第14話 悪性

(賛成派の要人は逮捕された。状況はリンディたち反対派に有利に傾き始める。しかし――)

 透き通るような青空は、最初は膨れ上がり次第に千切れ去る雲に大半を覆われている。
雲の向こうは見えない。
地上にいる者がその先を見るためには、雲が晴れるのを待つか、自ら雲の反対側に回るしかない。
「ああ・・・・・・」
今や孤独となった老獪は天を仰いで大息した。
ブロンテス、テミステーを囮に使う手は以前から考えていたものだが、いざとなるとその損失の大きさにため息が出る。
頼りになるのはもはや自分ひとりだ。
手中にはまだ無数のキューブがあるが、協力者がいない今となっては運用は難しい。
(あの少女は間もなくわしの居所を突き止めるだろう。その時、確実な勝利を狙って多勢を率いるに違いない)
綿密な考察を重ねなくとも分かることだ。
デューオにとって味方が自分ひとりであるのなら、彼女たちにとっても敵はひとりということになる。
となれば総力を挙げて彼の捕縛に動くだろう。
過激な賛成派がムドラの民と判明した以上、臆病と嘲笑われるほどの戦力が揃うのは目に見えている。
(それはそれで好機だ)
負け惜しみではない。
彼にとってそうなることが野望の達成への一本の道となる。
フェイトたちの戦いは避けられない。
いずれ両者は再びぶつかり合う。
もちろん彼には既に勝敗が分かっている。
重要なのは――。
その場所とタイミングだ。
狡猾で計算高いムドラの民は反対派との最後の戦いを、ただの主義の衝突としては見ていない。
この戦いすら後の布石となるデモンストレーションとして利用するつもりだ。
従ってこのPRが最も効果的に作用するステージを用意しなくてはならない。
(さて、どうしたものか・・・・・・)
具体的な策はまだ、ない。
ここまでの展開が思いのほか早く、彼には十分に思考する時間が与えられなかった。
デューオはいくつかのミスを犯したが、これが最も大きな失態だったかもしれない。
問題があった。
頼れる味方がいなくなったことではない。
敵の動きが予想以上に速すぎることだ。
例えばリンディを監禁してからの救出劇。
あっさりと場所を見破り、短時間で改良したキューブまで投じたリンディ勢の機動力は侮りがたい。
(・・・・・・・・・・・・)
いまひとつ憂慮すべきは一時的に圧倒的多数となった賛成票が反対派に流れることだ。
これまでのように賛成派、反対派問わず強引な手法を用いることはできない。
議案を取り巻く戦場で幅を利かせられるのは今となってはリンディの側だ。
(わしがムドラである事が知られ、ブロンテス、テミステーが敵の手に落ちた)
そのどれもが彼の狙い通りである。
些か早計とも思えるこれらの策は、人の心理に対して彼の思うように作用する。
まず彼自身は魔導師との和平を望んでいない。
むしろかつてのシェイドの遺志を汲むように管理局を滅ぼし、ムドラの民による支配を願う彼にとっては、
両者の対立が深刻になればなるほどよい。
話し合いも通じない脅威が現れたとなれば、管理局も軍隊化を視野に入れざるを得ないハズだ。
同志が捕縛された、という状況も見方によっては好都合だ。
2人と密かに連絡をとる手段を得られれば、反対派の情報を手に入れることができる。
それができなくとも彼らがムドラということでリンディたちは警戒するだろう。
却って思い切った行動がとれなくなり、すぐに反対派が勢力を盛り返すという危険も少なくなる。
(当面は様子見――膠着状態が続く、か・・・・・・)
爆弾を抱えているために動きが取り難くなったリンディ勢。
仲間を失い行動の幅が狭くなったデューオ。
こう考えれば今回の一件は痛み分けと捉えられなくもない。
(しかし最後に勝つのはいつもわしよ)
彼は口の端を歪めて笑った。
たなびく雲は風に乗って消え、青空は堂々とその姿を現した。

 

