事だ。
クロノが撃たれた事、なのはのバリアが破られた事、ユーノが光弾に撃ち抜かれた事は、
ソルシアにとってはほぼ同時に起きたように感じられた。
「あれ、もう終わり? つまんないな」
声をあげる間もなく倒れ伏したユーノを見て、ソルシアは言葉どおり退屈そうに呟いた。
そのわりには不敵な笑みを浮かべていた彼女だが、不意にその表情がこわばった。
「そっか・・・・・・まだアンタがいたっけ・・・・・・」
彼女の眼前には鋭い視線を向ける魔導師が立っている。
「あなたと話がしたい」
フェイトはそう訴えたが、ソルシアは冷ややかな視線を投げ、
「アンタにだけは油断するなって言われてるんだよね――」
小さな声で言った。
フェイトは危うくその眼光に意識を奪われそうになった。
冷たく、暗い。
彼女はその視線から逃れるのに精一杯で、ソルシアの言葉に奇妙な点があることに気付かなかった。
「戦うしかないんだね?」
フェイトが構えた。
「戦う? アンタなんかアタシの敵じゃないよ」
ソルシアは先ほどと矛盾したことを言ったが、どちらもウソではない。
彼女はフェイトの能力をよく知っている。
機動力を生かした接近戦に強いことも、バリア出力に劣ることも。
だからフェイトとは充分な距離――少なくとも一瞬で詰められない程度――を保っていれば脅威ではない。
仮にフェイトが先に動いたとしても、80個の魔法陣による斉射に対しては、避けることも防ぐこともできないハズだ。
ソルシアは少しだけ本気を出し、中空にただよっている魔法陣を自身の正面に引き寄せた。
「・・・・・・・・・」
フェイトの視界いっぱいに、自分を今まさに貫こうとする発射口がはだかっている。
「闇に・・・・・・なれ!」
全ての魔法陣が輝いた。
「バルディッシュッ!!」
だがなぜかフェイトは避けようとも、バリアを張って防ごうともしない。
「フェイト!?」
早く逃げろ、と頭上でクロノが叫んだ。
身震いするほどの強い魔力が魔法陣に集う。
フェイトはバルディッシュをゆっくりとソルシアに向けた。
ほぼ同時に無数の光弾が一斉にフェイトめがけて放たれた。
『”Bullet Stop”』
バルディッシュの声とともにフェイトを中心に半径20メートルほどの球状の結界が展開した。
結界と言っても、敵の魔法攻撃を防ぐものではない。
クロノやなのはのバリアすら撃ち抜いたソルシアの攻撃を、彼女は防ぎきれるとは思っていなかった。
ましてや今、彼女を狙う光弾はそれらの倍である。
ならば回避すべきか。
――その選択は誤りだ。
回避することはフェイトひとりを助けるものであり、いまだ立ち上がれないなのはやユーノに狙いをつけられた場合、
取り返しのつかない事態となる。
ソルシアの目標を自分だけに絞り、且つ倒す方法はこれしかない。
光弾のカーテンが結界を越えた時、ソルシアは目を見張った。
数瞬後にはフェイトを貫くハズだった高速弾が、結界を越えた途端そのスピードを急激に失った。
100分の1にまでスピードを落とされた光弾は、それを真正面から待ち構えるフェイトからすれば、
まるで止まっているかのように見える。
光のカーテンはただの光の集まりとなり、フェイトとソルシアの間に群がっている。
ソルシアは攻撃をやめた。
見合わせたからではなく、急速に力の減退を感じたからだ。
結界内にひしめいている光弾はフェイトの数メートル前で完全に停止した。
『”Reflect Bullet”』
再びバルディッシュが閃き、静止していた光弾がソルシアに向かった飛んだ。
「ウソ・・・・・・?」
クロノたちを脅かした光の雨が、今度は自分めがけて迫ってくる。
ソルシアにはこれをどうにかする事はできそうになかった。
先ほどの攻撃で力を使いすぎてしまったらしい。
そもそもこの戦場が彼女にとっては不利だった。
それに気付いた時、無数の光の弾がソルシアの眼前に迫っていた。
「帰ろっと。・・・・・・じゃあね!」
ソルシアはそう言うと、潮が引くように音もなく地面に溶けた。
標的を見失った光弾はあさっての方角に消えた。
敵勢力が去ったらしいのを悟り、
「・・・・・・なのは、大丈夫?」
腹部の鈍痛を抑えながらユーノが駆け寄った。
「うん・・・・・・」
なのはは笑って答えたが、彼女が負ったダメージも決して軽くはないようだ。
上空から周囲を監視していたクロノがゆっくりと降下する。
