第17話 炎症

(互いの想いが望まない戦いを生む。デューオの目論見とフェイトの正義。今こそが、ふたつが混じり合わずにぶつかる瞬間だった)

 ひとりのムドラとふたりの魔導師は、十数メートルを挟んで対峙した。
両勢力の間にあるのは亀裂の走った地面と、塵埃を含んだ空気だけだ。
「デューオさん」
少女の声は力強い。
しかし高圧的ではなく、むしろ慈愛に満ちた柔らかさがある。
「どうか――」
「降服せよ、と? あるいは話し合いに応じてもらいたい、といったところかな?」
彼は厭らしく嗤った。
管理局のやり方はいつも同じだ。
まず交渉に持ち込もうとし、それが駄目なら実力行使に出る。
どの段階においても自分たちの意見を押し付けようとする点では、手段は異なっても目的にブレは全く無い。
「あなたと戦いたくないんです! お願いします!」
「ああ、わしもだよ。だからその物騒な物を収めてもらいたいな。そして一切の抵抗をしないことを誓うといい」
「・・・・・・・・・・・・」
それはできなかった。
空気が僅かに振動し、彼の背後に数機のキューブが浮上を始めたからだ。
「デューオさん!!」
今度はなのはが呼びかける。
管理局に味方する前から、彼女のスタイルは対話から問題解決の糸口を探ろうとするものだった。
「きみか――多くの事件を解決に導いた”民間協力者”・・・・・・うむ、凛々しいな」
彼は心にもないことを言った。
民間協力者はすなわち”部外者”だ。
直接の関係者でなく、そのくせ辣腕の管理局員にもできない偉業を成し遂げた彼女を、デューオは面白く思わない。
もしこの少女が魔法の力に目覚めず、その存在すら知らないまま地球という星で一生を過ごしていれば、
こうして相対する事も、邪魔をされることもなかっただろう。
「これ以上、誰かを傷つけるのはやめてください!」
さすがにデューオも、これには笑うばかりでなく小さな怒りを覚えた。
(傷つける・・・・・・? 我々がどれほど永い間、傷つけられてきた?)
それを考えた時、老獪に若い頃の記憶がありありと甦ってくる。
苦痛に塗れた半生の中。
ただ魔導師への復讐だけを胸に、彼は今日まで生き抜いてきたのだ。
「きみには分かるまいよ。自分のことしか、な」
そうとも。
誰にも分かるハズがないのだ。
この苦しみを真に理解し、共感できるのは――。
今は亡きシェイドのみだ。
(これからは――)
あの少年のためにも、ムドラの民が生き残らなければならない。
管理局の保護の下ではなく。
魔導師との和解の中にでもなく。
自分たちが、かつての自分たちのように生きなければならない。
「例えばきみに譲れない一線があるように、わしにも同じものがあるのだよ」
そう言い、デューオは右手を上げた。
中空に留まっていたキューブがその銃口を一斉に2人に向けた。
「これが、そうだ」
彼が言い終わるより先に、なのははキューブよりも高い位置にいた。
「私にまかせて! フェイトちゃんはデューオさんを!」
これが、なのはが彼女と行動を共にする理由だった。
彼女はいつも他者を思いやる。
自分の力量を時に見誤る。
なのはには分かっていた。
これまでのように、意志の強さだけではどうにもならないことがあると。
今が、そうだ。
”魔法しか使えない”自分が、ムドラの民と戦えるハズがない。
既にエダールモードを解除している魔導師たちには。
戦うための武器がない。
たったひとりを除いては――。
キューブは先に動いたなのはを狙った。
思惑どおりだ。
彼女は敢えてデューオから離れるように空を舞い、キューブを引き付けた。
レーザー光が飛び交い、桜色の魔法が伸びた。
そのすぐ下で――。
2人は激しく睨み合った。
「きみの友人は”話し合い”を放棄したようだが――」
こうなる事を彼はこうなる前に分かっていた。
結局、歩み寄りなどできるハズがないのだ。
