第13話 疾病

(リンディの証言によって一転、追い込まれたデューオは非情な決断をする)

 空気の乱れを彼は感じた。
中空に漂う大気のことではない。
彼を取り巻く環境だ。
(まさかここまで局面が動くとは・・・・・・)
人前では平静を装っていたこの老獪も、ひとたび外に出れば顔に焦燥の色は隠さない。
リンディの告白は想定外だった。
彼女さえ真実を秘匿していれば状況は膠着状態――むしろ賛成派に有利に動くハズだった。
彼はリンディという女性を軽視していた。
驕りや油断が事を仕損じるという不変の理を心得ている彼でさえ、どこかで慢心していたのかもしれない。
なまじ自分たちが優位であったための気の緩みだ。
(大勢には影響はないと言ったが・・・・・・)
ひとつの懸念があった。
投票を迎える前にムドラの凶悪性をアピールされた場合、高官たちがそれをどう捉えるかが彼には読めないことだ。
人は確かに恐怖に屈するが、時によってはそれに抗おうという気概を発する者もいる。
法案を否決させることに正当性を与えてしまっては、彼が望む満場一致での可決が難しくなる。
雑踏に体を左右に揺らしながら、彼は考えた。
(あの女がいる限り、必ず反対票が1票入る。難しい話ではない)
難しい話ではないのだ。
彼の理想を実現する方法はふたつ。
ひとつは反対の意思を表明している者に心変わりをさせ、賛成票を投じさせること。
もうひとつは反対派を消し去り、議場を賛成派のみで構成すること。
手っ取り早いのは後者だ。
踏むべき手順も実に明快。暗殺というシンプルな方法でよい。
もしひとつまみの良心が咎めるなら監禁してもよい。
一方で前者は相手の心理に働きかける作業が必要なうえ、確実性に欠ける。
土壇場で反対票を入れる可能性もなくはない。
同じ労力をかけるなら選ぶのはやはり後者だろう。
「チャンスはあった――」
デューオは悔いた。
彼女を監禁した時、反対派の旗印を人質にとれば楽に反対票を翻せると思っていた。
その目論見は外れ、想定していた以上の戦力がリンディ救出に現れた。
だがこうなると分かっていたなら、彼はその人質を交渉の材料に使わず早々に始末していただろう。
やや遠回りな方法が裏目に出た恰好だ。
「次の手を考えなければ・・・・・・」
彼は老獪だ。
以前、世界を襲った闇よりも彼の心の深潭は遥かに暗く、黒い。
目的のために手段を選ばない非情さはその表れだ。
「こうなったら――」
新たな企みに、デューオは唇の端を歪めた。
ひとつの策があったのだ。
多少の犠牲を払うことになるが、反対派に深く斬り込む方法が。
彼がこの作戦に考え至った時、彼の中にあった砂粒ほどの良心は消え失せた。
代わりにその僅かな隙間を闇が埋める。
人間の、心の闇だ。
通りに出たデューオは行き交う愚者どもの顔を見やる。
ここにいるのは管理局の監理の下に生を貪る愚かな者たちだ。
誰彼も大小の魔法の力を有している。
(そのような力などプラーナの前では無力よ)
実際にフェイトとの小競り合いに興じた彼には、それがよく分かっていた。
憎悪を源とするプラーナはやはり偉大だ。
世界に手を伸ばし慢心している魔導師を容易く打ち破る力。
それがプラーナなのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
深く息を吸い込んだデューオは、ごく自然な足どりで雑踏の中に消えた。

 