「どうやら危険は去ったようだ」
ひとまず、と彼は付け足した。
「でも安心はできない。彼を連れて早くここを離れよう」
クロノの意見に一同は賛成した。
「アルフ?」
足音に振り向くと、肩で息をしているアルフがこちらに向かってきていた。
「あのソルシアって奴、ハンパじゃないよ・・・・・・」
アルフはここにいる誰にも背を見せないようにして立っている。
鈍い者なら気付かないが、フェイトは直感でアルフの傷を感じ取った。
見た目にはケガをしていないようだが、その背にはいくつもの擦過傷が残っている。
おおかた岩石の尖塔に背中を打ちつけたのだろう。
「プラーナだった」
アルフは言う。
ソルシアの目に見えない力をまともに受け、彼女は短い生涯の中から同じ経験を探り出した。
すぐにプラーナとしか考えられないと気付く。
かつてシェイドと戦った時に2度ほどこの攻撃を受けている。
が、威力はその時とは比較にならないほど強大だった。
彼女は口にしなかったが、ソルシアのプラーナはシェイドのそれを遥かに凌ぐ。
動物的な勘が彼女に危機を告げている。
――気をつけろ。奴らはすぐそこまで迫っている。
クロノたちは周囲を窺いながら、慎重に少年の元に歩を進めた。
影は不意打ちが得意だ。
戦いを乗り切り、慢心したところを襲ってくる可能性は高い。
だがそんな警戒心は彼らが少年の元にたどり着いた時には、すでに過去のものになっていた。
「おい、しっかりしろ」
クロノが少年の肩を軽くゆすった。
少年は岩壁の一部分を背に足を投げ出して座っている。
彼の肩から今も流れる鮮血を見れば、座っているというよりも凭れていると言ったほうが適切かもしれない。
「ひどい傷だ・・・・・・」
ユーノが少年の肩にそっと触れ、治癒の魔法を展開する。
治癒の魔法はあくまで生物が本来持つ自然治癒能力を促進させるものでしかなく、失った血液を取り戻すことはできない。
こういう現場を数多く見てきたユーノは、少年に輸血の必要がないことを見取った。
「あいつらは・・・・・・どうなったんだ?」
少年はユーノの手当てを受けながら唇を動かした。
「もう大丈夫だ。僕たちが倒した」
淡々と述べるクロノに、フェイトはそれは違う、と指摘しかけてやめた。
「そうか、君たちが・・・・・・」
応急処置によって痛みから解放された少年はゆっくりと立ち上がった。
「なぜ襲われていたのか、なぜきみがここにいたのか。とりあえず僕たちの艦で話を聞かせてくれないか」
クロノは協力を申し出るかたちで切り出したが、少年はかぶりを振った。
「艦ならちゃんとした傷の手当てもできるんだ。ここにいるよりマシだろ?」
今度はアルフが少し強めの口調で言った。
アルフはこの少年に対して良い印象を持っていない。
言葉の端々に冷たさがあるし、彼はさっき自分たちを侮った。
「・・・・・・・・・」
少年は決断しかねているようだ。
(どうしてそこまで拒むんだろう)
なのはは素朴な疑問を抱いた。
(断る必要なんてないのに)
少年は透き通った瞳をアルフに向け、それからクロノに向き直った。
「きみたちは管理局だろう? 僕は管理局はあまり――」
好きじゃないんだ、と彼は結んだ。
「な――?」
クロノもアルフも呆気にとられた。
バカバカしい。同行を拒否する理由になってない。
こんな子供っぽい理屈が通ると思っているのだろうか?
「・・・・・・・・・」
彼はそれきり黙り込んでしまった。
助けてくれたことには感謝するが、早く僕の前から去ってくれ、と言いたげな様子だ。
「あんた、見たところムドラの民だね?」
「・・・・・・っ!」
突然のアルフの指摘に、少年は目を泳がせた。
「さっきあんたが使ってた技、あれってプラーナだろ?」
やはり見られていたか。
少年は諦めの意味を込めてため息をついた。
それが知られている以上、彼らは執拗に艦まで同行することを迫るだろう。
「あなたの保護のためにも、私たちと一緒に来て欲しいんだ」
フェイトが言った。
少年はもう一度小さくため息をついた。
「分かったよ、フェイトさん。そこまで・・・・・・そこまで言うなら君たちの艦に行こうじゃないか」
少年は拗ねたような顔をして、
「でも、いろいろと質問攻めに遭うのはゴメンだよ」
とクロノに釘を刺した。
その言葉の意味を測りかねクロノが顔をしかめた時、上空にアースラの姿が浮かび上がった。