どちらかが絶え、どちらかが生き残るまで。
戦うしか道はない。
「きみはどうするかね?」
フェイトは彼の右手にプラーナが集まるのを感じた。
「私は――」
戦いたくはない、と彼女は言おうとした。
だが体はそれとは全く逆の反応をしていた。
2人は殆ど同時に手を突き出し、五指から閃電を放った。
金色の電流と薄桃色の閃光とが中空で絡み合う。
眩い光が辺りを包む。
「やはり、そうするしかなかろう? そうとも! 誰もがみな、生きる為に戦ってきたのだ! わしも、きみもな!」
プラーナは怒りや憎悪によって力を得る。
シェイドを打ち負かし、死に追いやったこの少女を憎むことで。
彼は魔導師を凌駕する力を得た。
魔法は意思の強さがそのまま形になる。
既に魔法とプラーナとの境界を超越したフェイトには。
怨恨によって突き動かされるデューオの閃電は脅威にはならない。
「デューオさん!」
「・・・・・・?」
「私は・・・・・・戦いからは何も生まれないと思っていました」
「ほう――」
この少女は年相応に愚かだ、と彼は思った。
「お互いに傷つけ合って、憎み合うだけだと思っていました」
「違うのかね?」
「違います!」
フェイトの放つ閃電が勢いを増した。
「戦うことにはちゃんと意味があるんです! 私とシェイドがそうだったように! ちゃんと意味があるんです!!」
金色のヘビはドラゴンに化け、デューオを呑み込もうとした。
光が、音が、熱が。
少女の体から溢れる雷が、ムドラの民を圧倒した。
「うむ・・・・・・っ!!」
デューオが苦痛に顔を歪めた。
恐ろしい力だ。
認めたくない現実だ。
たったひとりの魔導師が、怒りと憎しみの中で生き続けてきた老獪を押している。
「私たちはきっと分かり合えるんです! 遠回りをしても、いつかきっと――」
「ありえん!!」
2人の閃電は強く輝いた。
それは上空を飛ぶなのはの足を眩く照らした。
「和平などあるものか! 貴様らが罪の意識から逃れるための詭弁に過ぎん!!」
彼が望むのは共存ではない。
彼が望むのがかつて魔導師がしたのと同じこと。
支配、蹂躙、破壊、放逐。
その後にこそ、彼が目指すべき世界が。
未来があった。
そのための数十年は彼にはとても永く、とても短かった。
耐え難い屈辱にも耐えた。
すぐにでも復讐の牙を向けたいのを、今日まで辛抱強く抑えることができた。
この時のためだ。
全ては――。
この時の。
「貴様らに奪われたものを全て取り返す。そして――」
デューオの閃電がまた力を増した。
「今度は我々が貴様らから奪う!」
負の力がフェイトを吹き飛ばした。
彼女の体は突風を前にした紙切れのように舞い、廃ビルに背中を打ちつけた。
一瞬の痛みが呼吸を奪う。
だがフェイトはすぐに体勢を立て直すと、キッとデューオを睥睨した。
これは憎悪によるものではなく、怒りのためでもない。
ただ彼女の、揺るぎない信念の表れだった。
「魔導師が支配する時代は間もなく終わる。世界は独善的な管理から永遠に解放されるのだ」
デューオは憎しみを込めて嗤った。
目の前の少女はまだ何も諦めてはいない。
上空にいるもうひとりの少女も。
ここから遥か遠くで戦っている魔導師たちも。
彼はそれが面白くなかった。
組織を作り、数に頼り、互いを支え合い、庇い合い、馴れ合う連中が。
彼は嫌いだった。
「私たちは話し合うべきです。もっとお互いをよく知るべきなんです!」
フェイトは叫んだ。
「知るべき? では必要ないな。我々はきみたちのことをよく知っている」
言い切る前に彼はすっと左手を上げた。
だがそれより早く、フェイトは7個の光球を発生させてデューオに向けて撃った。
(ふん、子供騙しにもならんな)
殆ど牽制を目的に使うような初歩の魔法だ。
それが同時に7個。
たったの7個だ。
この程度の運用は何の役にも立たない。
(わしがこんなものに気をとられると思っているのか?)
