第11話 発症

(リンディ救出に成功したフェイトたち。だが辛辣な現実はいつも容赦なく襲いかかる)

 久しぶりに顔を揃えた彼女たちは皆、再会を喜ぶでもなく神妙な面持ちのまま誰かが言葉を発するのを待った。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
誰も何も言わない。
無理に笑い話を出せなくも無いが、雰囲気がそれを許してくれそうにない。
数分。
沈黙に耐えかねたリンディは、
「それは・・・・・・本当なの?」
詰め寄るようにフェイトに訊ねた。
「あ、ごめんなさい。あなたたちを疑ってるわけじゃないの。ただ――あまりに信じがたい話だから」
リンディは慌てて付け足す。
だが内心、彼女はウソであって欲しいと願ってはいた。
これまで強硬な策で反対派を削ってきたのがデューオ閣下である、という事実も彼女にとっては大きかった。
しかし少女から齎された報せはその衝撃を遥かに超越するものである。
「はい、間違いありません。デューオさんは――」
フェイトはやや躊躇いがちに、自分に注がれる多数の視線を順番に見回してから、
「――ムドラです」
通る声でそう言った。
リンディが全身の力が抜け切ったようにソファの背もたれに身を埋めた。
「なんてこと・・・・・・」
リンディは負けたような気がした。
この静かな戦争は、どれだけ自分に衝撃を与えるのだろうか。
隠された――想像もつかない――事実を立て続けに見せつけられ、彼女はいよいよ心が折れそうになる。
「僕もなのはもいました。彼はムドラです」
クロノが言葉を重ねた。
なのはが小さく頷く。
「なぜムドラの民が・・・・・・」
「和睦を邪魔するためでしょ? だからあんな強引な手段で――」
分かりきった事を、という顔でクージョが答えた。
「いいえ・・・・・・そうじゃなくて・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・?」
「彼は――ムドラはいつからいたと言うの? いつから管理局にいたと言うの?」
「少なくとも30年はいるわね。あの老獪は」
クージョが拗ねるように言った。
彼女はデューオがムドラの民だったという事実に別段の驚きはないようである。
「私たちはシェイド君の一件で初めてムドラの存在を知ったわ。もっといえば私たちの歴史を」
「そう、ね」
「でもそのずっと前からムドラの民は驚くほど近くにいた、ということなの?」
「そうね」
クージョは素っ気無い。
「研究所にいた時、一度だけあいつの顔を見たわ。気の良さそうな老人だったわね。
あんな何に対しても甘そうな人間が局をまとめられるのかと思ったけど・・・・・・たいしたものよ。
誰ひとり正体に気付かなかったんだから。あれは相当な策士ね」
彼女は吐き捨てるように言った。
「キューブの研究開発を命じたのも、案外あいつだったのかも知れないわ。
そう・・・・・・そうね。この日が来るのをずっと待ってたとか」
「今にして思えばそれもあり得るわ」
珍しくリンディが同意した。

 

