第12話 抗体

(難を逃れ合流を果たした賛成派の面々。しかし流れはゆっくりと彼らを追い詰めていく)

 この老獪はかれこれ30分以上も窓の外を眺めている。
交通量の多くない地域であるため、行き交う車もまばらだ。
そのくせ高層ビルが建ち並んでいるせいで、景色は全く良くない。
「何か面白いものでもあるかね?」
薄緑色のお茶を舌全体で味わいながらもうひとりの老人が訊ねる。
「特に何も――見えるのは魔導師どもの作り上げたつまらん街並みだけですな」
溜息混じりに答え、ゆっくりと振り返った老人――ブロンテスは不愉快そうな顔をした。
「でしょうな。ここの連中は後先考えずに建てる癖があるらしい。美観を損ねますよ」
カップを置いたテミステーは口の端を歪めて言った。
「ふむ、いや・・・・・・そもそも損ねる美観すらここには――」
ない、と彼はぼそりと付け足した。
彼らにとってここオルコットは、憎き魔導師の息吹を感じさせられる忌々しい場所だ。
数十年を生きた彼らでさえ、この空間は耐え難い。
「デューオ殿は無事であろうか?」
「それはつまり、彼が血気に逸って予定より早く行動を起こしはしまいか、という意味ですかな?」
「まさか! 彼は短絡的で好戦的な愚かな魔導師とは違う。そのような愚行は慎む」
「ああ、ああ、分かっていますとも。わしが気にしているのは無事に逃げ果せたかと」
「それこそ心配する必要はありますまい。100人の魔導師は1人のムドラにも及ばぬわ」
テミステーが嘲笑したが、ブレンダンは難しい顔をした。
「だがルーヴェライズはたった1人の少女に敗れた・・・・・・」
「あれは展開を急ぎすぎたのであろうな。冷静さを欠き、隙を見せたのだ。うむ、そうに違いない。
いや、あるいは土壇場になって情の弱さを露呈してしまったか――」
「・・・・・・・・・・・・」
「どちらにせよ、あの少年には多くのものが足りなかったようだ。不甲斐無い・・・・・・」
このテミステーという老人はシェイドのことが嫌いらしい。
あの勇敢な少年の名を口にする度、彼は不満そうな表情を浮かべた。
窓の外を数台のエアカーが通り過ぎた。
それが自分たちを捜索している反対派のものに思え、ブレンダンは思わず首をすくめた。
来客を告げるインターフォンが鳴った。
テミステーが一瞬、怪訝な表情を浮かべる。
が、すぐに来客の正体を察知し、ロックを解除する。
「何もかもが思いのままだ」
しずしずと入ってきた老人はソファに座るなり言った。
「連絡がとれないからどうなったかと思いましたぞ」
再会を喜ぶ風でもなくテミステーが言う。
「魔導師などには負けん。特に未熟な少女などにはな――」
戻ってきた老獪デューオは笑みを浮かべているが、その端々に焦りの色が見え隠れする。
(あれがかの少年を破ったのか・・・・・・)
管理局の中枢にいた彼には、遠近から届く様々な情報に触れる機会があった。
彼の目を引いたのはもちろん、シェイドと戦い勝利し、ムドラとの和平を進めたフェイトの存在だ。
魔導師でありながらただ一人、ムドラの秘術プラーナの力を得た少女だ。
幾人もが束になっても敵わないメタリオンの長を、たった一人で破った少女だ。
「この後はどうなさるつもりかな?」
ブロンテスが問う。
「連中の動きは分かっておる」
デューオは大息した。
「動き?」
テミステーが鼻を鳴らした。
「失礼・・・・・・語弊がありましたな。厳密には”動き”があるのではない。”動けない”のですからな」
法案反対派という、自分たちより明らかに多数を相手にしてもなお、彼らが悠長に構えていられるのには理由がある。
――ムドラの民。
たったこれだけの理由が、魔導師で構成される反対派にはこれ以上ない強みとなる。
「わしはあの少女に正体を明かした――ムドラであるとな」
瞬間、2人の顔つきが変わった。
秘密裡に事を進めるには、情報を可能な限り秘匿するのが最善手だ。
それを老獪が知らないハズがない。
