第15話 再発

(追い詰められたデューオは大胆且つ愚かな一手に出る。それによりフェイトはついに彼の居所を突き止める)

 このひとつの出来事は、全ての反対派に衝撃を与えた。
彼らが最も初期にとったのと同じ行動を、今になって賛成派は実行に移したのだ。
遅すぎる手段だった。
あまりに幼稚な方法だった。
既にその段階を終えているハズだが、彼は敢えてそれをした。
それがどれほどの効果を及ぼすかは誰にも分からなかった。
発信者も受信者も、誰にも何も分からなかった。
ただ、いま、彼はそれをしている。
この現実には管理局に属する誰もが真摯に向き合わなければならなかった。

 

 以下は賛成派デューオ・マソナが管理世界の全ての通信周波数への乗っ取りを行った際の記録である。
各管轄区域より収集したデータを解析した結果、同時に配信された同一のメッセージであることが確認された。
これは映像、音声が最も鮮明に記録された第17世界にて受信したデータの抜粋である。

 

この世界に生きる、全ての命に訴えたい。

我々は今、未曾有の危機の前にいる。

それは凶悪な事件でも大災害でもない。

世界そのものが変革することである。

時空管理局はその立場から、多くの世界で起こるいくつもの問題を解決してきた。

それによって平和を取り戻したこともあれば、災禍を広げたこともある。

しかし今なお、各地では看過すべきでない事態が相次いでいる。

これは何故か?

なぜ管理局がありながら、局員は問題解決に今も奔走しているのか?

これは管理局が正しく機能していないからではないかと私は考えている。

耳に心地よい理想ばかりを掲げ、それを実行するに足る力を持っていないのである。

せいぜい自分の身を守る程度のデバイスを与えられた武装隊が、戦地に飛び込んで何ができるだろうか?

民間の協力者がいなければ事件のひとつも解決できない管理局に、いったい何が管理できるだろうか?

彼らには力がないのだ。

力も、指導力も!

P・T事件はある民間の少女の協力がなければ進展はなかった。

解決など不可能だった。

有能な士官も提督も、自分の力だけで”管理”することができなかったのだ。

数多くの武装隊も何もできないままプレシア・テスタロッサの前に倒れた。

たったひとりの犯罪者に管理局はその無能ぶりを露にしてしまったのだ。

だが彼らはそれを省みることをせず、再び同じ過ちを繰り返そうとしている。

力の無い者に正義を標榜する資格は無い!

彼らはいずれ世界どころか、たったひとつの地方さえ救えなくなるだろう。

私にはそれが手にとるように分かる。

私はそれを憂えている。

このままでは誰のためにもならない。

管理局が管理局として在り続けるためには、もっと強い力を手に入れなければならない。

そう思い、我々は軍隊化を提唱した。

管理局が誰よりも強くなれば、その力で抑えられないものは何もなくなる。

世界に平和と安全と秩序を齎すことができるのである。

しかし今、それをできる人間の多くが愚かにもそれを妨げようとしている。

手に入れられるハズの力を自ら捨て、自ら管理局を惰弱にしようとしている。

彼ら反対派はもはや管理局の人間ではない。

自ら世界を守ることを放棄した人間に、管理局の一員であることを名乗る資格はない。

私は敢えて言う。

反対派は我々、平和と安全と秩序を願う者にとっての敵であると。

管理局が脆弱になれば、いったい私たちの安全は誰が守ってくれるだろうか?

軍隊化は我々を守る唯一の道である。

どうか一度、考えてほしい。

管理局が力を持つ意味を、よく考えてもらいたい。

我々は軍隊化が世界の平和に繋がることを確信している。

それを理解しない、保守的で愚昧な反対派はただちに駆逐しなければならない。

我々は我々の信念に従い行動した。

強攻策に出たのは管理局の弱体化を憂えてのことである。

少々、過激な手段を用いなければ何も変わらなかったからである。

それに対し反対派は何もできなかった。

あくまで弁論による軍隊化回避に走り回っただけだった。

これが何を意味するか、あなた方はもう分かっているハズだ。

管理局はもう何も守れないのだ。

仲間を手にかけた敵にさえ、何もできないのだ。

もしあなた方の親しい者が、凶悪な犯罪者に殺されたら?