 人の多さにフェイトは一瞬、眩暈を覚えた。
魔導師として管理局に勤める以前の彼女は、母とアルフ、リニスだけの狭い世界で住んでいたために、
数メートル先の道さえ見通せなく人混みにはまだ慣れていない。
もちろん管理局地上本部などにも大勢の局員がいるが、この町のように波ができるほどの歩行者もいなければ、
すれ違うのにも難儀するほどの隘路もない。
「これは・・・・・・」
護衛として同行している局員たちはため息をついた。
人が多すぎる。
渡航者の管理が行き届いていたとしても、一度その手続きを終えてしまえばオルコットのどこにいるかまでは分からない。
「見つけるのが難しそうですね。とりあえず渡航履歴を当たってみますか?」
まずは行動の方針を決めようと局員のひとりが言ったが、これが無駄であることは彼自身もよく分かっている。
賛成派の追尾から逃れるために潜り込んだ連中が、真っ当な方法でやって来たとは思えない。
仮に正規の手続きを受けていたとしても、その際には偽名を使うなどしているだろう。
といって他に方法はない。
フェイトたちは渡航記録を管理している役所に赴いた。
管理局の者だと証明すると機密とされている情報を開示できる。
デューオ、テミステー、ブロンテスの名を検索するが該当するデータはない。
「やはり偽名を使っているのか・・・・・・」
クロノが歯噛みした。
そうだとしたら彼らは反対派がオルコットに捜索に来ると予測していたことになる。
「ね、ねえ、クロノ君」
なのはが渡航者名簿を見ながら言った。
「ここにはいない、っていう可能性もあるんじゃないかな?」
「ん・・・・・・? それはどういう意味だ?」
クロノが訝しげになのはを見る。
「逃げる人が自分の行き先を誰かに話したりするのかなって――」
「・・・・・・・・・・・・!?」
賢しいクロノはその呟きで、彼女の言おうとする内容の多くを理解した。
狡猾な人間なら容易く思いつく方法だ。
デューオを初めとする賛成派の中核は、ビオドールを仲間としながらも彼が異質であることを見抜いていた。
時期が来ればやがてその場を離れ、反対派に靡く可能性まで考慮して・・・・・・。
彼らは彼にひとつのウソを教えた。
リンディの仲間に追われた賛成派が、オルコットに身を潜めるというウソだ。
潜伏先がビオドールの口から割れるのを想定し、デューオたちが偽りの場所を告げた可能性がある!
「そういうことか・・・・・・」
クロノの説明に、なのはは小さく頷いた。
「そうか・・・・・・いや、そこまで考えるなら別の可能性もある」
「なに?」
今度はフェイトが訊いた。
「ビオドール提督がウソを吐いている可能性だ」
あるいはこちらの方が現実的かもしれない。
なのはの考えを真っ向から否定するもうひとつの現実。
ビオドールはやはり賛成派に属していて、リンディたちを霍乱するためにオルコットという名前を出したがそれこそが偽りで、
デューオたちは見当違いの世界に身を隠しているかもしれない。
リンディという女性の人の良さを利用した作戦だ。
「それだとどちらにしてもオルコットにいる意味はないのでは?」
振り出しにすら戻っていない捜索に、局員たちはやや苛立っている様子だ。
しかしヒントもなしに3人は探すのは無謀を通り越して愚かだ。
どちらの可能性を信じても、『オルコット以外の全ての世界』を捜索することになる。
「さて・・・・・・」
どうするか? という意味の視線を全員に向けるクロノ。
このグループでは立場上、彼が今後の方針を決める権限があるが安易にはそれは使わない。
独断が物事を危うい方向に進めた例は数多い。
何よりここにいる者たちは彼に引けをとらないほど優秀だ。
確かな知識と知恵を併せ持つ彼らなら――。
「多分・・・・・・」
現状を打破する言葉が、
「――ここにいる」
誰かの口から紡がれるハズなのだ。
全員の視線が少女に注がれた。
この幾度となく奇跡を起こしてきた魔導師が言えば、それは突飛な夢想ではなく確かな現実と成り得る。
フェイトの直感は常人のそれとは違う。
リンディやクロノでは到底理解し得ない意識の底で。
この優秀な魔導師は魔法とプラーナの境に身を置き、直感という幻視を用いて真実を暴き出す。
「ここにいるって・・・・・・?」
なのはが不安げに問う。
フェイトはしばしば単独で行動してしまう。
それが結果的に事件の解決に結びつくのだが、彼女ひとりを危険に晒したくないなのははフェイトから目を離さない。
「うん、多分、だけど・・・・・・」
曖昧な返答だが、彼女は既に目星をつけているようだ。
その証拠にフェイトはバルディッシュを起動させ、深く息を吸い込んでいる。
「ちょっとここじゃ・・・・・・外に出てもいいかな?」