「問題はないのかね?」
テミステーは眉間に皺を寄せた。
デューオの軽率とも思える行動に辟易しているようだ。
「問題が起こるハズがない。なぜなら連中の・・・・・・彼女たちが真に願っているのはムドラとの和平だからだ」
これは最も効果的な方法なのだ、とデューオは付け足した。
「反対派の全員がそう思っているとは限らないぞ」
「そうともそうとも。しかし連中の核はリンディであり、今やフェイト・テスタロッサもその中に入っておる」
「・・・・・・・・・・・・?」
「つまり――彼女らにとっては軍隊化の廃案とムドラとの和平は切り離せない問題である、ということよ」
「なるほど」
賢しいブロンテスはしきりに頷いた。
「反対派の首魁がムドラだった――それを知ったところで連中には何もできん。
それを世間に公表すれば多くの反対票が集まるだろうがしかし・・・・・・同時にムドラの悪辣さまでをも露呈することになり、
和平の道は遠のく。連中にそれはできん」
デューオが厭らしく哂った。
シェイド同様、ただ力を振るうだけでなく駆け引きにおいても相手を圧倒しようとする彼には、
この後に事態がどうなるかをかなり細かくシミュレートできている。
「わしが正体を明かしたことで却って連中は次の手を打ちにくくなる。悩み苦しむことになろう」
寄せられる情報に具に目を通していたデューオは、文書化あるいは映像化されたそれらデータから、
リンディやフェイトの性質を読み取っていた。
どちらも正義感が強く、我を通そうとするところがある。
だが情に脆く、しばしば非合理的な手段をとることもある。
今回の場合もその性質が現れるとするならば・・・・・・。
彼女たちはデューオの正体を材料に反対票を集めることはしないだろう。
無いと分かっていながらムドラの和平と廃案の両方を叶える方法を模索するだろう。
「しばらくここに身を潜める、というのはその狙いがあるからですな?」
ブロンテスが顎に手を当てて言った。
「しかしどのような戦いも守っていては勝てないのではないか?」
懐疑的なテミステーはここでも納得しかねるという顔だ。
「仮にムドラの件は伏せるにしても、奴らにはこれまでのように演説を繰り返すという手がある」
「その手は有効ではない」
デューオは彼の指摘を想定していたのか、即座に否定した。
「我々の不在によって得た票ならば、我々が再び姿を見せた時にはすぐに賛成票に翻る。
殆んど全ての人間は自分の身に危険が及ばない範囲でものを考え、行動する。
これまで強硬策をとってきたのは反対票を投じようとする者に恐怖心を植えつけるためだ。
法案を否決に導こうとすればどうなるか――よほど蒙昧でない限り、反対票を入れることはない」
両勢力が拮抗状態になる前に、賛成派が暗殺という過激な手段に出たのは考えがあってのことだ。
人が抱く恐怖心というものは時間が経ってもそう簡単に抜けるものではない。
論争が本格的に始まる前に賛成派の脅威を存分に見せつけておけば、その効果は後になってジワジワと現れてくる。
「強い者に靡くものよ、人間は。賛成派と反対派――軍事力を強めた管理局と脆弱な管理局とでは・・・・・・」
どちらに分があるかは言うまでもない。
「ふむ・・・・・・」
ここまで言われれば、テミステーにも反論の余地はない。
早計と思われる行動にもひとつひとつ理由があり、加えてデューオの緩急をつけた語り口調に説得力があることで、
2人は異を唱えることはしなくなった。
「では当面はここに身を潜めるわけですな?」
その代わりにテミステーが質問をした。
「可決への下地は十分にできた。しばらくはここに隠れていても状況は我々に有利に動くだろう。が――」
デューオは鼻を鳴らした。
「満場一致で可決させるにはもう一押しがいる。投票者の中には何があっても反対票を入れる者が最低ひとりはおるからな」
その人物に投票させない限り、彼らの望む最高の結果は得られない。
(そしてあの少女・・・・・・!!)