彼らはどのような措置をとってくれるだろうか?

制裁を加えるだろうか? 遺恨を晴らしてくれるだろうか?

そんな事は有り得ないのだ!

彼らは保守的に、犯罪者を手厚く保護して更生の道を歩ませるだろう!

遺族の気持ちを斟酌することもなく!

それは何の解決にもならない! 問題の先延ばしですらない!

罪を犯した者はその重さに応じて報いを与えなければならない!

――そうとも!

我々賛成派が法案成立のために反対派を暗殺したというのなら、同じ手段をもって我々を制裁するべきなのだ!

しかし彼らはそれをしなかった!

我々を野放しにした!

結果、反対派からはより多くの犠牲者が出た!

早期に我々を捕らえ、見せしめに制裁を加えていれば防げた犠牲だったのだ。

彼らは――反対派はこの世界に生きる”全ての我々”にとっての反逆者である!

物事の表面だけを見れば賛成派こそ反逆者だと誤解してしまうかもしれない!

それは間違いなのだ!

真の反逆とは”何もしないこと”なのだ!

力は無く、変化を恐れ、保守に走る・・・・・・。

これが今の管理局である!

諸君よ!

力を持つことを恐れてはいけない!

変化を躊躇ってはいけない!

力ある者のみが正義を掲げる事を許されるのである!

あらゆる世界のあらゆる危険から平和を勝ち取るために!

時空管理局に秩序ある正しい力を与えようではないか!!

 

 

 

「ふざけたことを・・・・・・!!」
突然の”放送”を観ていたクロノは憤りを露にした。
デューオの狡猾さはここにも表れていた。
実に大胆な方法だ。
場所を設けて集った聴衆に呼びかけてきたリンディに対し、デューオは電波ジャックといういつもの過激な方法をとった。
これならこの問題に興味を持つ者も、関心を持たない者も関係なく一斉にメッセージを届けることができる。
「詭弁も甚だしいわ」
クージョも怒りを隠さない。
デューオの弁論は見事だった。
彼はその主張の中で賛成派が暗殺という手段を用いたことを認めた。
だがそれに対し反対派が思い切った反撃に出なかった事実を逆手に取り、それを管理局の弱さのように話をすり替えた。
注意深く聴けばいくつかの穴があるメッセージも、全てを見透かしたような彼の語り口調がその瑕疵を覆い隠す。
この老獪はさらに、彼にとっておそらく最も脅威となる少女への攻撃も同時に行った。
「気にするな」
クロノは短く、小さくフェイトに言った。
母プレシアを犯罪者だと言われた時、彼女はびくりと体を震わせた。
効果的な一撃だ。
強い意志と信念を持つ者であっても、かつての傷を抉られればその痛みは計り知れない。
この小さな牽制は後になってじわりと効いてくる。
目には見えない棘が心に突き刺さったまま時が経てば、それはやがて有能な少女を貫く刃になる。
こうした小細工を用いるのはデューオが彼女を密かに恐れているからであるが、この真意は誰にも気付かれない。
「それにしても――」
リンディは怪訝そうな顔をした。
「今になってこれが何になるのかしら?」
ここが彼女には理解できない。
「投票まで一週間もないわ。こんな”演説”で賛成票が増えるとは思えないけど・・・・・・」
慢心が命取りになると分かっている彼女でさえ、デューオの行動には警戒しなくてもよいのではないかと思った。
「たしかに」
ロドムが頻りに頷く。
たとえこの手法をその日まで繰り返したとしても、票数はさして変わらないだろう。