 シグナムらの応援によって虎口を逃れたリンディたちは危険が去った事を知ると、間を置いてクージョの部屋に移動した。
重厚なセキュリティが施されているおかげで、反対派もここでなら多少は気を抜くことができる。
ダミーセンサーもいくつかあるが、実際機能している物の数でいえばリンディの部屋のそれより多い。
「まるで要人並みの警備システムね」
とリンディが皮肉混じりに呟くと、
「私くらいになると狙われる率も高くなるのよ」
クージョが予想していたようにさらりと返した。
互いに情報を交換し合うという意味で集ったメンバーの中に、ヴォルケンの姿はなかった。
彼女たちははやてが別地で苦戦を強いられているという報せを受け、ただちに現場に向かったのである。
「とにかく連中の狙いははっきりしたわね」
話が進まないことにイラついた様子のクージョが口火を切る。
「和平の妨害。それも首謀者はムドラ。これは決定的よ、魔導師との間を裂くには最も有効な手だわ」
フェイトは唇を噛んだ。
こうなることは分かっていたのだ。
クージョの言うとおり、ただの和平の妨害ではない。
それを引き起こした者がムドラの民である、というところに大きな意味がある。
デューオの逃亡を許してしまった彼女は、彼の正体を報告するかどうかで揺れた。
黙っていれば彼の真の姿はひとまず露見せずに済む。
ひいては現在進行形の和睦に水を差さずにやり過ごせるのだ。
が、それにはまず、なのはとクロノを説得しなければならない。
なのははフェイトに好意を抱いているから、いくらかの不満はあっても最後には彼女の考えを支持するだろう。
しかしクロノはそうはいかない。
彼は正義感が強すぎるし、それゆえに職責に忠実だ。
自他に関係なく任務には一切の私情を挟もうとはせず、融通が利かない。
「・・・・・・・・・・・・」
隠し通せない理由はそれだけではない。
彼女はこれまで、多くのことを隠してきた。
本来ならただちに報告しなければならない重要事を、彼女ひとりの考えで秘匿してきた。
組織の中にあってはこの行動は罪に等しい。
これまでリンディたちが庇ってくれたが、そのせいで白眼視されてきたのも事実だ。
これ以上、リンディや仲間に迷惑をかけるわけにはいかない。
葛藤の末に彼女は全てを報告することを決めた。
(シェイド・・・・・・ごめんね・・・・・・)
こうなった以上、フェイトがやるべき事はそう多くはない。
デューオを捕らえ、法案を否決に導く。
ただそれだけである。
「それにしてもあのキューブは何だったの?」
リンディは不意に金色の増援を思い出した。
「キューブはキューブよ」
クージョは目を閉じて得意そうに言った。
「連中に横取りされたのが癪だったからね。こっちはこっちで新しいのを作ってみたってわけ」
「作ってみた、って・・・・・・」
「クージョさんは局から離れた施設で密かに新型のキューブの研究をされていたのです」
ロドムが口を挟んだ。
「科学者を育ててるって前に言ったでしょ? そこの施設のオーナーが法案に反対しててね。
私に協力的な人だから、反対派をサポートするシステムを構築したいって言ったらすぐに力を貸してくれたわ。
きっと私が優秀な後進を何人も輩出した実績を買われたのでしょうね」
「サポートって・・・・・・それじゃあなた・・・・・・?」
自慢話は聞かなかったことにしてリンディが問うた。
「言ったハズよ。私もあなたも目指すところは同じだって。ただそこに至るまでの手段が違うけれどね」
クージョはにこりともしない。
「今だから言うけれど初代のキューブには欠点があったのよ」
「”無い”って言ってなかったかしら?」
「あの時はね。”今だから”って言ったでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・」
賛成派を説き伏せるハズのリンディは、クージョには口では敵わないようだ。
会話の相手としては相性が悪い。
「あれは元々、現地で活動する局員のサポートが目的だから、ごく基本的な性能しかなかったのよ」