 中立公平な立場を基本とする時空管理局は、捕獲した要人の口を割らせるために拷問という手段をとることはできない。
たとえ相手が関係者であっても証言を引き出すには訊問しかない。
「もどかしいですね」
リンディの心情を察してロドムが言った。
賛成派の中核を取り押さえたのはフェイトたちの手柄だったが、訊問は局の専門家が行うため、
彼女たちはその場に居合わせることさえ叶わなかった。
「しかたないわ。私たちの仕事は別にあるもの」
この諦めや失望を知らない女性は、あくまで廃案のために戦うと言い切る。
「あの2人から何か情報を得られればよいのですが・・・・・・」
「そう、ね・・・・・・」
それは難しいだろう、と誰もが分かっていた。
暗殺という非情な手を使うからには、その精神力は強靭だ。
法案成立に向けた強い意志もある。
代わる代わるの質問にも頑なに口を結ぶだろう。
「ところでこれからはどうなさいますか?」
局面が大きく動いた時、この頼りになる部下はまずリンディに今後の動きを訊ねることにしている。
「逮捕者が出たことで、賛成派は慎重にならざるを得ないハズよ」
真実の読み取り方は無数にある。
デューオと違い、彼女はこの度の動きが反対派に有利に転ぶと睨んだ。
ネガティブキャンペーンはリンディの嫌うところではあるが、この状況を利用すれば世論を動かせるかもしれないと思っている。
尤も法案の可否は高官の持つ投票権にのみ左右されるから、直接の投票権を持たない者たちへの訴えかけは、
注目させるという意味では有効だが廃案に追い込む風にはなりにくい。
演説はそろそろ終わりにするべきではないだろうか、と彼女は思った。
これからは実際に投票権を持つ者との交渉が必要だ。
暗殺に怯えて賛成派に回った高官も多くいる。
その危機が去ったと分かれば再び当初の意思に忠実になってくれるかもしれない。
「まずは同志と会いましょう。彼女たちの意見も聞きたいし」
リンディは静かにそう言い、襟を正した。

 