その意味では全く効果を成さない。
彼が求める法案の可決には近づかないハズだった。
「挑発かもしれません」
クロノがモニターを睨みつけて言った。
「デューオ閣下は自分が捕まらない限り、この戦いは終わらないと思っているのでしょう。
ただのアクションにしても幼稚すぎます」
彼はいい加減、”閣下”と呼ぶ必要はないのではないかと思った。
誰もが知っている犯罪者に敬意を表する必要はない。
「挑発じゃなくて挑戦なのかも・・・・・・」
フェイトは演説の模様を繰り返し再生するモニターを凝視した。
語るデューオの眼差しには、信念を貫こうとする者が宿すべき光がなかった。
賛成派として、というよりもむしろ”反対派の敵”としての彼が見え隠れしてしまう。
そこに気付いたフェイトは票数がどうこうではなく、この演説を行うことそのものに意味があるのではないかと思った。
そうだとすればその意図は明白だ。
もちろん両勢力の対立を煽ること。
賛成派と反対派。
魔導師とムドラ。
これらを隔てる溝を深くし、歩み寄りの余地を無くす。
それがデューオ・マソナの狙いだったハズだ。
「やはり、駄目ですね・・・・・・発信元の特定ができません――」
通信師は憮然とした顔で言った。
探知を試みた時点でそれが不可能であることは誰にも分かっていた。
狡猾なデューオが足跡を残すハズがないのだ。
「仮に特定できたとしても、それはきっと罠よ」
リンディは彼のやり口をよく心得ている。
同時にその罠に敢えてかからなければ、彼に接近できないことも分かっている。
フェイトの視力を用いても視えない場所に、デューオはいる。
彼の強い憎悪は全てを覆い隠してしまうのだ。
「あまり深刻に考える事態ではないでしょう」
ロドムは珍しく楽観論を披露した。
「あの程度の訴えで賛成派が増えるとは思えません。あれは閣下の苦し紛れの策だと思います」
「ええ、たしかに・・・・・・」
これにはリンディも頷く。
彼にはもう味方はいない。
賛成派の中核だったブロンテス、テミステーは捕縛され、緩い取調べがなされているとはいえ身動きのできない状態にある。
デューオがさらに強引な手法をとるとすれば、旧式のキューブによる急襲だ。
しかしこの方法ももはや有効とはいえない。
クージョが手がけた新型のキューブは数だけが頼りの戦力を完全に無力化できるのだ。
つまり突然の演説を除けば、彼が取り得る行動の中で効果的なものは何ひとつない。
現状、賛成派の脅威が薄れたことで反対票は増えるだろう。
このままデューオが何もしなければ廃案に持ち込める可能性は高い。
(でもそれを阻止したいハズ・・・・・・)
あの老獪が黙って否決を待つとは思えない。
リンディはそう思うのだが、しかし彼の手は全く読めなかった。
投票権を持つ彼はその日になれば必ず姿を現す。
問題はそこに至るまでの数日間だ。
「どうする?」
クージョが問うた。
「どうするって・・・・・・」
どうにもできない、と言いたいところをリンディは抑えた。
過度の警戒は不要だが楽観視はできない。
「やはり警備隊を増やすことね。何もできないと思っていた閣下がこうして早速行動したもの」
彼女はここ一番での攻めを苦手とする。
毅然として保守的な姿勢をとるリンディに、デューオをあぶり出して逮捕するという発想はない。
それにたとえ彼女が動かなくとも、優秀な魔法少女が自ら行動を起こしてしまう。
「そう言うと思ったわ」
クージョは表情も変えずに言った。