デューオはここで初めて歯噛みした。
振り返れば彼の辿った道は、成功と失敗が同じ数だけ交互に繰り返されていた。
極寒の地に生まれた失敗。
その劣悪な環境を脱する艦を手に入れたという成功。
だが飛び出した先では既に魔導師が世界に蔓延っていた――生まれるのが遅すぎた失敗。
魔法を容易く打ち破るプラーナに恵まれていたという成功。
志半ばにして同じムドラの民であるシェイドを喪ってしまった失敗。
そして次に来るのは――。
(成功だ。管理局に強大な軍事力を持たせ、その実権をわしが握る! その時にはムドラと魔導師の対立は再び深化している!
それでいい! 既に手遅れなのだ! 愚かな魔導師どもは自ら得た力によって滅ぶのだ!!)
成功の後には失敗が忍び寄り、失敗の次には輝かしい成功が待っている。
デューオは肩を震わせた。
時は近づいているのだ。

 

 ひとつの決断を彼女はした。
彼女の生涯どころか、もっと大勢の未来を左右しかねない決断を彼女はした。
「本当によろしいのですか?」
陰日向で彼女を支えてきたロドムは、その決断は正しいのかと今一度問う。
「ええ、もう決めたことよ」
リンディは目を細めて言った。
「できるだけ隠し事はしたくないわ。自分たちの都合や想いだけで言葉を変えていては――フェアとはいえないもの」
(この人は・・・・・・)
愚かなほど実直だ、とロドムは思った。
命を賭した戦いにフェアも何もない。
常に相手の動きを読み、先んじ、意表を衝かなければ待ち受けるのはただ敗北である。
「ご英断とは思いますが、見方を変えればこれは・・・・・・ムドラへの宣戦布告になるかもしれませんよ」
言わなくても分かっていることをロドムは敢えて言う。
これはリンディの決心を鈍らせるためではない。
単なる意思確認であって、芯の強い彼女に対しては何の意味も成さない質問である。
「分かっているわ。問題はその後、どうなるかよ」
「・・・・・・・・・・・・」
ロドムは小さく息を吐いた。
この女性には数人分の気概があるようだ。
「お供します。彼女たちがいないのが不安ですが・・・・・・」
ロドムが微苦笑すると、
「いいえ、頼りにしているわ」
リンディが真顔で答える。





数名の武装隊に守られながらリンディがやって来たのは、あの公会堂だ。
人々の心に訴えるには、演説者の技量だけでなく場所やタイミングも重要だ。
「オーナーが反対派よりの方で助かりましたね」
もし公会堂の所有者が法案に賛成なら、彼女たちは決して中には入れなかっただろう。
「ええ、そう・・・・・・そうね・・・・・・」
ロドムに言われ、リンディはこんなところにも味方がいるのだと今さらに感じた。
実際に反対票を投じる高官や聴衆ばかりが賛同者ではない。
こうして演説の機会を提供してくれるオーナーもまた、間接的ではあるが支持してくれているのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
時を経たからか、人々の管理局に対する関心は強くなっているようだ。
ホールに集まった聴衆は1500名を超えている。
わざわざリンディの演説を聴きに来る点を考えれば、彼らはまず反対派と見ていいだろう。
だが今回、彼女が語るのは管理局武装化による脅威が主題ではない。
もっと重大で、もっと衝撃的な真実だ。
(でも、だからこそ発信すべきなのよ。私たちひとりひとりの問題なのだから・・・・・・)
このホールの中にムドラの民はいるのだろうか、とリンディは思った。
もし居たとして、真実を知ればどう思うのだろうか、とも。
(・・・・・・・・・・・・)
リンディは静かに眼を閉じ、深く息を吸い、ゆっくりとゆっくりと吐き出した。
彼女が次に眼を開けた時、視界には1500余人の聴衆がいた。
「今日、お集まり頂いたことに感謝します」
演説はいつもこの言葉から始まる。
澄んだ声が広いホールに遍く渡る。
「いま、ここにいらっしゃるという事はこの度の法案にご関心をお持ちであると思います」
壇上の両端にはロドムをはじめ、数名の局員が待機している。
手段を選ばない賛成派が衆人に紛れ込み、隙を見てリンディの暗殺を企てるかもしれない。
「私は今日まで管理局が軍事力を強めることの危険性を訴えてきました。
力を振るい、争いを続けても何にもならないと! 軍隊化による管理はもはや支配であると訴えてきました!