フェイトの言う外とは、単に屋外という意味ではない。
正確には人の行き来のない場所だ。
見えないものを”視る”ためには、まず静かであること。
意識を集中できる環境が必要だ。
そして周囲には動くものが少ないほうがいい。
幻視とは絶対的な力ではなく、相対的に作用する能力だ。
彼女は以前、この力を使って闇を視た。
厳密に言えば周囲の光を見、唯一見えない場所に闇を視たのだ。
リンディが監禁されていた場所を突き止めたように――。
『”
Particle vision”』
フェイトはバルディッシュの力を借り、オルコットを感じ取った。
金色の瞬きが宙に浮き、ゆらりと地面に沈んでいく。
目を閉じた少女の視界の中に、無数の光の粒子が集う。
それらは規則的に、あるいは不規則に並び、ひとつの道を示した。
大通りだ。
緑色の粒子はこのオルコットの地形をそのまま再現する。
平らな道のあちこちに聳立する構想建造物。
さらにそれらを埋め尽くすように蠢く黄色の粒子は人だ。
フェイトはこの黄色の粒子を追った。
探す相手が一介の魔導師であったなら、この捜索方法は間違いだっただろう。
粒子に違いを見出すにはその輝きの度合いに的を絞る必要がある。
魔力の強さがそのまま輝きの強さに直結するが、それだけでは個人は特定できない。
だが狙いをつけたのがムドラの民であるなら話は別だ。
魔法の力とは違う、プラーナは他の粒子とは異なる見え方をするからだ。
フェイトはテミステー、ブロンテスをムドラの民であると決め付けた。
彼女はそれを直感であるかのように語ったが、実際はいくつかの根拠の元にその結論にたどり着いている。
デューオがかつてのシェイドと同じように魔導師を憎み、滅ぼそうと考えているなら――。
いくら野望のためとはいえ、何十年も毛嫌いする魔導師と行動を共にできるハズがない。
ましてや今は、軍隊化の是非を問うという彼にとっては極めて重大な局面である。
彼が傍にいさせる人物といえば、志を同じくするムドラの民しかない。
その証拠にビオドールだけが別行動をしているではないか。
(きっと大丈夫――)
フェイトは自分とバルディッシュを信じた。
「・・・・・・・・・・・・!!」
自信はすぐに確信に変わった。
地を這い、ビルを攀じ登る粒子の中に輝きの異なるものがある。
確信を抱いたのはそれが2つ、同じ場所にあったからだ。
「プラーナ・・・・・・」
彼女には多くの事柄が解った。
探す人物はやはりオルコットにいる。
ビオドールの証言にウソは無かった。
自分たちが来たことは無駄ではなかった。
「フェイトちゃん?」
不安げになのはが声をかけた。
「うん・・・・・・大丈夫だよ」
真実を読み取ることはフェイトにとっては容易い。
(・・・・・・・・・・・・?)
だが読み取った真実を正しく解釈するには慎重さを要する。
彼女は確かにプラーナの存在を突き止めた。
それも2つ。
間違いなく目的の人物であろうと分かる。
しかし妙だと彼女が感じたのは、その輝きが弱いことだ。
負の感情を秘めた人間の粒子は瞬きも小さいが、それとは少し違うようだ。
この違和感の正体を突き止めない限りは、軽率な行動は危険ではないか?
フェイトはそう思ったが、どのみち賛成派を捕らえなければならないのだ。
ここで躊躇する理由はない。
「ブロンテスさんもテミステーさんもここにいます」
バルディッシュを待機状態に戻し、フェイトが凛とした表情で言った。
「本当かっ!!」
疑う余地など今さら無いが、クロノはいくらか勢い込んで問う。
フェイトは無言で頷いた。
オルコットにはまだムドラの渡航者はいないらしい。
もしムドラの民が多く移住している地域に潜伏していたら、発見はもう少し遅くなっていただろう。
「1秒遅れればそれだけ反対派に不利になる。フェイト、場所を教えてくれ」
この少年は好戦的なのか、それとも正義感に篤いのか。
冷静沈着なハズの彼は、焦燥感に駆られているようにも見えた。
「でも相手はムドラなんだよ?」
窘めるようにフェイト。
「ああ、分かってるさ。いざとなったらこっちも多少強引な手をとらせてもらう。それだけの罪を犯した相手だからな」
敵がムドラとなれば、通常の事件のようにはいかない。
常に先手を打つ行動力が必要だ。
「皆さんも・・・・・・大丈夫ですか?」
「ああ、そのために来たんだ」
「俺たちだってリンディ提督の部下だ。みすみす逃がすわけにはいかないよ」
局員たちにも逡巡する様子はない。
「なのはは――?」
「ありがと、フェイトちゃん。私も大丈夫だよ」
なのははにこりと笑った。