 

 

 この老翁には今や笑みを浮かべる余裕はなかった。
彼は最も効果的で最も忌み嫌う方法を選択してしまったのだ。
全ての人間に自己を主張するのを、彼はこれまでずっと避けてきた。
まるで意味を成さないからだ。
だから彼は誰よりも信頼できる相手にさえ真意を吐露しない。
この老獪は30年以上も前からそうしてきた。
言葉は己が意思を伝えるための手段ではない。
言葉とは敵を欺き、騙し、思考を狂わせて破滅に導く見えざる武器だ。
「・・・・・・・・・・・・」
デューオは乾いた唇をそっと舌先で舐めた。

 

彼にも昔があった。
善と悪との間に揺れ、葛藤し、彼なりに正義を考えた時期があった。
ひとつのキッカケが劇的な変化を齎したのだ。
”上”の住人であったデューオが薬を求めて”下”に降りた時。
微弱なプラーナを感じた彼はその気配を辿って町からずっと遠い洞窟に入った。
”下”に住む者は豪雪や食糧難に見舞われていないため、安定した生活を送ることができる。
したがって食糧探しにあちこち歩き回る必要はなく、誰からも忘れ去られた洞穴がいくつもあった。
デューオが辿り着いたのも、そうしたもののひとつだ。
永く人が踏み込んだ痕跡さえない、天然の洞窟。
茶とも黒ともつかない岩肌が彼の進行を食い止めるような威圧感を放っていた。
しかし彼にはプラーナがある。
この神秘的な力を導きとして、彼は暗く狭い道を奥に進んでいく。
「これは・・・・・・?」
曲がりくねった細道を歩いていた彼は、目の前の光景に目を疑った。
開けた視界に銀色が飛び込んできたのだ。
高い天井に埋め込まれた人工灯が、銀色の床を遍く照らしていた。
ここは洞窟などではなかったのだ。
それに気付いた彼はここがドーム状の広間であると理解した。
ここには”上”に無いものがあった。
壁に並べられた金属製の棚。
そこに整然と収められている書物。
陽光に晒されず、外気の影響も殆ど受けないそれらは作られたばかりのように状態が良い。
「・・・・・・・・・・・・?」
デューオはその中から1冊を取り出した。
書物、というものを彼はまともに読んだことはなかった。
極寒の地ではそれは暖をとるために悉く焼かれたのだ。
したがって綴られた文字を読むのは容易ではなかった。
勤勉な彼は幸運にも近所の老人から古代文字を学んでおり、記憶を頼りに難解な文章を現代文に置き換えていった。
「これは真実なのか・・・・・・? 事実なのか!?」
読み進めるうちに、彼の意識はすっかり書物の中に吸い込まれていた。
一冊の書物の中には、彼が想像もしえない世界が広がっていた。
ムドラに関する起源。過去。経緯。変遷。
震える手がページをめくる度に、彼がこれまで培ってきた価値観が根底から揺らぎ崩れていく。
創作ではない。
よほど想像力が逞しい人間でも、ここに記されている全てをゼロから作り上げることは不可能だ。
綴られているのは――全てが真実だった。
一切の虚飾が排されていることは彼にはすぐに分かった。
精緻な描写と、妙に淡々とした文体は著者の目から見たものだけだ。
個人の思いや比喩はない。
誰が読んでも必ず同じ情景が思い浮かぶようになっていた。
解釈のしかたもひとつしかない。
完璧な歴史書だった。
(これを書いた人物には既に感情はなかったのかもしれないな)
全くブレることのない文体は、デューオにある種の恐怖を抱かせる。
魔導師との戦いに敗れ僻地に追いやられたムドラの民が、明日も分からない生活をしていながら、
これを著す際にはまるで他人事のように事実だけを客観的に捉えている。
貧困を恨むことも魔導師を憎むこともしないで。
(まさか神が書いたのでは・・・・・・)
主観にあたる部分がまるでない書物には、読む者にいろいろと想像させる。
彼は恐れた。
冷静に惨状を書き綴る著者の精神を、彼は恐れた。
同時に湧き上がってくる感情。
怒りと憎しみだ。
何も知らなければこの極寒の地での生活にも慣れ、何も考えずに生を全うできたハズだが今は違う。
知れば――。
ほんの少しのキッカケでたったひとつの真実に触れれば、彼は全てを理解できた。
文章には感情がこもっていない。
だがこの書物そのものには、ムドラの民の何千年もの憎悪が宿っていた。
それらは嵐のように激しく、雪崩のように荒々しく、決して消えることのない負のエネルギーの集合だ。
静かな轟音が表紙から飛び出してくる。
真っ白な怒りが空気を震わせる。
この瞬間、彼は生まれ変わった。
それまでのデューオ・マソナは死に、ムドラの民としてのデューオが生まれた。
この男はその体に全てのムドラの民の怨恨を宿した。
どれほどの時が流れようとも変わることなく渦を巻いていた憎悪を。
彼らを”今も”苦しめ続けている魔導師への怒りを。
この強い想いは過去から受け継がれてきたものだけではない。
今となってはデューオもまた、真実を知り、憤る者のひとりだった。
(我々がこの過酷な世界に住まざるを得なくなったのは――)
魔法と、それを操る魔導師の仕業だ!
(奴らが・・・・・・憎いッ!!)
嘆き悲しんでいる暇はない。
彼らは今も、ムドラの犠牲の上にこの世界のどこかで生きているのだ。
忌々しい血を受け継いだ彼らは、まだ生きているのだ。
(俺がやってやる! 俺たちをこんな目に遭わせた連中に――)
復讐だ。
正当な復讐だ。
罪を犯した者がその罪の度合いに応じて罰を受けるのと同じように。
魔導師もまた相応の報いを受けなければならない。
デューオの瞳に黒い光が宿った。
しかし今の彼は冷静ではない。
倒すべき敵の居場所も、そもそもこの星を出る方法も分からない。
(何か方法を考えなければ)
彼は広間をぐるりと見渡し、奥に続く通路を見つけた。
もはや躊躇う必要はない。
デューオは魅了されたように歩を進め、通路を進んでいく。
この時、既に彼には奥に何があるのかが分かっていた。
プラーナが告げているのだ。
薄暗い道を越えた向こうに、いま彼にとって最も必要なものが眠っていると。
「おお・・・・・・!!」
彼は思わず声をあげた。
素晴らしい光景だった。
それが何であるかは彼には分からなかった。
見た事もないものが、そこに構えているのだ。
したがって何に用いるものなのかも分からない。
ただ、荘厳で優美だった。
「これは一体・・・・・・」
通路の向こうは先ほどの広間とは比較にならないほど広かった。
奥の壁がはっきりと視認できないほどの距離にある。
巨大な部屋だったのだ。
”これ”だけのために用意した、巨大な空間がそこにあった。