注意を払う必要もない。
彼がもう一度、憎悪を纏った閃電を放てばあのランサーごとフェイトを焼き払うことができる。
デューオはそうした。
この老獪の強みは魔導師に対する冷酷さだ。
生身の人間が同じ人間と敵対した時に不意に見せる情が。
彼には一切無い。
だからこの稲妻が空気を巻き込みながら、あの少女の命を奪ってしまえばいいと。
デューオは心からそう思うことができた。
「・・・・・・・・・・・・!?」
異変を感じて振り返った彼は失敗に気付いた。
いつの間にか全てのキューブが残骸と化していた。
当然、彼の後ろにいたのは――。
「シュートッ!!」
桜色の光球が迫ってくるのが見えた。
デューオは咄嗟に左手を突き出し、プラーナの波でなのはを吹き飛ばした。
だが、今度はフェイトだ。
風よりも速く駆けた少女が、愛杖バルディッシュに戦鎌の型をとらせて躍りかかる。
振り下ろされた一撃がデューオの型をかすめた。
「愚か者め!」
一瞬の隙を衝いて老獪が再び閃電を放つ。
防御の体勢が間に合わず、フェイトは憎悪の雷に身を焼かれた。
「フェイトちゃんッッ!!」
「大丈夫ッ!!」
震える右手を前に出し、彼女はムドラの怒りを受け止めた。
2人の意志が再び中空でぶつかった。
勝負を決めるのは素質でも才能でもない。
意志の強さだ。
和平を望む少女の想いと。
復讐に燃える老獪の野望とが。
この世界の未来を決めるために鬩(せめ)ぎ合った。
「私は信じてます・・・・・・! デューオさんが和平の道を探してくれると信じています!」
「わしがそのつもりなら、とっくにそうしているだろう。きみはまだ現実をよく分かっていないらしいな」
「・・・・・・・・・・・・」
「あの少年が死の間際に何を言ったのか、わしも聞いている。彼は――」
閃電が輝きを増した。
「きみに唆されたのだろう。高潔なムドラの民でありながら、志し半ばにして愚昧にも魔導師の言葉に惑わされたのだ」
彼はそう信じていた。
シェイドとはそういう人間だった。
彼がかつての願いを成し遂げるために管理局に潜り込んだ時。
ジュエルシードのありかを知りたがっているあの少年に声をかけた瞬間から。
デューオは彼の特異性に気付いていた。
永いことムドラの民を続けていると、故郷を離れても同族の波長を感じ取ることができる。
(彼はわしが自分と同じムドラの民だとは気付かなかったようだが)
感じ取った強いプラーナは、つまりその強さだけ魔導師を憎み恨んでいた証拠。
彼ならば。
彼ならば自分とは違う方法で、自分がかけてきた何万分の一の時間で。
復讐を成し遂げてくれるかもしれないと。
デューオは密かに期待していた。
間もなく彼が正体を明かし、メタリオンという4人もの同胞の存在を管理局に知らしめた時。
この老獪はシェイドを敬い、恐れ、軽蔑した。
カリスマ性、豪胆さを併せ持ち、しかし浅慮でもある少年が。
自分にできなかったことをするのではないかと。
デューオは人生の中で最も起伏の激しい一時を過ごした。
やがて彼が自ら命を絶ち、この事件にひとつの区切りがつくと、年長のムドラの民は落胆した。
見込み違いだったのだ。
少年は結局、非凡な才能も、同志を集める求心力も、闘争心も。
なにひとつ使いこなすことができなかったのだ。
あの事件が齎したのは、形ばかりの”和平”という、デューオにとって最も苦痛を伴うイベントだった。
シェイドの登場が何もかも台無しにしたのだった。
(わしも愚かだったな。あの少年が一介の魔導師の言に耳を貸すような愚者だと見抜いていれば――)
管理局はきっと”ムドラの民”も”プラーナ”も、今も知らないままだったに違いないと彼は思った。
「シェイドは違います! シェイドは――最初から最後まで自分で考えてたんです!」
「だがその”考え”を植えつけたのはきみたちではないのかな?」
「・・・・・・・・・・・・」