「というと?」
「極端に言えば移動、攻撃、護衛の3つ。レーザー砲も応戦する程度の出力であまり実用的ではないわ」
「その割には苦戦を強いられましたが・・・・・・」
局員のひとりがおずおずと言った。
彼はどうやらきつい印象を与えるクージョに畏怖を感じているようだ。
「それは物量作戦の奏功でしょう。数が増えれば武装の威力もそれに比例していくハズだから」
「あれで実用的でないなら、改良でも施されたら厄介ね」
「幸い、初代には拡張性はないからそこは心配いらないわ。連中がいじろうとしても却って性能が落ちるだけだしね」
「それが弱点なの?」
「まあ、そうね。私が欠点だと思ってるのは電子戦に対する脆弱性よ」
「電子戦ですか?」
ロドムが問うた。
「たとえば妨害電波。キューブの索敵機能は一般的な準エリプシスマン方式の同調単波B型を採用してるわ。
この方式は構造が単純だから軽い妨害電波を浴びせられただけで、すぐに機能しなくなる。
それだけじゃない。基幹プログラムもブルーオルミック式を都度受信する方法で稼働しているから、
たとえば反対派がキューブに指示を出す際の周波数が分かれば、そこに割り込んで命令を書き換えることもできるのよ」
なのははフェイトに目配せした。
「・・・・・・・・・・・・」
フェイトは目を閉じて小さくかぶりを振る。
「――つまり直接叩かなくても、キューブを無力化する方法はいくらでもあるのよ」
なら最初からそう言えばいいのに、とリンディは思った。
「じゃああの時、賛成派のキューブを黙らせることもできたってこと?」
「可能よ。ただし向こうが命令に使っている電波の周波数の解読ができなければ止められない。
それにサンプルを採取するために最低1機のキューブの残骸が必要だから、あの場合は現実的ではないわね」
「そこで投入されたのがあのキューブ、というわけですね」
再びロドム。
ええ、とクージョは頷いた。
「向こうのキューブの動きが鈍くなったのは?」
「そこが新型、キューブUの機能よ」
彼女は口の端を僅かに上げた。
「ECMと言ってね、簡単に言えば有効範囲内にいる敵側の行動を妨害できるのよ」
先ほどから聞き慣れない単語が頻出し、エース魔導師たちは半分も理解できていない。
クロノは平然としているが、彼にしても数秒遅れてクージョの言葉の意味をようやくいくらか呑み込める程度だ。
「いろんな事ができるわよ。ロックオン機能を麻痺させたり、飛行能力に制限をかけたり」
嬉々として話すクージョは子供のような笑顔を見せた。
「ECMを搭載したキューブUならごく基本的な装備しか搭載していないキューブを黙らせるのは簡単。
時間がなかったからロックオン妨害機能のみを発動させたけど、将来的にはレーダー無力化なんてのもできるわ」
「たいしたものね・・・・・・」
リンディは彼女を心から尊敬した。
この優秀な頭脳が賛成派でなくてよかった、と彼女は安堵する。
「けじめよ、これは――」
クージョが遠い目をして言った。
「元々キューブを作ったのは私。それがこんな形で利用されるなんて思ってなかった・・・・・・それは事実よ」
だけど、と彼女は息を吐いた。
「予想できなかった、と逃げるつもりはないわ。私が手がけたものであなたたちを危険な目に遭わせたのなら、
私が手がけたものであなたたちを助けなければならない。それだけよ・・・・・・」
この才能を鼻にかけた傲慢な女性は、日頃の言動からは想像もつかないほど責任感が強いようだ。
「クージョ、あなた・・・・・・」
「賛成派の暴挙を許してはいけないわ。でも力には力で対抗しなければ私たちは勝てない。
リンディ・・・・・この後はどうするつもりなの?」
柄にもなく自分の非を認めた直後とあってか、やや顔を赤くしてクージョが問うた。
この質問はリンディにとって最も答えにくく、最も逃れにくい関門だ。
つまるところ、首謀者がムドラであることを世に知らしめるかどうか、である。
おそらくどちらの道を選んでも過酷であろう。