星間移動用の艦船だ。

光の少ないこの場所では、艦は黒に近い銀色を放つのみだった。
(・・・・・・ん? もしかしてさっきの・・・・・・)
デューオは手にしていた歴史書を開いた。
その中に艦船についての記述がある。
大きな金属製の容れ物が人やモノを載せ、宇宙を飛び回っていたとする描写がある。
書物によればこの容れ物は大小さまざまなものが数え切れないほどあり、本来の目的どおりに使用されていたようだ。
つまり戦いのための道具として。
構造の仕組みや武装についても詳らかに書かれた部分では、魔導師側の艦船と激しく衝突した有様も描写されている。
戦力に劣るムドラは次第に押され、交戦の中で多くの艦を失ったという。
「これのことか・・・・・・」
デューオは理解した。
目の前にあるこの建造物は、書物に度々出てくる艦船のひとつと一致している。
となれば、これが彼が最も欲しがっているものであることも分かる。
「こんな大きくて重いものが空を飛ぶのか・・・・・・?」
山を切り崩して住居を掘るのにも苦労する”上”の人間には、金属の塊にしか見えなかった。
だが彼が手にしている歴史書はウソを吐かない。
「・・・・・・・・・・・・」
全く未知の存在だが、この発見が少なくとも自分にとって有益であると分かっている彼はそっと艦体に触れてみた。
冷たく、固い。
金属の質感が返ってくるのみだ。
だが彼はこれに温かさを感じた。
ムドラの民の叡智がこの巨大な箱に集約されているのだ。
冷たいハズがない。
おそらく魔導師に対抗する殆ど唯一の手段なのだ。
デューオは無残に地中に取り残された艦の悲しみを聞いた気がした。
これは飛びたがっている。
無限の宇宙を飛び、彼をここに押し込めた魔導師に復讐したがっているのだ。
その声を聞き取ったデューオは、
「ああ、分かる。今なら分かるさ。お前たち、声無き者の声が、俺には聴こえる」
恍惚の表情でそう答えた。
「お前はここにいるべきじゃない。もっと高みを目指すべきだ。もっと、ああ・・・・・・どこよりも高いところへ行くべきなんだ」
しかしそのためには操り手がいる。
正しい知識を持った乗組員がいる。
彼のすべきことは決まった。

復讐だ!

忌まわしき魔導師への報復だ!