「きみたちはいつもそうだな。常に自分が正しいと考える。ただの一度でさえ、立ち止まって自分が間違っているのではないかと。
そう思いなおすこともない。そうして永遠に間違い続けるのだろうな」
重ねた過ちがこの悲劇を生み出したのだ、とデューオは確信している。
管理局は自らが犯した罪を、忘れていた罪を今になって贖うのだ。
「たしかに私たちも間違っているかもしれません。何が正しいのか、何が間違っているのか・・・・・・きっと誰にも分からないんです!」
フェイトは両手を突き出した。
「でも! だからこそ私たちはもっとよく考えるべきなんです! 管理局もムドラも! お互いの正しい道を――」
「探す、というのかね? 対立し、憎み合い、そして最後にはどちらかがどちらかを滅ぼすしかないというのに?」
デューオは両手を突き出した。
龍の姿をした2人の意志がぶつかる。
互いの全てを懸けた閃電が。
圧縮され、行き場を失ったエネルギーが外に弾かれた。
なのはは咄嗟に顔を背けた。
溢れ出たエネルギーはどちらのものだったかは分からない。
「時には――こうして戦うことも必要なのかもしれません!」
金色の雷が少しずつ、少しずつデューオに迫った。
「でもそれで終わってはいけないんです! もっとお互いを理解しなければ――!!」
この少女は相手が憎悪に支配された老獪であっても、和平の道があると信じている。
最後の最後でシェイドと分かり合えたように。
一度は命を落とした彼が、別の姿で再び戻って来たように。
この世界では起こり得ないあらゆることが起こる。
それを起こすのは人智を超越した神のような存在であり、この世界に生きる人である。
(こ、これは・・・・・・!!)
激しい憎悪でも敵わないものがあった。
強い怒りでも圧倒できないものがあった。
金色の稲妻が真正面からぶつかってくる雷を飲み込んだ。
巨大な口を開けて迫る龍が。
ついにデューオの右手に噛みついた。
「オオオオォォォッッッ!?」
厖大なエネルギーが老体を吹き飛ばした。
読み切れなかったプラーナの波が。
本来なら彼と共にあり、彼に力を与えてくれるハズのその力が。
今度は刃となってデューオを襲った。
「うむ・・・・・・!!」
久しぶりに味わった痛みだった。
かろうじて体勢は立てなおしたが、瓦礫にぶつけたのか手の甲からはわずか血が流れていた。
血だ。
赤く、流れる血だ。
「理解していないのは――」
デューオはわざと負傷した方の手を上げた。
「いつも貴様らのほうだ!」
無数の灰色の塊のいくつかが宙に浮かんだ。
経年によって朽ちたビルの破片が中空を黒く染め、あらゆる物理法則を無視してフェイトめがけて飛んだ。
だが、それらの殆どは桜色の光に撃ち落とされた。
かろうじて狙い通りに飛んだ瓦礫も、フェイトが張ったシールドに儚く阻まれる。
(・・・・・・・・・・・・)
デューオは大息した。
つまらない戦いのハズだった。
魔法に頼る愚者が大勢でやって来たところで、ひとりのムドラの前には敵うわけがないと。
彼はずっと思っていた。
傲慢だった。
特に目の前のこの少女に対してだけは、過大な評価をしても間違いではなかったハズだ。
しかし、彼はそうしなかった。
同胞を葬った怨敵としてしか捉えず、彼女の真の強さ、真の明るさに気付かなかった。
だから彼は少女がいつの間にか自分の後ろに立っていることにも気付かなかった。
「・・・・・・・・・・・・!?」
慌てて振り向いた時には、彼の体は金色の濁流に呑まれていた。
焼けつくような痛みと熱さが襲う。
この稲妻には怒りも、憎悪も、敵愾心もなかった。
老獪の体内を駆け巡るのは――慈愛だ。
かつて少女が少年に向けたように。
相対する者の憎しみごと包み込もうとする慈愛だ。
だが――。
「ぬうううおおおぉぉぉぉっっ・・・・・・!!」
少年が一度はそうであったように、彼もまたそれを拒んだ。
永すぎたのだ。
彼がムドラの民であった時間が。