厳しい戦いであることには変わりはない。
その上で選択をしろ、とリンディに迫っているのである。
「・・・・・・・・・・・・」
いつの間にか全員が彼女に注目していた。
反対派の旗印は彼女である。
ここでの発言が公式になるわけではないが、今後の行動を占う上では極めて重要だ。
「・・・・・・」
誰もがリンディの次の一言を待つ。
しかしフェイトだけは物憂げな表情だった。
瞳には若干の怯えの色も見える。
その意味に気付いたリンディは、先を促されてもすぐに答えることができない。
大事を成すには小事を斬り捨てなければならない時もある。
公の行動の前には私情を差し挟んではならない局面もある。
いまフェイトの心情を慮り彼女を庇護することは難しくはない。
しかしそれをした結果、世界に及ぼす影響がどれほど大きいかを考えた時、リンディの口は自然と、
「公表するわ。今回の事件の首謀者――デューオ・マソナの正体を」
ひとつの旗幟を明らかにしていた。
クージョは細い目でリンディを見た。
(”首謀者”ではなくて、”首謀者の正体”を明らかにするのね・・・・・・)
微妙な表現の差異に気付いた彼女は満足げに頷く。
フェイトは周囲に聞こえないように大息した。
この少女は一縷の望みを抱きながらも、最終的にリンディがどのような決断をするのかを予想していた。
隠し事はここまで――。
言葉にこそしないものの、フェイトはそう考えている。
振り返ればリンディは何度も何度も彼女を支えてきた。
報告義務のある事実を隠蔽し、吐いてはならないウソを吐いてまでフェイトを護ってきた。
それらは管理局に属する者として赦されざる行為だ。
個人的感情を優先して規律に従わない者は、組織において身を危うくする。
自分の判断もリンディの判断も間違っていない、とフェイトは思った。
「提督・・・・・・よろしいのですか?」
ロドムが不安げに問うた。
優秀な部下は物事を大局的に観察しているが、すぐ傍にある小さな憂い――フェイトの心情――を察している。
「自分たちにとって都合の悪い事実を意図的に隠していては・・・・・・人々の支持は得られないわ」
アースラを預かる女性はやはり強い。
彼女は完全に私情を捨てた。
「ご英断です」
それに対し、ロドムは素直に賛辞を述べた。
「あなたらしいわね」
本意か世辞か、クージョはにこりともせずに言った。
「まずは今回の事件の黒幕を明らかにするわ。投票までまだ日はある・・・・・・デューオの非を打ち鳴らせば――。
きっと多くの人々が反対派に回ってくれるハズよ」
リンディの展望は一を知って、二を知らない。
彼女はあくまで法案を否決させることを念頭に置き、ムドラとの和平にまで気が回っていない。
「デューオはどうしますか? 行方が分かりませんが・・・・・・このまま放置するのは危険では?」
ロドムはそう言うが、相手がムドラと分かった以上は迂闊に動くのは危険だ。
キューブを掌中に収めて自由に操り、多くの浮動票を靡かせた実績がある。
それにこの老獪自身、フェイトたちを容易く退けるだけの力を持っている。
「それは・・・・・・」
ロドムの的確な問いにはリンディも素早い返答はできない。
彼女自身、この会話の中で秘かにデューオの追跡について考えていたのだ。
結論が出ないうちに部下から質問をされたのである。
その時、来客を告げるブザーが鳴った。
「誰かしら?」
訝しげにクージョは立ち上がってドアに近づいた。
「あなたたち、念のために部屋の奥に隠れてて」
背中越しにそう言い、壁面のモニターを眺めた。
「――いえ、その必要はないかもしれないわ」
「え・・・・・・?」
言われたとおり隠れようとしていたリンディたちは、数瞬で言を翻したクージョを見た。
彼女はロックを解き、既に客人を招き入れていた。
見覚えのある人物の登場にリンディは複雑な表情を浮かべた。
今の彼女にとって最も会いたい人物であり、最も会いたくない人物でもあった。
「ビオドール提督――」
ひどく窶れた様子の男は深々と頭を下げた。