それにはいくつかの段階を踏む必要がある。
(俺がそうだったように、民は誰も真実を知らない。過去を知らない。倒すべき敵の存在を知らない)
まずは知識を伝えることからだ。
過去を知れば。
事実を知れば。
きっと誰もが今の生活を捨て、怨敵を倒し、安寧と秩序を手に入れたがるに違いない。
彼はそう確信していた。
自分自身がそうだったのだ。
ムドラの民は自分たちを陥れた敵を憎むべきなのだ。
恨むべきなのだ、と。
「よし・・・・・・」
広間に戻ったデューオは本棚にある書物全てに目を通した。
1冊の書が過去を語り、もう1冊はその過去のさらに細部を記していた。
ここにある全てを読み終えた時、デューオは数千年を生きることができた。
ムドラ帝国の興り、魔導師との戦い、そして敗北・・・・・・。
その末にある今までは彼の頭の中にある。
気の遠くなるような時間旅行から戻ってきた彼は、既に別人だった。
冷静さは残っているが、意識の大半は復讐心によって支配されている。
(伝えよう・・・・・歴史書がしたように、俺もこれを伝える)
彼は最初に手にした書物を懐に、残りは全て本棚に戻して洞窟を出た。
(こんな薄暗い陰気な場所にいるのも今だけだ!)
デューオは瞳に怒りの炎を滾らせると、近くで一番大きな町に向かった。
殷賑というには程遠い。
人通りが多いだけで彼らの目は半分死んでいるも同然だった。
飢えと寒さから逃れただけで、”下”の住人には縋るべき希望がない。
朝も夜も暗い地下の世界で、彼らは朝も夜も分からない一日を費やしているだけだ。
(それも間もなく変わる――)
抜け殻ばかりが行き交う通りの中央に立ち、デューオは両手を大きく広げた。
「みなさん! 俺の話を聞いてくださいっ!」
突然の叫び声に人々は彼に注目した。

 

 なのはは胸に激しい痛みを感じた。
大切な親友――アリサやすずかよりももっと身近に感じたい特別な存在――が、これまでで最も過酷な戦いに挑もうとしている。
またしてもムドラの民を相手にするが、今度は唯一の対抗手段であるエダールモードはない。
彼女が生まれながらにして持っている魔法の力だけが頼りだ。
「本当に行くの?」
引き留めるつもりはなかった。
いずれ決着をつけなければならない相手だ。
その時を今にするか、それとも少しだけ先延ばしにするかは、もはや問題にすらならない。
「うん・・・・・・」
無意味な質問に、フェイトは無意味と分かっていながら頷いた。
「デューオさんの居場所を突き止めたんだ。ここで逃したら――」
次にその姿を見るのは投票日になる、と彼女は思った。
これまで反対派を翻弄してきたデューオ・マソナはミスを犯した。
彼の準備に手抜かりはなかった。
発信元を特定されないようにダミーを含めていくつもの中継ポイントを利用し、
そもそもこの”放送”自体、誰にも察知されないように直前まで目立つ行動を控えてきた。
結果、多くの人間が彼のメッセージを受け取っておきながら、その所在を明らかにすることはできなかった。
しかしこれは通信機器などの技術に頼った場合だ。
目には見えにくい力を用いれば、老獪の使った隠れ蓑を暴くことも不可能ではない。
特に魔法とプラーナ、相反するふたつの力を融合させれば・・・・・・。
もはや隠れることは何の意味も持たない。
粒子の中に身を潜ませていたデューオ・マソナは映像と音声という形で露出してしまったため、
少女の視力から逃れられなくなった。
このフェイト・テスタロッサという少女には並外れた魔力と、魔導師が決して有することのできないプラーナが宿っている。
シェイドとの出逢いと戦いの中で培った素晴らしい力は、距離も時間も超越できた。
些細なキッカケさえあれば、この広大な宇宙で目的の人物を見つけることはあまりに容易い。
「このまま何もしないわけにはいかないよ」