魔導師を憎み、恨み続けてきた時間が。
あまりに永すぎたのだ。
彼を構成する全てが魔導師への怨恨である以上。
たとえフェイトといえども、その心を溶かすことはできない。
光と熱に焼かれながら、デューオはまだ自由の利く左手を突き出し、
「わしが――!!」
力の全てを指先に集めた。
閃電が再び絡み合う。
この不毛な戦いを終わらせようと。
2匹の龍が互いの頭蓋を噛み合う。
敵を滅ぼすために。
和平の道を繋ぐために。
魔導師とムドラの放つ光が廃墟を遍く照らす。
(フェイトちゃん――)
なのはにはもう、見守るしかなかった。
凄まじいエネルギーが2人の全身から溢れ出し、この世界そのものを覆おうとしているのを。
少女は最も近い場所で感じていた。
結局、魔法はこんな時には殆ど役に立たない。
プラーナの前では”おまじない”程度の力しか持たない。
しかし、そうだと分かっていてもここにいるのは。
もちろんフェイトを助けたいからだ。
「・・・・・・・・・・・・」
もし、この意志を懸けた戦いにフェイトが競り負けるようなことがあれば。
なのはは閃電の渦の中に飛び込む覚悟でいた。
プラーナに対抗する力は無くとも。
彼女にもまた、意志の力がある。
「私たちはきっと分かり合えます! デューオさん、あなたとも――!!」
「ああ、そうだな! そうだ! ”分かったつもり”にくらいはなれるだろうとも!!」
フェイトの呼びかけはデューオの心にさらなる憎しみを生んだ。
「どれほどの時が経とうとも、我々の怨念の潰えることはない!!」
彼は怒っていた。
人前では滅多に感情の起伏を見せない彼が。
自分の半分も生きていない少女を前に、理性を悉く失って最も単純な感情をぶつけた。
――それが仇となった。
負の感情が彼を傲慢にし、視野を狭め、やがては盲目にした。
溢れる金色の光が輝きを増した。
少女の全身から迸る閃電が。
デューオ・マソナのあらゆる感情を包み込む。
怒りも憎しみも、彼が幼い頃には持っていたハズの優しさや慈しみの心も。
彼を構成する全てを。
黄金が呑み込んだ。
長年を生きてきたムドラの民は、自分が放ったエネルギーごと吹き飛ばされ、彼は瓦礫の中に埋没した。
「おお・・・・・・・・・・・・」
衝撃が背中から全身を駆け抜けた。
デューオは老体を起こしてフェイトの姿を探したが、彼女を見つけるより先に金色の刃が喉元に押し当てられた。
「・・・・・・・・・・・・!!」
最大の屈辱だ。
昔から勝てるハズだった戦いに、一時的に敗北を認めなければならない瞬間だった。
みっともなく足掻くのはよくない。
誇り高きムドラの民は無様な姿を晒して命乞いなどしない。
どうせこの少女は殺す気などないのだ。
身柄を管理局に引き渡し、話し合いで全てを終わらせるという、実に彼女らしいやり方で締めくくるつもりなのだ。
現にフェイトの目には敵愾心はなく、むしろこうしてバルディッシュを突きつけることにさえ抵抗を感じているようだった。
「うむ・・・・・・わしは知らぬうちに年を取りすぎていたようだな」
潔さではない。
「年を取って弱くなってしまったか、それともきみの成長が予想を遥かに超越していたのか」
完全に敗北を認めているわけでもない。
これは単なる戦いの一部分。
命を奪い合う争いの中の、激動に差し挟まれる静寂の一部分だ。
「デューオさん、お願いします。どうか――」
「ああ、分かっているとも。いつもどおりのやり方をとればよかろう。管理局のお得意の方法をな」
フェイトは小さく息を吐いた。
けして好戦的ではない彼女は、こうして互いが傷つけ合わずに済む方法を何よりも好む。
「フェイトちゃん・・・・・・」
「もう大丈夫だよ」
この英邁な魔導師は何に対しても鋭敏だ。
特に心を通わせ合いたいと願う相手の機微には――。
「しかし言っておくぞ。わしは和平には賛同しない。たった一度の形式的儀礼で清算されるほど、我々の怨恨は浅くはない」