そして・・・・・・私の声に耳を傾けてくださり、多くの人々が賛同してくれました!」
聴衆の中には頷く者もいた。
「賛成派と反対派の戦いは熾烈を極めています。互いの主張がぶつかり合い――時には過激な争いに発展し・・・・・・。
反対派の中には命を落とした者もいます。これこそが! 軍隊化した管理局の辿る道だと思うのです!
力で全てを捻じ伏せ、管理局のルールを押し付ける。賛成派のやっている事は未来の縮図です!」
反対派として演説するリンディは、ネガティブ・キャンペーンを行うのは不本意だった。
相手の批判をする、つまり相手への攻撃になり、その行為自体がいかにも賛成派――卑劣な手段――であるからだ。
しかし今回に限ってはこの方法をとらざるを得ない。
相手を貶める目的ではなく、あくまで真実を包み隠さず伝えるためだ。
「憚っていても仕方がありません。私はここで2つの事実を皆さんにお伝えします!」
勢い込む余り、リンディは思わず壇を叩いた。
元より静寂に包まれていた会場が、この衝撃音によってさらにその度合いを深めていく。
「賛成派の中核を成す数名は――法案の可決を願うあまり、最も卑劣な手段に出ました・・・・・・。
暗殺です。私たちの仲間の何人かは、彼らの手によって命を落としたのです」
彼女は同じ事を前回この公会堂で演説した際にも、ほんの数分前にも述べたが、それが賛成派の悪意の元であるとは明らかにしていない。
モノを述べるにも適切なタイミングと順序があることを彼女は心得ていた。
途端、場内がざわつき始める。
「これは憶測ではありません。私は彼らの卑劣な罠にかかりました。そして真実をこの目で見たのです。
賛成派が誰を中心に組織されているのかを。そして・・・・・・彼らが暗殺を行っていた事実を・・・・・・」
リンディはここで間を置いた。
覚悟はしていたものの、やはり彼女にはこの先を述べるには些かの躊躇いがあるらしい。
数秒――あるいはもっと永い時間だったかもしれない。
リンディは公会堂から全ての音が消えたような気がした。
一瞬、自分がなぜここに立っているのか、その理由さえ曖昧になる。
「私は――」
使命感と正義感が彼女の意識を呼び戻した。
「もうひとつの・・・・・・重大な真実をお話します」
リンディは静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
「誤解のないように添えておきますが、これを発表することによって両者の溝を深める意図はありません。
むしろかつて最前線で戦った者として、和平の道を求めています」
勘の良い聴衆ならリンディの発言の中に、”和平”を見つけ出し、その意味を正しく読み取っただろう。
”両者”が誰と誰を指すのか、この場にいる半数以上が理解している。
彼女はこの言葉の後にもまた数秒の沈黙を保ったのも、そうした聴衆の覚悟を促すためだ。
「私たち反対派を暗殺し、軍隊化を推し進める賛成派の首魁デューオ・マソナは――」
後は言うだけだ。
必要な台詞はたったひとつ。
「――ムドラです」
時間が止まったような錯覚にリンディは襲われた。
彼女だけではない。
裾で控えていたロドムも局員もこの瞬間、明らかに自分たちを取り巻く空気が変わったのを感じ取る。
聴衆の中には軍隊化については興味は持っていても、魔導師とムドラの間については無関心な者も多くいた。
ムドラが絡む事件が世論を管理局軍隊化に向かわせたのではなく、これはキッカケのひとつに過ぎない。
従って投票権を持たない彼らにはムドラの民と管理局の軍隊化が結びつかないのだ。
――たった今までは。
だが、もう違う。
世間を騒がせたあの事件とこの度の法案が一本の線でつながったのだ。
「残念なことではありますが、全ての人が和平を望んでいるのではない・・・・・・ということです」
リンディは拳を握り締めた。
もし関係する全ての人間がひとつの目的に向かって進むなら、手段こそ多岐に渡ってもたどり着くところは同じくなる。