いま、あの賛成派の首魁は彼女にとっては敵だった。
憎むべき敵ではなく、倒すべき敵だった。
管理局の一員としてではない。
アースラのメンバーとしてではない。
リンディの娘としてでもなく。
ただフェイト・テスタロッサにとっての、打倒するべき敵だった。
彼がムドラの民であると分かった時から、これはもう彼女と彼の戦いだった。
魔導師を守り、管理局を守り、そしてムドラの民を守るための。
決して退くことのできない私闘だった。
したがってフェイトに、”何もしない”という選択肢はない。
「分かった」
この台詞を言うタイミングをなのははずっと探っていた。
彼女の知るフェイトはいつも凛としていて力強く、何事にも諦めない不屈の心の持ち主だ。
自己の信念に忠実で、毅然として戦う逞しくも美しい少女。
だからといって好戦的なわけではなく、冷静に状況を見据えて素早く的確な判断をする。
そんな彼女をなのはは好きだった。
「ひとつお願いがあるんだ」
少しだけ甘えたような声のなのは。
「私も連れて行ってほしいの」
こう切り出すであろうとフェイトにはとっくに分かっていた。
高町なのはとはそういう人間だ。
足手まといにならないようにと、彼女はずっと力をつけてきた。
誘惑を撥ね退けるための強靭な意志も手に入れた。
老獪の奸言にも闇の誘惑にも心身を預けるようなことはしないだろう。
「なのは――」
分かっているのだ。
彼女はいつもそうだったから。
何に対しても自分のことのように考えてしまう。
その感受性が時に自らを傷つける刃にもなる。
フェイトに不安はない。
この少女は強い。
きっと本気になればムドラの民にだって遅れはとらない。
「私だって何もしないまま終わるなんてイヤだよ」
リンディへの、フェイトへの恩返しはこの戦いを終結させることで果たされる。
2人の望むものを手に入れることでしか彼女は満たされない。
もちろんそうした極めて個人的な問題だけではなく、純粋に平和を愛しているからこその行動力でもある。
魔導師とムドラの和解。
なのはもまた、それを熱望している。
「ありがとう」
フェイトは自分の気持ちを短く言葉に表した。
元より彼女はひとりで戦うことはできない。
プラーナを用いてデューオの居場所を突き止めた時、真っ先に同行に名乗りをあげたのはクロノだった。
リンディはその地に赴くこと自体に反対した。
クージョは新型のキューブを送り出すことを決めた。
なのはは何も言わなかった。
彼らのどの反応も正しかった。
間違いなどない。
彼らはそれぞれの立場から最も正しい選択をしたのだ。
全ては問題の解決のため。
法案を否決に導き、デューオの暴走を止め、真の和平を繋ぐための。
尊い選択だった。
リンディの意志だけが汲まれない結果にフェイトは胸を痛めたが、デューオを捕らえれば全てが終わる。
そう考える彼女は敢えて母の言葉に背を向ける。
何も心配はないのだ。
この有能な魔法少女はこれまで数々の事件を解決してきた。
今回もそのひとつであると思えば、希望は生まれてくる。
「フェイト・・・・・・」
この少年は滅多に笑顔を見せない。
いつ如何なる時にも冷静沈着。
執務官としての毅然とした振る舞いは、もはや私生活でも変わらないほどだった。
「こっちの準備はできた。キューブもすぐに動かせるようにクージョさんが調整してくれてる」
クロノの抑揚のない声は戦いの始まりを静かに告げる威圧感がある。
相手はたったひとりだが、敵は単体ではない。
フェイトたちがそうであるようにデューオもまた、今は少数になったとはいえ賛成派とともにある。
旧式のキューブもまだ多くを保有しているだろう。
反対派の勢力は決して過剰ではない。
「うん、分かった・・・・・・」
頷くフェイトの瞳には力強さがあった。
誰も悲しませてはいけない。誰も不幸にしてはいけない。