フェイトは頷いた。
戦いに勝った者が全てを決める時代は、もう終わった。
これからは勝者が敗者の望みを叶える時代だ。
それが実現不可能なものであった時には、対話を繰り返せばよい。
気の遠くなるような時間をかけて、ゆっくりと。
いずれ互いの憎悪は氷解し、歩み寄りを始められるだろうと。
フェイトもなのはもそう信じていた。

 

 

 局地的な戦いはここで終結した。
惨めな足掻きを見せるよりはキューブに攻撃中止を命令し、ひとまずこの場を収めるほうが。
デューオのプライドは傷つかずに済む。
「閣下、ご協力に感謝します」
クロノは短く述べた。
「執務官というのは、どのような状況でも冷静に無感情に事にあたらなければならない、と教えられたか?」
デューオは彼の目を見ずに言った。
「きみからは怒りを感じるぞ。この時ばかりは和平や体裁など無視したくはないか?」
「そんなハズはありません。執務官として常に最善を尽くしているだけです」
「それは”誰にとっての”最善なのだろうな」
クロノは聞こえないように舌打ちした。
「身柄を本部に引き渡します。いいですね?」
「ああ、いいだろうとも」
ムドラの民には無意味な拘束具で両手を縛られ、老獪は管理局の用意したシャトルに乗り込んだ。
クロノを先頭に、念のためにとフェイト、なのはが同乗する。
「我々はもう少し、この地区を調査します」
数名の局員に与えられたあらたな仕事は、デューオの秘密基地の捜索だ。
「調べる前にその捜査がそもそも有意義かどうかについて熟考すべきだな」
デューオは婉曲に”調査したところで何も出てこない”ことを強調した。
「分かった。未知の部分が多いから慎重に行動してくれ」
クロノは彼の皮肉を無視した。
いちいち耳を貸すわけにはいかない。
本部に着けば取調官をはじめ、高官たちによる訊問が行われるだろう。
それに併せて裁判にかけられ、彼は運が良くても永遠に自由を奪われるに違いない。
冷静になれ。
自分の仕事はここまでだ。
クロノは何度も自分にそう言い聞かせた。
全ては終わったのだ。
管理局の多くの者にとって理想的な形で。
この冷たい戦いは終わったのだ。
(投票の前に閣下を捕らえることができて良かった)
クロノは心からそう思った。
これで形勢は一気に逆転する。
もともと反対派が大多数を占めていた今回の法改正。
一時的に賛成派が勢力を増したのも、結局は暗殺の影に怯えてのことだ。

首魁デューオが逮捕された!

このニュースは間違いなく少数の賛成派の気を削ぐと同時に、反対派をより活気づける。
もはや開票を待たずとも廃案に持ち込めることが明らかになる。
それは彼にとって望ましい結末だった。
クロノ自身、管理局が軍事力を持つことには否定的だった。
肥大化する力は無用の争いを生む。
そもそも軍隊化の話が持ち上がっただけで、これほどの大問題に発展したのだ。
万が一にも法案が通ってしまえば、それはもう禍根にしかならない。
「ではお気をつけて」
互いにそう言い合い、彼らは戦力を二分した。





シャトル内部を取り巻くのは緊張感だ。
ここにいる1人を除き、誰もが戦いの終わりを感じ取っているというのに。
なぜか僅かも隙を見せることはできなかった。
「魔導師というのはどこまでも愚かだな」
いつかリンディを人質にとった時のように、今度は自分が大勢の敵に囲まれている状況にもかかわらず、
デューオの語調はこれまでと全く変わらない。
「わしならこんな面倒なことはせん。身柄を引き渡す前に冷たい骸にしているだろうな」
「そうでしょうね。躊躇いなく暗殺を命じられる閣下ならその程度は――」
護衛役の局員が皮肉に皮肉を返した。
「デューオさんはきっと悪い人じゃありませんよ」
フェイトが言った。
落ち着いたその声に全員が彼女に向き直る。
「だってデューオさんはリンディ提督を人質にとっても、何もしませんでしたから」