 

 時おり吹きつける風は冷たい。
この風が北から南に吹くと良くないことが起こる。
オルコットに伝わる言い伝えだ。
今となってはそうした言い伝えも人々の中から消えつつあるが、意識のどこかにはまだ残っているのだろう。
ここに住む者は風向きを気にする傾向がある。
「部屋に篭もっていては気が滅入るとは言ったが・・・・・・」
ブロンテスは青い空を見上げて目を細めた。
「どうしたことですかな?」
テミステーという老人が自ら行動を起こすことは滅多にない。
ましてや今のようにブロンテスを誘って外に出よう、などと声をかけるタイプではなかった。
「言葉通りの意味ですよ」
彼は愛想なく答えた。
ウソではなかった。
部屋に篭もっていては気が滅入る。
彼はその理由を、オルコットは魔導師が作った都市だからだと思い込んでいた。
尊貴なムドラの民に、傲慢で陋劣な魔導師の巣窟は合わない。
それこそがこの陰鬱な気分の原因だと思っていた。
が、どうやら少し違うらしいと思い至る。
まだ判然とはしない。
このところの激動――思ったように賛成派優位にならない展開――による疲れかもしれない。
「・・・・・・・・・・・・」
風が北から南に吹いた。
それに加え、不愉快な魔力の波を感じたテミステーは舌打ちした。
ここには気の休まる場所などない。
どこにいても吐き気を催す魔導師と、それらが撒き散らす魔力が空気に溶け込んでいる。
(しかし・・・・・・これはどういうことであろうか・・・・・・?)
彼はちらりとブロンテスを見やった。
こちらは平然として地平の彼方を眺めている。
どうせ視線を移動させたところで、見えるのは乱立するビルだけだ。
テミステーは違和感の正体を探るのに神経を集中させた。
違和感――。
これは今日、初めて感じたものではない。
(これは・・・・・・)
答えはすぐそこまで出ている気がする。
しかし彼はまだそこにたどり着いていない。
風の流れは変わった。
確かに変わった。
冷たい風は北から南に吹いているのだ。
――今も。
この瞬間も風はその向きを変えていない。
良くないことが起こるのだ。
しかし言い伝えを知らない彼がそれに気付く事はない。
仮に既知であっても信じることはなかっただろう。
魔導師にとっての恐れが、ムドラの民にとっての恐れになるハズがないのだ。
だが今、テミステーはそれに近い感覚を味わっている。
(オルコット・・・・・・賤しい魔導師どもが作り上げた都市か・・・・・・)
ブロンテスが大息した。
(彼は――ブロンテス殿は気付いてはいないのだろうか? この陰鬱な空気に・・・・・・)
賛成派の中核を成す3人は思慮深い。
長年を生きてきた狡猾さがそれを支えているのだが、感受性には各々で差があるようだ。
ブロンテスはやや楽観的に構える傾向がある。
彼のこれまでで犯してしまった失敗は数少ない。
さらにデューオ、テミステーがいるという事実が慢心に結びついているかもしれない。
対してテミステーは何に対しても懐疑的だ。
劣悪な環境に生まれ育ち、ようやくその怒りと憎しみの矛先に魔導師を見つけた時、
彼は既に猜疑心でいっぱいだった。
我が身の不幸を嘆き続けた者が、そう簡単に外の世界に心を開くハズがない。
疑念は人を慎重にする。
ここがテミステーとブロンテスの大きな違いだった。
そして慎重さと猜疑心の強さが彼に思考をさせるのである。
「・・・・・・・・・・・・」
身を嬲る風に気付いた時、テミステーは自分がムドラの民であることに不安を覚えた。
(・・・・・・・・・・・・)
厳密には、自分が”下”の人間であることに、だ。
デューオは極寒の地を生き抜いた”上”の人間だが、テミステーとブロンテスは違う。
ひとまず生命の危険からは逃れられる”下”の世界の住人だった。
住環境の違いは彼らにもっと大きな違いを生む。
(そうか・・・・・・)
テミステーは漸くたどり着いた。
彼の不安は本来、ブロンテスも同様に抱くべきものだった。