「他には誰もいないわ」
セキュリティを通して周囲を確認したクージョは再びドアをロックした。
彼女は入り口に立ち、油断なくビオドールを睥睨している。
その様子から相当に警戒していることが窺い知れる。
「立場が逆転しましたね」
彼は言った。
「ええ、ここに居るのは皆、”反対派”ですよ?」
リンディが詰め寄った。
鋭い目つきのままクージョが椅子を勧めた。
ぎこちない所作で腰をおろす。
自分に注がれる冷ややかな視線に、ビオドールはすぐに退席したくなった。
が、ここに来た目的を何ひとつ果たしていないまま帰ることはできない。
この居辛さはリンディを永く欺いてきたことに対する報いだと言い聞かせ、
「局員のひとりがここを教えてくれました。私はまだあなたに信用されているのですか?」
彼は搾り出すように言った。
「まだ伝えていなかっただけです。あなたの正体を」
リンディは僅かに唇を噛んで言った。
突然、ロドムが立ち上がり彼の胸倉を掴んだ。
「あんた、今さら何をしに来た!?」
「・・・・・・・・・・・・!?」
「提督を狙って来たのか!? 力で捻じ伏せて無理やり可決に持ち込むつもりか!」
「や、やめて下さい! ロドムさん!」
フェイトとなのはが慌てて止めに入った。
ともすれば殴りかかりそうな彼の勢いに、リンディたちは圧倒されたようにその様を眺めていた。
クロノはそんな母親よりいくらか冷静な目で成り行きを見守っている。
優秀な執務官としてはここは穏便に済ませるために割って入るべきではあるが、
”リンディの息子”という立場を優先した彼には、母を裏切り窮地に追いやった男への軽すぎる制裁でもある。
「・・・・・・・・・・・・」
追及に対してビオドールは釈明しなかった。
手を払いのけることも、悪態をつくこともせず、彼は物憂げな目で苛烈に責め立てるロドムを見ている。
「ロドム、やめて」
リンディが短く言った。
彼の拳は震えていたが、何とか理性が暴力に走りかけるのを制した。
忌々しげに裏切り者を睨みながら、彼は椅子に座りなおす。
「相手は提督よ? こんなことをしたら・・・・・・」
「いえ、いえ・・・・・・いいんです、リンディ提督」
首元を擦りながらビオドールが制した。
「私がした事――してきた事――に比べればこの程度は・・・・・・」
軽すぎる、と彼は言った。
「分からないわねぇ? わざわざ訪ねてきた理由が」
クージョが細い目をして言った。
「あなたはもはや”賛成派”なんでしょ? そしてそれを隠す理由もなくなった・・・・・・ここに来た理由はなに?」
冷静に、そしてさりげなくビオドールを追い詰めるクージョのやり口に、ロドムは感心した。
たった今、つい感情的になってしまった自分を彼は愧じた。
しかしこの勝ち気な女性はロドムが思っている以上に強かで手強い。
彼女には既にビオドールに真実――隠してきたこと――を洗い浚い打ち明ける準備が出来ている事が分かっていた。
先ほどの問いは単なるお飾り。
真意はロドムの蛮行によって熱が篭もった場に冷水を浴びせ、速やかに彼の口から真実を吐露させるところにある。
「全てを話そうと思って来ただけです」
彼は言った。
(やっぱりね・・・・・・)
目論見どおりに事が運び、クージョは唇の端を僅かに上げた。
「誤解のないように言っておきます。私はあくまで法案に賛成です」
「でしょうね」
「――が、彼らのやり方には反対です。管理局がより力を持つ結果になっても、その方法や目的がぶれてしまえば・・・・・・。
リンディ提督の言われるように秩序を破壊するおそれがあります」
この男は鋼のような強い意志を持ちつつ、結果にいたる過程を熟慮する怜悧さを持っている。
(ここで彼を拘束しておけば賛成票が1票減るんじゃないかしら?)
時に非情さを覗かせるクージョは思ったが、口には出さなかった。
「それであなたは一体なにを・・・・・・?」
リンディが先を促した。
ビオドールはわざと間を置き、
「彼らの逃亡先を知っています」
ほとんど唇を動かさずに言った。