「・・・・・・・・・・・・」
クロノは唇を噛んだ。
結果的に彼女の言うことに間違いはなかった。
反対派を陥落させる最も単純で効果的な方法はリンディの拉致ではなく、彼女の暗殺だ。
それが果たせなかったおかげで彼女たちはこの戦いに勝つ事ができた。
「あれはわしの判断ミスよ。そうでなければ今、わしがここにいる理由が説明できん」
彼は吐き捨てるように言った。
「たしかに彼は提督を死なせはしなかったが、多くの反対派を暗殺したことに代わりはない」
武装隊のひとりが険しい表情で言った。
ここで情けをかけてはいけない。
この老獪は明らかに犯罪者だ。
多くの罪人が管理局にされたように。
デューオもまた、適切な処罰を受けなければならない。
「そこでわしを本部に送り、処刑という名目で亡き者にするつもりであろう?」
そうなってもおかしくない状況にもかかわらず、デューオは狼狽する素振りすらみせない。
「処刑・・・・・・物騒な表現ですが、管理局はその罪の度合いに応じて裁定します。
閣下がこの度の行為についてどうお考えなのかも――もちろん考慮されるとは思いますが」
クロノは努めて冷静に言った。
仕事に感情を持ち込んではならないが、母親を拉致した人間を前にすると動悸を抑えられなくなる。
「信条犯は裁判において相当有利なハズだな。ここにもその好例が――」
デューオはちらりとフェイトを見やった。
彼女はばつ悪そうに俯いた。
「それを見越しての行為であれば、信条犯とはいえませんよ?」
クロノは睨みつけながら言った。
「うむ、一理あるな。特にきみたちは”監視”が得意だ。ここでの会話も記録されておるかもしれんな」
彼は厭らしく笑うと静かに目を閉じた。
遊びは終わりだ。
あとは本部まで居心地の悪い小旅行を楽しめばよい。
まだ真の敗北に至っていないデューオは、体を休めるちょうどよい機会だと思うことにした。
(何とでも言えばいい。本部に引き渡せば全て終わるんだ。後は法案を否決させれば・・・・・・)
この一連の事件は幕を閉じる。
何事においてもけして楽観視しないクロノは、ほんの少しの気の緩みからそう思った。
実際、彼の仲間だったテミステーとブロンテスも既に拘留されている。
現状では賛成派を優位に立たせる要素は何もないのだ。
(そうだ。大丈夫だ。何も問題はないハズだ)
若い執務官が苦悩しているのを、デューオは空気を通して感じ取っていた。

 

 

 久しぶりに訪れる地上本部は、遠隔地で戦い続ける同志を温かく迎え入れた。
「長旅、ご苦労だった」
普段はクッション性に優れた椅子に座るのが仕事の高官たちが、珍しく直立している。
「まさかこのような事態になるとは・・・・・・」
高官たちは拘束具で雁字搦めにされた老人を蔑視した。
「我々の目も曇っていたのかもしれませんね。首謀者がこんなに近くにいながら気付けなかったとは――」
「ムドラであることさえ分からなかったのです。彼がよほど巧みだったのでしょう」
かつて管理局の中枢で世界の秩序のために戦ってきた同胞に、彼らは代わる代わる冷たい言葉を送った。
有能な本部の無能の集まり。
今回の事件はそれを浮き彫りにする結果となった。
たとえ軍隊化が成らなくとも、内部の統制の強化やチェック機能の向上を図らない限り、
この巨大な組織はたった一点の瑕疵から脆くも崩れ落ちるかもしれない。
「これは明らかに本部の落ち度だ。早急に手を打たなければならん」
”手を打つ”のは遅すぎるのではないか、と言いたいのをクロノは抑えた。
「第一線で戦う諸君に不始末を押し付ける恰好となって申し訳ない。この後の処理については我々が一切を受け持つ」
日頃が尊大な態度の彼らだが、そのひとりが恭しく頭を下げて労った。
(まだそんなことを言っているのか)
罪人同様の扱いを受けているデューオは内心で笑った。
処理、処分、手続き。
彼らはこういった言葉が好きだ。