しかしその中に、たったひとりでも反目する者が現れた途端、足並みは乱れ、避けられないかもしれない諍いに発展する。
「繰り返しますが私は――ムドラとの和平を望みます。争いが生むものは悲劇であって、輝かしい未来ではありません」
この発言をするに足る人格をリンディはぎりぎりのところでクリアしている。
現に彼女はほんの数分前、賛成派の批判を行っている。
これ以上同じ手を繰り返せば、反対派の旗印といえども賛成派のやり方を踏襲したものとなってしまう。
そうなっては言論による訴えかけは意味を成さなくなるだろう。
問題なのは、和平を壊そうとする者が魔導師側ではなくムドラ側にいるという点だ。
激しい戦いの末、僻地に追いやられているムドラの末裔を管理局が支援し、環境のよいところに移住させ、
あるいは食糧を分与するなどして彼らの生活を保障している。
そうなるとどうしても施した側と受ける側の構図が出来上がってしまい、管理局やムドラに直接属していない人々から見れば、
管理局が優越しているかのように映ってしまう。
もちろんそれは間違いではない。
ムドラの民にしても自力で生きることはできるが、極寒の地であるために慢性的な食糧不足、資源不足から逃れることはできず、
困窮の中で命を繋ぐことになる。
その窮地から救ったのが管理局――その原因を作ったのも太古の魔導師だが――である。
魔導師や高官の中には多くの人が抱くように、ムドラへの優越感と憐憫の情を持っている者がいるかもしれない。
こういう状況の中、ムドラの民が和平に水を差しているとなれば世論は憎悪をもってムドラを蔑視しがちになる。
恩知らず、あるいは裏切り者などの苦言を添えて。
「ですがこれはムドラによる侵攻でもなければ攻撃でもありません!」
リンディは身を乗り出した。
「彼らの・・・・・・私たち魔導師に対する復讐――仕返しであると思います!」
彼女はムドラの辿った哀しい過去を一切の私情を挟まずに語った。
これを付け加えておかなければ、両者の溝はますます深くなってしまうだろう。
永い年月に堆くなった怨恨が、デューオを通して発現したのだ。
「どうか誤解しないでください。私たちが互いに手を取り合い、共存する道は必ずあります。
ただ私たちの意見に食い違いがあり、その一歩を踏み出すのに躊躇ってしまっているだけなのです」
これだけは彼女も信じている。
信じているからこそ反対派であり続けられるのだ。
まばらに拍手の音が聞こえた。
会場の前、後ろ、中央あたりで何人かが立ち上がった。
ぱたぱたと聞こえていたそれらの音が聴衆を伝播し、いつしかリンディは万雷の拍手のただ中に放り込まれていた。

 

 

「これは――?」
テミステーは笑ってはいなかった。
失敗者を詰責する立場にあっても、自身の優位性を衒わないところはデューオとはまた違った老獪さがある。
彼がなまじ冷静であるために、対照的にデューオは狼狽の色を隠せなかった。
「これは・・・・・・」
彼はテミステーと同じ言葉を繰り返したが、その先を紡ぐことは難しい。
目論見は外れた。
法案の否決とムドラとの和平、リンディがこの両方の目的を達成させるべく動くのなら、
デューオの正体は最後の最後まで伏せるものだと思っていた。
しかし公会堂での演説の中継を観ていた彼らは、彼女の発した言葉に耳を疑った。
ゆっくりとではあるが着実に進みつつある和平をぶち壊しかねない発言を、リンディはしたのだ。
「あの女はバカなのか・・・・・・?」
悔し紛れに彼は平素の彼なら決して口にしない言葉を吐く。
永く人間の醜い部分を見てきたデューオは、出自や地位に関係なく全ての人間が利己的だと思っている。
彼からすればリンディも所詮は綺麗事を並べ立てるエゴイストで、その実は凝り固まった自分の信念のみを追い求める、
有能で独善的な管理局の実力者――という位置づけだった。
それを見事に裏切られ、デューオの饒舌はここに来て全く滑らなくなった。