プラーナ。

この決定的な違いを埋める術はない。
デューオにはこれがあった。
武器であり、盾でもあるこのプラーナという力を彼は有していたのだ。
だから多数の反対派の強襲にも涼しい顔で対応した。
キューブという強みもあっただろうが、彼の強気の姿勢は彼自身が持つプラーナの後押しがあったからこそだ。
しかしその力は彼のみが有しているもの。
テミステーとブロンテスにはプラーナを操る力は無い。
飢えや寒さで死ぬ危険のない”下”の世界の住人は、必要性に乏しいプラーナの使役を半ば放棄するかたちで生きてきた。
原始的な力よりも、知識と知恵を身に付け、身近から資源を採掘しそれを利用することに注力してきたのだ。
(我々にはプラーナがない・・・・・・!!)
そのことに思い至った時、彼はもう一度ブロンテスを見た。
だがその視線は同胞を捉えるより先に、虚空に明滅したいくつかの光を認めた。
「なん――!?」
忌まわしい風が四方から吹いた。
空間が捻じ曲がるような錯覚の後、無数の光が瞬く。
この変化が何を齎(もたら)すのかを悟る頃には、彼らは既に窮地に立たされていた。
「テミステー殿! キューブをっ!」
人前で狼狽振りを披露することを殊更に嫌うブロンテスは、どこか冷静さを残した風に叫んだ。
が、時は既に遅い。
テミステーがキューブを呼び出すシグナルを発する前に、数本のデバイスが彼に向けられた。
杖の形をしたそれの先端には僅かに魔力を帯びている。
「テミステー・アクロイド殿・・・・・・それにブロンテス・ペイトン殿ですね?」
自分より遥かに高みにいるハズの高官にデバイスを突きつけ、武装隊が静かににじり寄る。
十数名の魔導師が、たった2人のムドラの民を包囲した。
なのはとフェイトは油断なくこの強敵たちを注視する。
ムドラの民は誰もがプラーナを操ると思っている彼女たちにとって、この絶対的優位な状況も危険と隣り合わせには変わりない。
「あなた方を拘束します」
そう宣言したのはクロノだ。
言った本人はそれが難しいことだと分かっている。
相手はムドラだ。
かつてシェイドひとり、デューオひとりに苦戦したように身柄を拘束するのは極めて難しい。
プラーナの前では魔導師は束になっても敵わない。
「・・・・・・・・・・・・」
テミステーはそれに気付いている。
自分には強大なプラーナがあるように振る舞えば、敵は警戒するだろう。
上手くすれば窮地を脱することができるかもしれない。
彼はそれに賭けることにした。
幸いにも魔導師らの死角になるように体を捌き、後ろ手でキューブ起動のシグナルを送ったところだ。
オルコットの南に隠しておいたキューブが起動し、やって来るまで数十秒。
2人のムドラに気を取られている彼らは背後からの攻撃に壊滅する。
――ハズだった。
「これは・・・・・・」
テミステーが見たのは魔法だった。
桜色のシューターと黄金色のランサーが宙を舞った。
それら無数の光球が示し合わせたように中空で展開したかと思うと、次の瞬間には南の空めがけて飛び去った。
(まさかッ!?)
ブロンテスもテミステーもその様子を呆気にとられたように眺めていた。
「キューブを呼ぼうとしたのでしょうけど・・・・・・もう来ませんよ?」
フェイトが一歩踏み出した。
「気をつけろ! 2人はムド――」
「大丈夫」
クロノの制止にフェイトは微笑を向けた。
「この人たちにプラーナは使えないから」
その言葉を証明するように彼女はブロンテスの目の前に立った。
直接に戦う術を持たない彼は、ちらりとテミステーを見やる。
飛来するキューブの数は50機を超える。
先ほどのなのは、フェイトの牽制では全てを撃墜するに至っていないだろう。
このままもう少し待てば、大破を免れたキューブがやって来る。
その混乱に乗じて逃げる事も不可能ではないのではないか?
ブロンテスはこの場においてもなお楽観的だった。
対照的に冷静なテミステーはその策が有効でないことをすぐに悟った。