足踏みをしているのかと思わせるほど長い時間をかけ、ひとつの案件を捌いていく。
人々の記憶から消えかけた頃に結論が出る。
その時になって古い資料を探し出し、早期の終結が予定されていたハズの事後処理に翻弄される。
本部はいつもそうなのだ。
状況に応じて臨機応変に且つ素早く対応する現場の局員とは違い、
戦場から遠く離れたここは外界の厳しさの半分も届かない長閑な地だ。
実際、自分たちのすぐ傍に凶悪な犯罪者がいたにもかかわらず、誰ひとりとして気配を察知することさえできなかった。
いつか誰かの言った、”管理局の腐敗”にはこれを指摘する意味も込められていた。
「あの、デューオさんはどうなるんですか?」
ずっと不穏な空気を感じていたなのはが問うた。
「彼は重罪を犯した。もちろん裁判にかけられ、適切に裁かれる」
こういう時、彼らに慈悲はない。
庇うことにメリットのある身内なら適当に誤魔化しもするが、デューオは別格の犯罪者だ。
彼に有利に事を進めても、それは管理局全体にはプラスにならない。
「なるほど、裁判か・・・・・・」
老獪は一瞬だけなのはを見、視線を横に滑らせてフェイトに送った。
「ムドラの民であるわしを、”管理局の法”で裁くのかね?」
この問いはもちろんフェイトに対してのものだ。
「主義も思想も違うわしを、自分たちが管理している”つもり”の世界で起きた事件だからと。
きわめて独善的な理由で敵対的に事後処理をしようというのかな」
「・・・・・・・・・・・・」
「しかし、そうなっては――」
彼は数秒をかけて息を吸い込み、
「ムドラの民と魔導師の和平は遠のくだろうな」
それと同じ時間をかけてゆっくりと言った。
「・・・・・・・・・・・・ッ!!」
やはり彼は狡猾だった。
ムドラ――つまり彼には真の敗北などありはしなかった。
「管理局には管理局の考え方と、裁きの基準があるだろう。しかしムドラにも、それと同じものがある。
そしてそれはわしの無罪を認めているぞ」
かつてシェイドがそうであったように、深い怨恨を抱く者は復讐のために大罪を犯しても、それは許されると思い込む傾向がある。
実際、表面上は和解ができていても、過去を知っているムドラの一人ひとりには今も憎悪が燻っているだろう。
デューオは明らかに犯罪者だが、それは管理局の視点から考えた場合だ。
「デューオ閣下、それは詭弁ですぞ」
高官が眉を吊り上げて言った。
「あなたの行いはどの世界に於いても許しがたい罪ですからな。法律云々の前に、知的生命体が永い年月をかけて――」
「高説は結構だ。ここでの会話がわしに有利に働くというのであれば慎んで拝聴するが、そうでなければ」
「ああ、ああ、いいでしょうとも。閣下にはこれから手続きに入ってもらわなければなりませんからな」
犯罪者への扱いはこの程度でも充分すぎるほどだ。
拘束具が幾重にも巡らされているのを確かめ、数名の武装隊とともに彼らは本部に消えた。
「さあ、僕たちの仕事はここまでだ」
クロノが通る声で言った。
何か心のどこかに引っ掛かるものがあったが、これで全てが終わると彼は言いたいようだ。
「デューオ閣下のことは法務部に任せればいい。僕たちがすべきことは引き続き提督の護衛だ」
次に会う時は”閣下”を付ける必要はないだろう、とクロノは思った。
この時の、彼の言葉に矛盾があることには誰も気付かなかった。
全てが終わるのなら――。
リンディの護衛などもはや必要ないハズだ。
だが、彼は。
無意識にそう口にしていた。
経験もあり、有能なクロノは感じ取っていたのかもしれなかった。
真の終わりがまだ少し先にあって、この直後に繰り広げられる波乱こそが。
管理局にとっての、また生き残った多くのムドラの民にとっての試練であることに。

 

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