 この少女は瞳に揺るぎない意志を滾らせたかと思えば、次の瞬間には不安に押しつぶされそうな陰鬱な顔をする。
シェイドの死を無駄にしたくない。
闇との戦いをさらなる和平の足がかりにしたい。
そうした彼女の想いは常に裏切られ続け、気が付くと魔導師とムドラの戦いにまで発展してしまっていた。
まるで見えない力が世界で起こるあらゆる出来事に干渉し、結果を悉く彼女の理想とはかけ離れた形に導いているようだ。
「フェイトちゃん・・・・・・」
心労に身を窶した時、いつも彼女を支えるのはこの少女だ。
「なのは――」
高町なのははぼんやりと中空を見つめるフェイトに寄り添った。
目的とするところは同じだが、2人の闘う理由はいくつかの点で異なる。
今は亡きシェイドの為に魔導師とムドラの和平を目指すフェイト。
なのははメタリオンに寝返った際の横行をリンディに庇われたことから、その贖罪をする意味で闘っている。
主義、主張、旗幟。
言葉は違うがそれらが意味するところは同じだ。
つまりは”個”。
この世界のあらゆる諍いは”個”のぶつかり合いなのだ。
魔導師とムドラの戦いは、そのままフェイトとシェイドの戦いだった。
今また引き起こされた戦いは、今度はフェイトとデューオの戦いでもある。
「平和って難しいね・・・・・・」
この言葉はなのはの口から出たからこそ重みがある。
「うん」
「みんなが仲良くする。それだけなのに」
「仕方ないよ。人それぞれ生きてきた道が違うんだから」
フェイトとなのはも、かつてはその生きてきた道の違い故に死闘を繰り広げた仲だ。
今さら歩み寄りや和解の難しさを論じる必要はない。
だが彼女たちの戦いと、今とでは全く違う。
なのはにはフェイトに対する憎悪は無かった。
フェイトにはなのはに対する敵愾心は無かった。
初めてぶつかったその瞬間から、2人には歩み寄りの余地があったのだ。
デューオにはそれがない。
もはや心変わりを期待できる年齢ではない。
憎悪によって武装されたあの老獪は、記憶を失っても魔導師への敵対心だけは忘れずにいるだろう。
「投票、もうすぐなんだよね?」
「うん。一週間後だって」
組織の難しい話が分からない2人には、先の展開を読むことはできない。
可決すれば何がどう変わり、否決に終われば何が守られるのかは分からない。
少なくともなのははリンディが反対派だから、という理由でそれに追従しているにすぎず、
仮に彼女が賛成の意思を表明すればこの少女は何の疑いもなく受け入れるだろう。
なのはにとって軍隊化はさほど大きな意味を持たない。
この点、フェイトはしっかりとした考えを持っている。
管理局が大きな力を持つことが、いかに危険であるかを彼女は知っている。
賛成派の主軸がムドラの民であると分かった瞬間から、フェイトは何としてもこれを廃案にしなければならないと思った。
軍事力の保有はつまり戦うことを前提とし、戦うことを肯定する。
デューオは和平を解消し、再びムドラ対管理局の構図を呼び戻そうとしている。
そのために彼がとった行動はムドラが一方的に憎悪を叩きつける形にするのではなく、
管理局の側からもムドラへの積極的な攻撃を行わせることに繋がる。
(あの人は・・・・・・魔導師に復讐したいハズなのに?)
ここがフェイトには分からない。
策謀を巡らせて同じくムドラの復興を願っていたシェイドは、もっとシンプルな方法をとっていた。
彼のやり方はアースラの中で対立を起こさせ、内側から管理局を無力化するという巧みな手だった。
比してデューオの計画が進んでも、ムドラによる支配や管理局の崩壊を実現させるどころか、
逆に管理局を強くし、ムドラを疲弊させる無意味な結果しか招きそうにない。
回りくどい手は相手を翻弄して真の敵の姿さえ見失わせる効果的な作戦だが、
それによってデューオが得られるものはあまりに少なすぎるのではないか。
(分からない・・・・・・)
フェイトはかぶりを振った。
分かろうとすればするほど分からなくなる。
こうした問題は自分たちでなく大人――リンディを筆頭とした管理局の人間――が考えればいい。
彼女はそう思いなおすことにした。
デューオが何をどう考え、何を狙っているのかを推測しても意味はない。
あの老獪がどのような手段に出ようとも、それが軍隊化を押し進め、魔導師とムドラの仲を引き裂くものであるならば、
彼女がすべきはそれを阻止することだ。
シェイドと同じムドラの民と敵対してしまう事実に少女はいくらか胸を痛めるが、彼の為の戦いでもあると思えばいくらか気は楽になる。
自分の信じる正義が揺るがない間は、ただひとつの結果に向かって突き進むのみだ。
(シェイドが生きていてくれたら・・・・・・)
彼女は何度もそう思い、そう思う度にあの少年の影を追い求めてしまう。
強く、賢く、自分の信念に忠実だった彼がいたら――。
今の自分に何と声をかけてくれただろう。
どのやって賛成派に立ち向かっただろう。
真に彼を理解しているハズのフェイトも、仮に彼が生きていたらどうしていたか、を想像することができない。
「きっと大丈夫だよ」
なのははにこやかな笑顔を浮かべた。
大丈夫だという根拠はない。
デリケートな部分も含む事件は、ただの”前向きな想い”だけでは解決しない。
それでも彼女にはそう言うしかなかった。
なのはにとってはリンディもそうだが、フェイトもまた恩人だった。
虚偽を吹き込まれたとはいえ、一度はメタリオンに寝返り多くの管理局員を屠ってきた。
人を守るための力を人を倒すために用いた彼女は、悪辣の道に堕ちかけていたのだ。
その闇から救ったのがフェイトだった。
何度も交えた光刃が彼女の闇を照らしたのだ。
「ありがとう、なのは――」
フェイトはほんの僅か表情を弛緩させた。
根拠などなくてもよい。