シェイドの悲願は私が成就させる!

愛杖バルディッシュに軽く触れ、フェイト・テスタロッサは深呼吸をひとつした。

 

 

 彼は失望した。
現実は悉く理想を裏切ってくれる。
ムドラの過去を知れば。
自分たちを僻地に追い詰めた者たちの存在を知れば。
誰もが立ち上がってくれると。
彼はそう思っていたのだ。
しかし人々の心に復讐の炎が燃え上がることもなければ、強い憎悪の念が生まれることもなかった。
彼らは・・・・・・なぜか今の暮らしに満足している。
そんな空気すら彼は感じていた。
高みを目指そうという者はいない。
安寧秩序を勝ち取ろうという声も出ない。
誰もが現実から目を背けたがった。
中には歴史書の内容をよくできた作り話だと笑う者もいた。
デューオは落胆した。
なぜ彼らがこの閉ざされた世界での暮らしに満足できるのか、理解できなかった。
もっと憤るべきだ。
もっと憎むべきだ。
もっと恨むべきだ。
デューオが抱く感情を、全てのムドラの民が抱くべきだった。
(愚かだ・・・・・・あまりに愚かだ!)
気概がないどころではない。
ムドラの民は蒙昧だ!
デューオは思った。
その蒙昧さと愚劣さが魔導師に付け入る隙を与えたのだと彼は結論付けた。
そうであればこの男がすることは簡単だ。
隙を見せなければよい。
常に神経を鋭敏にし、弱みを見せず、思考を巡らせる。
プラーナを通せばそれらは難しくはない。
「少し時間をもらってもいいだろうか?」
決意を新たにした時、声をかけてくる者がいた。
「先ほどの話に興味が湧いた。よければ詳しく聞かせてもらいたい」
デューオはおもむろに顔をあげた。
若い男だ。
年齢は彼と同じか少し下。
均整のとれた顔は聡明さを感じさせる。
「あなたは――?」
「失礼。僕はテミステー・ガートという。この町に住んでいる」
無愛想な男だ、とデューオは思った。
会話は成立するが、このテミステーという男の言葉には飾りがない。
最低限、意思の疎通が図れる程度に単語を削っているような印象だ。
「俺はデューオだ。デューオ・マソナ。とりあえずよろしく」
「ああ、よろしく」
テミステーはにこりともしない。
しかし今はこの程度の接し方でよい。
劣悪な環境での生活に人々が甘んじようとする中、この男はデューオの訴えに耳を貸してくれたのだ。
間もなく2人は共通の認識の元、仲間として強く結びつくだろう。
怨敵である魔導師を打ち倒すまで。
「僕は常々、疑問に思っていた。なぜ我々がここにいるのか? なぜ”下”と”上”に分かれて暮らしているのか」
テミステーは淡々と言った。
「その謎が解き明かされるかもしれない。あなたが他にも文献を持っているのなら、それを読んでみたい」
この男は疑問や願望を口にする時さえ冷淡だった。
「文献ならいくらでもあるさ。それも見事な文体のね。なんなら今すぐにでも――」
「ああ、待ってくれ。その前に知人を連れてこよう」
「友人・・・・・・?」
「いや、ただの同居人だ。だがこの話をすればきっと乗ってくる」
「それはありがたいな」
デューオの声は知らず弾んでいた。
あやうく人々の不甲斐無さに絶望するところだった彼は、思わぬ同志の登場に胸を躍らせた。
仲間はまだ2人と少ないが、この調子で賛同者が増えれば魔導師を討滅するための勢力ができあがる。
悲願が成就する時はそう遠くないかもしれない。
この時、彼はそう思っていた。





暫らくしてテミステーが件の知人を連れて戻ってきた。
「おお、この本が?」
デューオよりいくらか快活そうな男は、彼が手にしている本を凝視した。
「彼はブロンテス・ケサダ。今は僕の家に居座ってる。機械に関してはかなり詳しいから頼りになる」
「よろしく」
「よろしく」
人となりは問題ではない。
彼らが皆、ムドラの民であるという事実が何よりの自己紹介になる。
「機械に詳しいのは助かる。ずっと北の洞窟に艦船があるのだが、俺にはそのあたりの知識がなくてね」
復讐心だけでは事は成せない。
「艦か・・・・・・話には聞いたことがあるが実物は私にも――まあ、触ってみれば分かるか」
テミステーが寡黙な分、ブロンテスは饒舌な印象を与える。
彼は言葉に緩急と抑揚をつけ、惜しみなく感情を表している。
感情は重要だ。
特に憎悪。
これが強ければ強いほどムドラの民は力を得る。
しかし危険も伴う。
怒りや恨みは時に冷静さを奪い、それを抱いた者を窮地に立たせるおそれがある。
したがって負のエネルギーを獲得すると同時に、それを巧くコントロールする必要があった。
「この世界に未練はない。本当に艦船があって、外に飛び出すことができるなら私は迷わずそうする」
ブロンテスの言葉は心強かった。
彼にはデューオと同じく、外――究極的には魔導師を残らず滅ぼした後の外界――への憧れがあるようだ。
この意志はきっと力になる。
「ああ、共に戦おう。戦って俺たちの世界を手に入れるんだ」
デューオは輝かしい未来を見た。
まだ文字でしか見たことのない光景が思い描かれる。
あの地の底に眠っていた艦が再び命を与えられ、この辺境の星を飛び立つ。
自分たちをもはや正確な年数を計算することもできないほど永く苦しめてきた、怨敵を悉く滅ぼし尽くし。
ムドラの民が平和と自由を勝ち取った世界が。
彼の頭の中に広がっていた。
デューオもまた、慢心していたのだ。
この時、既に――。

 

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