「賛成派を動かしているのは3人の男です」
クージョが淹れたお茶を一気に飲み干したビオドールは、きわめて穏やかな口調で話し始めた。
「そのうちの1人は明らかだと思いますが、デューオ・マソナ閣下――」
全員が頷く。
「残る2人はブロンテスとテミステー・・・・・・いずれも計算高く残忍かつ狡猾な男たちです」
彼が言うまでもなく、その性格については誰もが分かっていた。
直接は知らない2人だが、彼らが賛成派の中核であることとこれまでの野蛮な振る舞いの数々を照らし合わせれば、
どういう性格の持ち主かはすぐに分かる。
「その2人も年配なのかしら?」
会話はクージョが主導している。
「――かなりの」
ビオドールは少し考えてから言った。
実際、何度も顔を合わせている彼だが個人の情報に関しては何も得ていなかった。
彼の目にはブロンテスともテミステーも老獪として映っていたが、実年齢は定かではない。
「これ、ね」
いつの間に用意したのか、リンディがテーブル上のパソコンを指差した。
「ちょっと、勝手に使わないでよ」
珍しく額に汗を浮かべてクージョが抗議した。
モニターには管理局に属する全ての局員がリストアップされている。
その中でも上位の項目、いわゆる閣僚クラスの名簿にはビオドールが証言した賛成派の名前が挙がっていた。
ブロンテス・ペイトン、テミステー・アクロイド。
ともに狐のような細い目で、証明写真だというのに口の端に侮蔑したような笑みが感じ取れた。
略歴を見る限りでは順調に出世を重ねていったようである。
いずれも立派な肩書きの持ち主だ。
「彼らを捕らえれば賛成派は総崩れね。連中と同じ手を使うようで癪だけど」
顔も名前も分かっているのなら、探し出すのは難しくないとクージョは言った。
「あの・・・・・・」
なのはが口を挟んだ。
「デューオさんたちが別の世界に逃げたのなら、無理をして追いかける必要はないんじゃないでしょうか?」
その言葉に全員の視線が彼女に集まった。
「え、えっと、その賛成派を動かしてる人がいないんだから、その間に演説とかしたら有利なんじゃないかなって――」
凝視されたなのはは緊張からか額に汗を浮かべて意見を述べた。
子どもらしい率直な考えに、リンディたちは一考の余地を与えられた。
実は彼女の考え方には現実に反対派の為になる結果が齎される期待がある。
デューオはじめ3人の中核を投票日まで別世界に閉じ込めておけば、賛成派は大きな動きをとれなくなる。
もちろんその間にもリンディが中心となって法案の否決のために活動しておく。
そうすれば自然、反対派に靡く者が多くなり結果――廃案に導けるというものだ。
なのははそこまで述べてはいないが、何もなければ必然的にこのような結果を齎すことになる。
「きみの言うことは正しい」
ロドムが静かに言った。
「しかし忘れてはならないのは彼が――ムドラだということだ」
フェイトがぴくりと身体を震わせた。
「どういうことですか?」
問うたのはビオドールだ。
何も知らないのか、という顔をしたロドムは、
「デューオ閣下はプラーナを操るムドラだったのです」
素っ気無い口調で言った。
ビオドールは驚いたようにロドムを見、すぐにリンディに向き直った。
彼女は無言で頷く。
「デューオ閣下が・・・・・・? 信じられませんが・・・・・・ではやはり和平の妨害が目的では?」
賢しい彼はやや遅れて事実を知ったものの、すぐにリンディたちと同じ結論にたどり着いた。