この少女にたった一言かけられるだけで、フェイトは万倍の勇気と力を得る。
「わたし、ちゃんと戦うから」
「え・・・・・・?」
なのはがふと漏らした言葉に、フェイトは首を傾げた。
「今度は、大丈夫。絶対に惑わされたりしないから」
「・・・・・・・・・・・・?」
彼女が何を言っているのか、フェイトが理解するのに数秒を要した。
辛い過去がある。
思い出したくない以前がある。
真っ直ぐな、強い心を持っているハズの高町なのははメタリオンに取り込まれ、闇に付け入られた。
固い信念は本来揺るがないものであるが、逆に1度バランスを崩すと、誤った方向にその信念を固めてしまう。
彼女が最初から最後までフェイトを信じることができていれば、避けられた悲劇なのだ。
それを考えると、決意の揺らぎこそが今回の戦いにおける最大の障害とも言える。
デューオの知識、知恵、話術。
そのどれもがシェイドに匹敵――あるいは超越――する。
ほんの僅かでも迷いを見せれば、プラーナはその隙を目ざとく見つけて入り込んでくるだろう。
「私は――戦うよ」
高町なのはは自分が何の役にも立てないかもしれない事実を恐れた。
対話の余地がある相手なら解決の道はいくらでもある。
魔法を使う相手なら多少強引な手段がある。
しかし敵はそのどちらでもない。
類稀な魔法の才能も何の意味も成さない強敵だ。
彼女は基本的に話し合いによる相互理解から物事の解決を図ろうとするが、
相手が聞く耳を持たない場合には力と力によるぶつかり合いも辞さない。
ただしそれは対話の場を設けるチャンスを獲得するためで、相手を傷つけるのが目的ではない。
今回の場合は・・・・・・。
その場を設けることすら難しい、となのはは分かっていた。
そもそもこの戦い自体が既に”対話”だったのだ。
賛成派と反対派の、互いの主義と主張の戦いだったハズだ。
しかしそれは始まる前から力と力のぶつかり合いだった。
賛成派はムドラの憎悪を宿して残酷な一撃を放ったのだ。
話し合いをする素振りすら見せずに。
「・・・・・・・・・・・・」
魔法ではプラーナに対抗できない。
唯一彼らと対等に渡り合える武器――エダールモードはデバイスから取り外されている。
フェイトの役に立ちたい、リンディに恩返しをしたいと彼女が本気で願うなら、それを叶える唯一の術はこのエダールモードを使うことだ。
しかしそれはできない。
この失われた武器に手を出した瞬間、ムドラとの和平は遠のく。
フェイトにとっても、リンディにとっても望まない結果にしかならない。
「ありがとう」
何事か思案していたらしいフェイトは、儚げな笑みを浮かべて呟いた。
「でも無理はしないで。相手は――」
「分かってる」
魔法がどこまで通用するかは分からない。
デューオとの対話の架け橋になるどころか、足止めとしての効果さえ発揮できないかもしれない。
それでもなのはにはその力に頼るしかなかった。
「私に何ができるか、どこまでできるか分からないけど・・・・・・でも・・・・・・」
そう口にするだけでよかった。
実際、彼女がこの戦いでどれだけの働きをするかは問題ではない。
彼女がフェイトの、リンディの友であり味方であり続けることが重要なのだ。
その優しさを向けられている少女は――。
「なのはの気持ち、すごく嬉しいよ」
素直にそれに応えた。
「その、うまく言えないけど勇気が湧いてくるっていうか・・・・・・」
「フェイトちゃん・・・・・・」
その一言がなのはを救った。
自分にもできることがある、居る意味があると。
強く思えた瞬間だ。
「負けたくない――ううん、違うかな。諦めたくないんだ」
フェイトは言う。
「こんな事になったけど、ムドラとはきっとちゃんと和解できると思う」
フェイト・テスタロッサは多くの意味で強かった。
「みんながみんな、デューオさんみたいに考えてるわけじゃないと思うから」
「できるよ」
なのはは頷いた。
確信はないが自信はあった。
彼女はひとりで、あるいは誰かの助けを借りて大抵の事は乗り越えてきたのだ。
「大丈夫だよ・・・・・・」
なのははもう一度言った。
フェイトが今でもシェイドの影を追い続けていることを、彼女は知っている。
この戦いを管理局やムドラの問題とだけ捉えず、彼の為に戦っていることも分かっている。
その想いを無駄にしないために、なのはは決意を新たにした。
フェイトは――彼女にとってとても大切な親友だ。
自分を何度も救ってくれた親友だ。
(・・・・・・・・・・・・)
なのはがフェイトに想いを向けるように、フェイトは今は亡きシェイドに想いを向けていた。
あの賢しくて、勇敢で、強い少年に。
できることならもう一度会いたい、と彼女は願った。
プラーナの闇が世界を覆いかけた時、彼はこの世界に舞い戻ってきたハズだ。
それと同じことが、もう一度起こりはしないかと。
彼女は希った。
非常事態なのだ。
展開次第では管理局にとってもムドラの生き残りにとっても悲惨な結末を迎えるかもしれない重大な事態だ。
(シェイド・・・・・・)
あの時のように。
あの時のように彼が姿を変えて現れはしないかと。
彼女は願った。
しかし現実は甘美の夢を見させた後、決まって辛辣な最後を迎えさせようとする。
それを食い止めることができるのは今、この世界に生きている者だけだ。
フェイトには分かっていた。
デューオとの対決が目の前に迫っていることを、彼女は悟っていた。
投票まではまだ時間がある。
「・・・・・・・・・・・・」
時が来れば賛成派と反対派が議場でぶつかるだろう。
しかしそれは彼らの戦いであって、フェイトの戦いではない。
彼女の戦いはそれよりも前に始まり、それよりも後に決着する。
フェイトの感覚は遠くない未来の有様を告げていた。