リンディ救出劇を見れば、その程度のキューブで脱出を図るのは無謀だと分かる。
かといって魔導師に屈する気はないテミステーには、素直に拘束を受け入れるつもりはない。
ここで頼りになるのはやはり――。
「我々を拘束すると? つまり武力行使とみてよいのだな?」
話術である。
「そんな物騒なものではありませんよ。少しお話を聞かせていただきたいだけです」
代表してクロノが答えた。
なのはにも通じる物言いだが、こちらはもっと事務的で強権的だ。
「なるほどなるほど。それでこうして危険な代物を突きつけ、有無を言わさず意図する答えを吐き出させるのだな。
ならばこれは・・・・・・拉致だな。ああ、そういうことか」
緩急をつける彼の言は巧みだ。
反対派の強硬を強調する事でその悪辣さを示すと同時に、あくまで自分たちには非がないと主張もできる。
「そのような権限がきみたちにあるのかね? 管理局の高官である我々を不当に拘束する権利が――」
「あなたたたちはムドラだ!」
クロノがやや感情的になって叫んだ。
「ふむ、だとしてそれが何か? ムドラの民が管理局に属してはいけないというルールは存在しない。それとも・・・・・・。
きみたちは差別主義者なのかな? 魔導師が管理局を支配し、ひいては世界を支配するという――」
「あなた方の言い分は然るべき場所で聞きます、ご同行願えますね?」
クロノは”拘束”を”同行”と言い換えた。
詭弁はたくさんだ、と言わんばかりに簡潔に用件を述べる。
「高圧的な態度だな。魔導師というのはいつもそうなのかね?」
「意に沿わない者を暗殺する人に言われたくありませんね」
「暗殺!? どこの誰がそんなことを? まさか我々が・・・・・・」
「潔白であるなら公の場でそれを証明してください」
クロノがS2Uを持ち上げた。
その素振りにブロンテスが思わず仰け反る。
(我々を拘束したことが世間に知れ渡れば、連中も強硬策をとったことが明るみに出る。だが・・・・・・)
テミステーには不安があった。
リンディの公言によって賛成派が反対派暗殺に動いたこと、その中核がムドラの民であることが広まっている。
これを前提としてしまうと、この度の拘束も魔導師の悪辣さを訴える材料となるどころか、
暗殺を指示した犯罪者を捕らえたことになり、むしろ大義名分の下の当然の行為と映ってしまう。
(我々がムドラであると明かすのは早すぎたのではないか・・・・・・?)
前後を考えれば、この結論に至る。
だがこの老獪が少し前から抱いている不安の正体はこれでもない。
ムドラ相手には無意味と思える手錠を嵌める武装隊を尻目に、フェイトは油断なく辺りを探った。
クロノは主犯の2人を難なく捕らえたことに一応満足しているのか、周囲に注意を払っていない。
「我々を虜にしたところで何も変わらんぞ!」
負け惜しみにテミステーが言った。
「既に多くの高官が賛成票を投じる約束をしている。貴様らの思うようには――」
不意に言葉を切り、彼はフェイトを見た。
フェイトも彼を見ている。
(そうか・・・・・・ッ!!)
瞬間、彼は違和感の正体を漸く突き止めた。
それはフェイトが、
「デューオさんは・・・・・・ここにはいない――!」
と発言するよりほんの少し早かった。
その場にいた全員がフェイトに視線を注いだ。
2人にプラーナの力がないことを察知した彼女は、キューブを撃墜した後すぐにオルコットを視た。
ムドラの民を示す光の粒子は3つなければならない。
彼女は光の粒子にプラーナを認めたが、それはこの2人の体内に僅かに宿る弱々しい光だ。
ムドラの民であれば住処が”上”であろうが”下”であろうが、誰もが体の中にプラーナを宿している。
ただしその差は歴然で、”下”の者が持つプラーナは皆無に等しく、外的に使役することはまず不可能だ。
従ってフェイトがこの2人を探し当てられたのは奇跡に近い。