「そうなるとこの2人はどうなるのかしら?」
リンディはそれには返事をせず、再びモニターを見やった。
顔を背けたくなるような老獪の顔がそこにある。
「和平を喜ばない者だとして、彼らがムドラである可能性は?」
クージョの問いにリンディはかぶりを振った。
「私は――」
フェイトがおずおずと声をあげた。
「私はそう・・・・・・だと思います」
「どうして?」
なのはが問う。
「――分からない。分からないけどそんな気がする・・・・・・」
このちょっとした発言は、リンディのような成人が口走れば嘲笑の的だ。
しかし何の根拠もなく首謀者は3人ともムドラかも知れないと言ったのはフェイトだ。
これまでの事件に深く関わり、恐らくここにいる誰よりも彼らのことを知っていると思われる彼女の言は、
たとえそれが客観的に納得しうる理由を根拠にしなくても十分すぎる重みがあった。
どんな些細な情報も見逃さない彼女たちは決してその意見を蔑ろにはしない。
「そうでなかったとしても、この2人もムドラだという前提で今後の動きを考えた方がよさそうね」
リンディは無難な答え方をした。
曖昧な回答に終始したのは、対応の難しさ故だ。
現状、分からない事柄が多すぎる。
事態は賛成派・反対派に分かれての法案の是非を巡る戦いではなくなっている。
「ところで彼らの逃亡先ですが・・・・・・」
誰も何も語らなくなったのを見計らってビオドールが言う。
「彼らはオルコットに身を潜めると言っていました。デューオもそこにいるハズです」
賛成派が齎した情報に、リンディは難しい顔をした。
オルコットは地上本部からはさほど離れてはいない。
追われる者の心理として、普通はできるだけ遠くに逃げたいと思うが、その心理を逆手に取った潜伏先である。
もはやこの報せの真偽について疑う者はいない。
ビオドールは今も賛成派だが、それを隠さずに明かし、黒幕の正体をも明らかにした。
これらが全て老獪デューオの策略――つまりブロンテスやテミステーは今回の事件に何ら関与しておらず、
オルコットに逃亡したという情報も偽りである可能性はある。
しかしその可能性を一度は考えたものの、リンディたちは彼の言を信じることにした。
疑ったところで賛成派を追い詰める方法は他にない。
この情報を元に行動し、偽りであればその時に詰れば済む話である。
「ところで首謀者3人ともが逃亡中なら、私たちに好都合じゃない?」
そう言うクージョは他の者同様、一応はビオドールの情報を信じているようである。
「連中はそこに潜伏している限り何もできない。票を集めるなら今のうちよ」
「そうね・・・・・・でも・・・・・・」
その場しのぎでしかない、とリンディは言った。
賛成派の行動は票云々の前に明らかな違法行為である。
その点に関しても何らかの処置をとらなければ、根本的な解決にはならない。
そもそもデューオらの不在によって獲得した票なら、彼らが戻ってきた時にあっさりと翻されるおそれもある。
「あの――」
控えめな声をあげたのはフェイトだ。
「デューオさんたちのことですけど・・・・・・」
悪辣ぶりが明らかになっていてもなお、彼女はぞんざいな呼び方はしない。
「オルコットという所にいるんですよね?」
ビオドールは小さく頷いた。
それをわざわざ確かめるからには、何らかの策があるのだろう。
歳の割には英邁すぎる彼女に、人生経験を何倍も積んできたリンディたちは期待していた。
だがこの後、彼女が放ったのは極めて意外な言葉だった。