 

「連中の手足はもがれたも同然よ」
久しぶりの再会と齎された吉報にレイーズは高い声で言った。
「これからは向こうがどんな行動をとっても裏目に出るわ。賛成派に靡く者はもういないでしょうね」
カーナは何事においても冷静で慎重な性格だが、賛成派の中核が捕獲されたということもあり、いくらか慢心しているように見える。
だがこれは彼女の計算だった。
過度の緊張が心身を疲弊させ、判断力や思考力を鈍らせることを彼女は知っている。
明るい兆しが見えた時には大仰に喜んでみせることで集った仲間の心を解きほぐし、さらに絆を強める効果を彼女は期待した。
「そう思えればいいのだけど」
そんな彼女の配慮を台無しにしたのは浮かない表情のリンディだ。
反対派に有利に傾きつつある、というだけで圧勝という展開ではない。
彼女にこのような表情をさせているのは、取調べを受けている2人のムドラが何も喋らないのが原因だった。
「取り調べには立ち会えないけれど、状況は逐一知らせてもらえるの」
間接的に進展を把握できることにリンディは喜んでいたが、得られる情報は黙秘という冷たい結果ばかりだった。
「逆に考えましょう。連中は手詰まりだから何も言えないのよ」
レイーズは陰鬱な空気を吹き飛ばすように言った。
根拠のない慰めだったが、この意見は肯綮に中っている。
「少なくとも彼らの要はこれで取り払われたわ。投票まで10日を切ってる。油断さえしなければ――」
廃案に持ち込める、と彼女は強調した。
「これまで態度保留にしていた高官の数名が反対の意思を表明したわ。今回の逮捕は既に効果を発揮しているのよ」
反対派の彼女たちはデューオと違って、満場一致での否決を望んでいるわけではない。
たとえ僅差であっても廃案に持ち込めばそれで目的は達成できる。
「でも懸念もあるわ・・・・・・」
言ったのはカーナだ。
「肝心のデューオ閣下の行方が分からない」
これだけの騒ぎを起こした張本人を引きずり出さなければ、この戦いの本当の意味での終わりは来ない。
決着は――。
法案の不成立という形だけでは着かない。
「彼が主格なのか、それとも他にも誰かいるのかは分からないけれど・・・・・・。放っておくのは危険だわ。
一週間後の投票で否決されても、通るまで修正案を出してくる可能性があるもの」
外交という人付き合いを中心とする仕事に携わるカーナは、多くの善良な人間と悪辣な輩を見てきた。
後者は決まって狡猾で計算高く、しかも執念深い。
デューオの非を打ち鳴らし、大衆の前に差し出すことでしか彼に対する勝利はない、と彼女は考えている。
「手の打ちようがないわ」
リンディは落魄した様子で言った。
テミステー、ブロンテスの2人を捕縛できただけでも奇跡のようなものだ。
その奇跡はほぼたったひとりの少女が起こしたと言ってもいい。
つまるところ彼女たちだけでは彼にアプローチする能力は殆んどない。
「あなたのところの魔導師は? そもそもムドラという存在を知らしめたのもそれがキッカケよね?」
「え、ええ・・・・・・それは・・・・・・」
ここに来てもなお、リンディはあの優秀な少女たちを戦わせたくないと思っている。
この願いは叶わない。
デューオがムドラの民だと分かった瞬間から、彼に立ち向かえるのはフェイトだけとなったのだ。
「できれば平和的に解決したかったけれど――」
「あなたがそう思うこと自体が連中の狙いなのだわ」
カーナは長大息した。
「賛成派が力で捻じ伏せようとする。それに対抗するために私たちも力を使う。私たちは私たちが否定する力を使うことになるのよ」
「分かってる。分かってるけど・・・・・・」
「ひいては反対派が軍隊の必要性を説くことになってしまう。連中がやりたかったのはきっとこれね」
「そう、ね・・・・・・」
あり余る力はその存在よりも、それをどう使うかが重要だ。
思慮の浅い者や、後先を考えない野蛮な人間がそれを手にすれば必ず災禍を招く。
それだけは何としても防がなければならない。
最悪の事態は彼女たちが守ってきた管理局や無数の世界を全て壊し尽くしてしまうかもしれないのだ。
「さて、これからの話だけど――」
「・・・・・・これから?」
「ええ、”これから”よ」
リンディは遠い目をして言った。
「私たちにできることは多くないわ」
彼女はわざわざ分かっていることを言った。