殆んどプラーナを持たない彼らを探し出すのは、大海に落とした1本の針を探すようなものだ。
もしオルコットにデューオがいたなら、彼女はすぐにその所在を突き止めていただろう。
むしろ彼のほうにばかり注意が向き、この2人を見落とす恐れすらあった。
「オルコットにはいないということか?」
クロノの問いにフェイトは頷いた。
「テミステー殿」
ブロンテスが囁く。
「これはもしや・・・・・・」
このやや楽天的な老人もそこに思い至ったらしい。
テミステーは無言でそれに答えた。
(我々は囮か・・・・・・)
2人は小さく笑った。
フェイトが見抜いたように彼らにはプラーナは使えない。
魔法に覚えのある局員数名で身柄は確保できる。
法案を否決に導きたいリンディ勢にとって、ブロンテス、テミステーの両名は早期に所在を突き止めたい相手だ。
デューオにはもちろんそれが分かっている。
逃亡先をビオドールに教えたのも、このための布石だった。
(よかった・・・・・・ビオドールさんはウソをついてなかった!)
デューオを取り逃がした落胆よりも、ビオドールの証言が真実であったことになのはは安堵した。
彼がリンディの、ひいては自分たちの味方になってくれていると思うと、この殺伐とした現実の中に僅かの光明を見た気分になる。
「デューオ閣下はどこに?」
クロノは身を乗り出してテミステーに問うたが、彼はこの質問は無意味だとすぐに気付いた。
訊ねたところで彼らが答えるハズがない。
回答を得られてもその情報は十中八九虚偽だろう。
それに人探しに関していえば、フェイトの捜索能力に頼るほうがよほど現実的だ。
「我々に答えられると思っているのかね?」
抑揚の無い声で言ったのはブロンテスだ。
「いえ・・・・・・」
クロノはかぶりを振った。
「言いたくないのならそれで結構です。そういう取り調べまがいのことは僕たちの専門外ですから」
負け惜しみに彼はそう付け足し、
「身柄を管理局に引き渡します」
やや高圧的な態度で宣告した。
「ふははははははッッッ!!!」
突然、テミステーが腹を抱えて笑い出した。
「身柄を引き渡す? ”管理局”に?」
「・・・・・・・・・・・・」
「我々はずっと”管理局にいた”のだぞ? そうとも、きみたちよりもずっと前からな」
「そんな事は関係ない! あなたたちは造反者だ! 何人もの高官を死に追いやった犯罪者だ!」
「きみたちの基準ではそうかも知れんな。だからこそ我々を公か、あるいは内々に裁くのであろう」
彼はちらりとフェイトを見やった。
「しかし我々を裁くという行為が本当に正しいかどうか――管理局にとって利益となるかは一考すべきだな」
テミステーの唇が怪しく動く。
この仕草はシェイドと同じだ。
「狂言で惑わそうとしても無駄です。後は本局が判断することですから」
感情的になってしまった自分を戒めるように、クロノは深く息を吐いた。
「ふむ、そうだろうな」
ブロンテスも大息した。
(なぜ来ない・・・・・・?)
2人の老獪は誰にも悟られないように一瞬だけ視線を合わせ、互いに疑問を投げた。
意味深な言葉で翻弄して時間を稼ぎ、デューオの援護を待つという作戦は、
絶妙な掛け合いによって完成こそしたが、肝心の闖入者は一向に姿を見せない。
(やはり思ったとおりであったか・・・・・・)
テミステーは小さく鼻を鳴らすと、クロノに歩み寄った。
すぐさま傍にいた武装隊がデバイスを向ける。
「さあ、我々を連行するがいい。そのために来たのだろう?」
クロノは訝ったが、そもそもの目的を思い出し2人の手首に拘束具を嵌めた。
この間もなのは、フェイトは周囲への警戒を怠らない。

デューオがいない――。

この事実は安堵と同時に不安をも齎す。
「デューオめ・・・・・・」
クロノたちの後ろを歩くテミステーがそう呟いたのを、フェイトは聞き逃さなかった。

 

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