「彼女はムドラとの和平など本当は望んではいないのでは?」
ブロンテスが呟いたが、デューオも一時はそう思いかけてしまった。
(いや、あれは愚直な女だ。でなければ拘束した時、危殆に瀕してもなお頑なに我らの誘いを拒むハズがない)
デューオは分からなくなった。
狙いは逸れ、事態は思惑と反対の方向に進みかけている。
「想定外ではあるが・・・・・・」
テミステーの視線から逃れるように彼はこめかみに手を当てた。
「大勢に影響はない。むしろ好都合だ」
窮地を好機に変える。
劣悪な環境に追いやられ続けたムドラが、生き延びるために掲げてきた信条だ。
「管理局にムドラの民は危険だと思わせることができる。連中からすれば我々はまだ外敵だ。
有事に備え、武力を強化しようという声が上がるかもしれん」
もしそうなれば、リンディが断腸の想いでとった行動は意味を成さないどころか、まるで正反対の効果を齎すこととなる。
「”かもしれない”とはずいぶん弱気ですな」
テミステーが言った。
「人間がどう動くかの予想はできるが常にそれが的中するとは限りませんのでな」
確かに彼の口調には以前ほどの鋭さがない。
考えようによってはむしろ事態は賛成派に有利に動いているハズが、
相手の動きや思考が読み取れない状況は彼を大いに不安にさせる。
「しかし賛成派が強引な手段に出ていると知られた以上、我々の正当性に翳が差すのでは?」
リンディの告白は両刃の剣だ。
世間の受け止め方によっては賛成派・反対派の両陣営の信用を一気に失墜させかねない。
「賛成派がマイナスのイメージを被るのはまずい。大勢を敵に回すことにも――」
「その考え方はいくつかの点で間違っている」
いつの間にかデューオはいつもの口調を取り戻していた。
「まず投票できるのが管理局高官に限られている、ということ。世間がどう思おうが結果には影響はすまい。
我々が気にかけるべきは、そうした世論に流されて己が考えなしに反対票を投じてしまうことよ」
彼は間接民主制の利点を語った。
誰が投票を行うのかは予め分かっているのだから、不特定多数にそこまで注意を払う必要はない。
「もうひとつ――人は力と恐怖の前には滑稽なほど従順になるのだ」
この考えにはデューオは確信を持っていた。
唯一当てはまらないのはリンディだが、彼女は特別だ。
実際、反対派の身に危険が及ぶようになると、それまで反対の意思を表明していた何人かは意見を翻している。
逆に言えば両者がこれまでどおりの手法をとり続けた場合、反対派から賛成派に流れる者はあっても、
賛成派から反対派に転じる者はいない、ということになる。
「人間は強いもの、勢いのあるものに靡く・・・・・・法案の可決は堅い」
デューオは”確実だ”とは言わなかった。
この後の展開に確信は持てても、確実ではないのだ。
「では当初の予定通り、ここに留まるおつもりか?」
ブロンテスの問いに、
「そのほうが良いだろう。我々がここにいる事は誰も知らない。じっくり次の手を考えられる」
デューオは表情を変えずに答えた。
「なるほど」
ブロンテスは頻りに頷いたが、その横でテミステーは訝しげに彼を見ていた。
彼の発言をひとつひとつ反芻していたテミステーは、言葉の端々に引っかかりを感じていた。
だがその違和感の正体を突き止める前に、
「とはいえ室内に篭もりっきりでは体にも悪い。少し外を見てくるとしよう」
デューオは緩慢な動作で部屋を出て行った。
「読みが外れてバツが悪い――といったところでしょうな」
ブロンテスが微苦笑した。
「デューオ殿が言うように、私もハラオウンが事実を発表するとは思いませんでしたからな」
「・・・・・・・・・・・・」
「どうかしましたかな?」
テミステーは難しい顔をして俯いている。
彼ほどに思慮を巡らせないブロンテスには、その表情の意図するところが読めない。
「いや、別に・・・・・・」
湧き上がった疑念を拭い去ることはない。
先ほど憶えた違和感は何だったのか?