「あの2人が何も証言しない以上、そこから得られるものはないもの。この先はデューオ閣下がどんな手を使ってくるか分からない。
反対派が協力して監視の目を光らせるくらいしか・・・・・・」
「今さら彼に何ができるかしら?」
慎重なリンディに、やや楽観的に構えるレイーズが問う。
「あなたたちの成果で正体は明るみになったし、中核を担っていたらしい2人も捕まってる。動こうにも動けないのよ」
「それは違うわ」
リンディははっきりと反駁した。
「向こうには私たちにできないことができるもの」
「・・・・・・・・・・・・?」
「私もいくらかは追い詰めたと思ったわ。でもそうじゃない。デューオ閣下にはもう守るものがないのよ。失うものが。
だから何だってできるわ。艦を議場にぶつけて何もかも無かったことにすることも・・・・・・」
手負いの獣は恐ろしい。
最後には倫理観も道徳心も抜きにして、形振り構わず蛮行に及ぶ。
リンディが言うように、デューオにはもう後がない。
玉砕覚悟の猛攻をしかけてくる可能性すらある。
「もしそんな事になったら投票は有耶無耶になるわね」
レイーズがため息まじりに言った。
彼女はそれを反対派にとって勝利になるという意味で言ったが、リンディもカーナもむしろ賛成派に有利になると分かっていた。
デューオの蛮行が疑心暗鬼の種を蒔き、軍隊化に正当性を与えてしまうからだ。
「ここまで来たら演説にはあまり意味はないわ。投票権を持つ高官にアクセスして直接詰めるほうがいいわね」
カーナは常に建設的な意見を述べる。
リンディは彼女のそういうところが好きだった。
「それはあなたに任せるわ」
仕事柄、人脈の広いカーナなら多くの高官と接触できるだろう。
その手腕を見込んだリンディはあっさりと大役を彼女に譲った。
「元よりそのつもりよ」
それが自分に課せられた役割だ、と言わんばかりにカーナは得意げに言う。
「これまでのように脅威が目前に迫っているわけじゃないから、反対票を投じたいとする者が多く出てくると思うわ。
逆に閣下たちの横行が明るみになったことで、賛成の声をあげ難くなる。今のところは私たちに有利に見えるけど」
リンディは神妙な顔つきで言った後、
「やはり閣下を捕らえなければ何もならないわ」
あくまで戦う姿勢を見せた。
こうなると楽天的なレイーズも態度を改めるべきだと思い至ったようで、
「警備隊を増やしたほうがいいわね。反対派だけじゃなくて賛成派も守るために」
「賛成派を?」
敵を擁護する発言にリンディは眉を顰めた。
「あなたたち、まさか反対の意思を表明してる人だけが反対派だと思ってないわよね?」
レイーズは意外そうに言った。
2人は互いに顔を見合わせて首をかしげた。
「いるのよ。賛成派の中にも反対派が」
「ちょっと待って。言ってる意味がよく・・・・・・」
「つまり――」
彼女はわざと一呼吸置いた。
「賛成派として括られてた高官の中には反対の意思を持つ者がかなり前からいたのよ。
法案可決のために連中が暗殺という手段を取ってからかしらね。表向きに賛成という声をあげだしたのは」
「それって・・・・・・?」
「連中に狙われるのを恐れてのことよ。そういう人たちは最後まで賛成派として振る舞うわ。
でも投票が始まれば反対票を投じる。そうやって生き延びてきた高官がたくさんいるのよ。
実際、私が親しくしている中にも3人ほど、”賛成派”という名前を隠れ蓑にしてきた人がいるわ」
この何事も深刻に考えないらしい女性も、リンディやカーナの後ろで密かに動いていたらしい。
いつの間にか手の届く数名と接触し、その旗幟を探り出している。
「でもそれだと警備を強める必要はないんじゃないの? そのための偽りなんだし――」
「念のためにね。それがバレないという保証はないから」
今回の問題については鬼謀妙計が飛び交っている。
味方だったハズの同志が敵に寝返ることもあれば、怨敵が翻って仲間になることもある。
行き過ぎた備えなどないのだ。
「でもそういう高官がいるなら反対票は思いの外、多いということね」
「ええ。逆に反対派を装う賛成派はいないハズだからね」
未来が見え始めてきた。
度重なる妨害の中、劣勢と思われてきたリンディたちはここにきて光明を見出す。
法案の否決は近い。
彼女たちが注意すべきはただ一点に絞られた。