 

 

 

「それは・・・・・・?」
どういう意味だ、と続けるハズがリンディの喉はからからに渇いて発声できない。
短く、しかしとても恐ろしい言葉を聞かされた気がする。
言った本人は凛々しく、覚悟を決めたような顔でリンディを見つめている。
「フェイトちゃん・・・・・・」
対照的になのはは不安げだ。
リンディは軽い眩暈を覚えた。
(今なんて言ったの・・・・・・?)
数十秒前の記憶を呼び戻す。

”デューオさんたちと対決させてください”

はっきりと。
通る声でフェイトはそう言ったのだ。
しかもこの言い方は、”自分と”という言葉が省略されている。
他の誰でもない。フェイト・テスタロッサの言葉である。
ムドラとの戦いはまだ終わっていない。
真の意味での和平はまだ実現していない。
彼女の決意表明は大人たちが漠然と捉えている現実に冷たく斬り込んだようだった。
「無茶だ。相手はムドラだぞ?」
クロノはやや間を置いて反駁した。
「それにもうエダールモードは使えない。どうやってプラーナに対抗するんだ?」
彼の指摘は鋭い。
ムドラ絡みではフェイトは2度の戦いに勝利したが、いずれも彼らの協力無比な技プラーナに
対抗する術を持ち合わせていたからだ。
魔導師はプラーナを防ぐことは出来ない。
それを厭というほど分かっている彼は迂闊に挑むことの危うさを心得ている。
「でも私が一番、ムドラと戦ってきた」
フェイトは言う。
しかもその度に勝利してきた。
彼女はそこまで口にしなかったが、そう言いたいのだろうと読んだリンディは、
「だからこそよ」
申し訳無さそうに咎めた。
「ここで・・・・・・この場で言うべきではないけれど、これ以上あなたを危険な目に遭わせたくないの」
リンディはつい”提督”としてではなく、”母”としての発言をしてしまった。
個人的な感覚を持ち込むのは組織の上に立つ者には許されない行為である。
しかし彼女の場合はこう言わざるを得なかった。
アースラには第一線で活躍する魔導師が武装隊がいる。
彼らを差し置いて秘密裡にフェイトだけに特別行動を許可することはできない。
誰もが納得しうる正当な理由が見つからない限りは――。
「・・・・・・・・・・・・」
提督として苦悩するリンディをよそに、ロドムはもう一歩踏み込んだ考え方をしていた。
現状ではクロノも指摘したように、いかに百戦錬磨のフェイトといえども勝ち目は薄い。
その理由は単純明快。
相手がムドラだからだ。
和睦の証として全ての局員はエダールモードの使用を封じられている。
これを解禁することは即、ムドラへの宣戦布告となってしまう。
しかも向こうはそれを躊躇いなくやってくる。
そもそも和平の妨害が目的なのだ。
これまで善戦してきたフェイトだが今度はある意味、周囲の全てが敵である。
「ではこうしてはどうでしょう?」
ロドムがリンディを見据えて言った。
「二手に分かれるのです。廃案に向けて行動する班とオルコットにデューオたちを追う班に」
リンディが反対しているのはフェイトを死地に赴かせることだけではない。
彼女ひとりが戦おうとしていることに反対しているのだ。
そこを弁えているロドムは両者が歩み寄れる妥協案を出した。
「彼女の稀有な才能は何度も危機を救ってきました。しかし今度ばかりは分が悪いようです。
そこで今一度、私たちの役割を明確にしたいと思います」
異論は出ない。
水を向けられたリンディもこの案を頭ごなしに否定しなかった。
「得手不得手があります。直接の戦闘が得意な者たちはオルコットに向かうのがよいかと」
つまり武装隊やなのは、クロノをフェイトと共に行動させようという考えだ。
ただしあくまでもリンディの安全確保が最優先のため、こちらに割ける戦力はそう多くはない。
「・・・・・・・・・・・・」
第一の側近と言っていいこの男の妥協案は、リンディにとっては提示して欲しくないものだった。
娘として迎えるフェイトを危険に晒したくないという想いが強い。
何とかして戦線から遠ざけようとする彼女は、単独で敵に当たるのは危険だという理由で拒んできたが、
ロドムが複数で当たればどうかと持ちかけてきたために拒む理由を失ってしまった。
(・・・・・・・・・・・・)
だが今回はフェイト単独での戦いではないこと、機会を失すれば管理局どころか世界に
重大な悪影響を及ぼすこと等が、彼女の心を揺り動かした。
(それが貴女の――貴女の意志なのね?)
随分永いこと黙っていたリンディは、
「分かったわ」
搾り出すように言った。
不安は拭えない。
しかし彼女は、彼女が度々起こしてきた奇跡を信じることにした。
(違うわ・・・・・・託しているのよ!)
自らの不甲斐無さを痛感しながら、リンディ提督は本来ならば自分がするべき老獪デューオとの対決を、
幼く、英邁で優秀な魔導師に委ねた。

 

   投票日まで あと15日

 

  戻る  SSページへ  進む