テミステーは深く息を吸い込んで考えた。
だが数分そうしても、明確な答えは出てこなかった。

 

 準備は整った、とクロノが言った。
リンディがフェイトたちの護衛にとつけた武装隊は総勢20名。
ムドラの民を相手にこれは少なすぎるが、これから行うのは捕獲であって戦争ではない。
それに”魔法しか使えない”隊員をいくら揃えてもさして意味はない。
プラーナに抗し得る力の持ち主が必要だからだ。
「オルコット・・・・・・ビオドールさんはそう言ってたけど」
なのはが不安げにフェイトを見つめた。
「でもそのオルコットのどこにいるかが分からないよ」
「大丈夫。たぶん何とかなるから」
語調は曖昧だったが、フェイトの瞳の輝きはまったくブレていない。
今の彼女なら大海に落とした1本の針でさえも、誰もが驚くほどの方法で探し出せるだろう。
ましてや捜索の対象がムドラとなれば尚更だ。
「僕たちの力がどこまで通用するかは分からない。でも・・・・・・」
クロノが拳を握り締めた。
「最後まできみを守る。アースラの一員として・・・・・・妹としても、な」
後半は殆んど聞き取れなかった。
うっすらと頬を朱に染める彼に、フェイトは小さく微笑んだ。
「な!? そこは笑うところじゃないだろう?」
途端に恥ずかしくなり、クロノは猛抗議する。
「ふふ、ごめんね。頼りにしてるよ、クロノ」
そう言い、フェイトは局員たちに向き直った。
「お願いします」
「それを言うのは俺たちのほうさ」
彼らは手にしっかりとデバイスを握り締めている。
「相手がムドラである以上、俺たちのできることは少ない。だがきみは違う」
「・・・・・・・・・・・・?」
「きみはその力で多くの人を救うことができるんだ。だから頼む――なんとしても法案を否決に導いてくれ」
「え? でも私は投票は・・・・・・」
「賛成派の犯した罪は重い。それを世の中に知らせれば廃案に繋がる」
「え、ええ・・・・・・」
「ムドラを救い、管理局を救ったのはきみだ。三度きみの力を借りるのは申し訳ないが・・・・・・」
自分たちの不甲斐無さを嘆く彼らには、管理局への強い忠誠心が窺える。
誰もが事態を真摯に受けとめ、平和と秩序を愛している。
そんな彼らのいるアースラに所属できたことを、フェイトは幸せだと思った。
「よし行こう。遅くなればそれだけ相手に有利になる」
クロノがゲートを開いた。
凶悪な敵に近づくからには、警戒は常に緩めてはならない。
ゲートを潜った先は既に敵地と思うべきだ。
(僕たちはプラーナには対抗できない。なのはでさえも――)
そのことがクロノを不安にさえ、苛立たせる。
もし万が一、フェイトを喪うようなことがあれば・・・・・・。
この世界の誰もが賛成派に勝てないということになる。
(シェイドがいてくれたら・・・・・・)
彼はふと、今は亡きシェイドを思い出した。
全ては彼から始まった。
彼が現れなければ管理局が”ムドラ”の存在を知るのはもっと後になっていただろう。
(あいつが事件を起こしたのは、デューオ閣下にとっては予想外だったのかもしれないな)
デューオはシェイドが現れるずっと前から管理局に潜伏していた。
それはもちろん、世界をこのような状態に導くためだ。
(仮にシェイドがいなかったとしても、適当な理由をつけて軍隊化を進めようとしたに違いない・・・・・・!!)
クロノは危うくムドラの民を憎みそうになった。
母を危険な目に遭わせた連中だ。
一個人としてその感情に目覚めるのは間違っていないが、今は管理局の執務官としての顔がある。
私情は差し挟んではならない。
(3人を捕まえれば全て終わる! あとは母さんたちが否決に導けば・・・・・・)
クロノは唇を引き結んだ。

 

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