 

 フェイトは再び特別な視力を用いた。
愛杖バルディッシュの力を借り、彼女は世界を視た。
目を閉じた少女の視界に、この世界を構成する粒子が広がる。
この力の前では時間も距離も関係ない。
フェイトが視たいと思うものが、強大な魔力によって浮かび上がってくるのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
デューオ・マソナ。
ムドラの生き残りであり、狡猾な野心家。
己の信念に忠実な老獪だ。
彼のプラーナを辿れば、きっとその居場所を突き止められるハズだと。
彼女はそう思っていた。
しかしその目論見は見事に外れてしまう。
目も眩む夜景の中から星の瞬きが見えないように、彼女の視力はデューオを追跡できない。
悪意を纏った粒子が彼の姿を隠しているのかもしれない、とフェイトは思った。
(ここからじゃ視えない?)
星空だ。
真っ暗な夜に星を見つけたければ、高いところに登ればいい。
うるさすぎる光の中にいては、それより暗い光は決して見えない。
時空管理局地上本部があるこの場所には、人や物が多すぎる。
オルコットでデューオの影を見つけられたのは奇跡に近かったかもしれない。
(どこか別の場所に移ったほうがいいのかな?)
こういう時、彼女はやはりシェイドがいてくれたら、と思ってしまう。
彼ならきっと、あらゆる場所からデューオの位置を感じ取れたに違いないと。
そう思ってしまうのだ。
魔法とプラーナを隔てていた境界を彼女は越えたが、生粋のムドラに敵うほどのプラーナを手にしたわけではない。
後天的に得たこれは憎悪を源とする、魔導師にとっては悪しき力だ。
実際、それを行使することを快く思わない局員もいる。
そういった人物はたいてい、ムドラとの戦いで親しい者を喪っている。
結局、力でもって事を成すのは一時の解決とさらなる問題を生む。
多くの人間はそれを心得ているが、長い歴史の中で人々はいつまでも間違い続けている。
魔導師とムドラとの戦いも数ある過去のひとつでしかない。
それをいかに稀有な能力を持っていたからといって、少女ひとりの手で繰り返す歴史に終わりを齎すことなどできはしない。
彼女にできるのは、このたったひとつの争いを解決することだけだ。
「・・・・・・・・・・・・ッ!?」
フェイトは悪い予感がした。
自分が探していたものが決して見つからず、しかしその探しものが向こうからやって来るのを感じた。
具体的な予感だ。
彼女について何も知らない者が聞けば笑い飛ばしそうなほど滑稽な妄想だ。
だがフェイトはそれを信じた。
何か気にかかる事があればどんな些細なものでも気に留めておく。
彼女はずっとそうしてきた。
それが杞憂に終わることもあれば、問題の核心に迫るキッカケを与えたこともある。
(たぶん、デューオさんだ――)
あの老獪が絡んでいるであろうとフェイトは踏んだ。
この状況ではもはやそれ以外には考えられない。
今さら反対派にとっての脅威はない。
あるとすれば彼自身なのだ。

 

フェイト・テスタロッサの直感は正しかった。

この翌日、デューオ・マソナは極めて意外な行動に出た。

 

   投票日まで あと7日

 

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