第18話 転移

(首魁デューオの捕獲により、情勢は反対派優位に傾く。ついに投票の日を迎え、両者の思惑は・・・・・・)

 劇的に情勢が変化した数日間は終わった。
味方が敵に寝返り、敵が味方に転じる。
この繰り返しにようやく終わりがやってきたのだ。
戦いの最後を締めくくるのは、これまでのように”動”ではない。
知的生命体が永い年月をかけて築き上げてきた文化、慣習、文明による”知”そのものだ。
そのために張り巡らされたさまざまな想いが今日、集約する。
「いよいよですね」
ロドムが目を細めて言った。
提督の傍で働き続けてきた彼は、リンディが無事にこの日を迎えられたことに安堵した。
「ええ、全てあなたたちのお陰よ」
実際、自分の力など大したことはない、と彼女は言った。
常に戦場に立っていた彼女には万人を惹きつけるカリスマ性があったが同時に、
先を急ぐあまりに軽率な行動をとってしまう迂闊さもあった。
それが彼女を拉致という不名誉かつ危険な状況に追い込んでしまったが、
こうして存命していられるのは多くの仲間のお陰だ。
「できるだけの事はやったわ。後は反対票を投じて――」
「法案を否決させる」
「ええ」
その時は間もなくだ。
長かった戦いは。
結局、当初の大方の予想どおり反対派の勝利で幕を閉じる。
これまでと同じく武力ではなく、知識と知恵と、対話が多くの問題を解決する時代を。
今日の投票によって続けるのみだ。
「デューオ閣下についてですが」
ロドムは改まって言った。
「特A級犯罪者を前提に無期限の拘置が決定しています。彼が生粋の魔導師であればここまで重くはならなかったでしょうが――」
「罪は罪よ。でも出自で刑罰が決まるのは・・・・・・私たちの望むところではないわ」
「そうですね。身内に甘く、他人に厳しい体質では――管理局の公平性、公益性が損なわれます」
彼らは口を揃えてそう言うが、この局面でデューオの罪を立証し、そのうえ拘束できたのは喜ばしいことでもある。
賛成票を投じる者がひとり減るのだ。
しかも彼は賛成派の旗印。
法案の非を改めて打ち鳴らすことができ、敵対勢力の士気を削ぐという意味では、これほど効果的な手段はない。
今回の騒動を引き起こした本人が不在のまま投票日を迎えるのは、デューオにとって最も屈辱的な皮肉に違いない。
「そろそろ時間ね」
議場には2時間前までに入場していなければならない。
リンディは襟を正し、宿舎を出る準備をした。
管理局、ひいてはこの組織が関与する全ての世界に影響を及ぼし得る大きな戦いだ。
だが勝敗を決するのはいたってシンプルな両勢のやりとり。
自身の意見を票というカタチで表明する。
ただそれだけで済む。
それだけで全てが終わる。
「では私もお供します。議場には入れませんが、そこまでの護衛くらいは務まるでしょう」
彼は笑顔で言った。
「”頼りに”しているわ」
リンディも笑った。
彼女はこれまで、ただの一度さえウソを吐いたことはない。
この凛々しい女性は、自分を慕う仲間を常に信じ、常に頼るべきだ。
彼らが放つさりげない言葉にも、近い将来を暗示する重大なキーワードが隠されているかもしれない。
そうした些細な事柄にもいちいち敏感になることこそが、陰謀の渦巻くこの世界を生き延びる秘訣だ。
「さあ、行きましょう」
彼女はロドムと、数名の局員を率いて宿舎を後にした。

 

 現在、賛成派の多くは戦いが始まる前から勝利を確信している。
誰もが知っているように賛成派の首魁デューオが逮捕されたからだ。
苛烈な手段が白日の下に晒され、賛成派の謳う軍隊化の正当性も翳りを帯び始めた。
ここに来て反対派が追い込まれるハズがなかった。
楽観視は危険だったが、それも過去の話だ。
後はただ、結果の見えている投票を行うだけ。
「・・・・・・・・・・・・」
フェイトは薄水色の空を見上げた。
投票権を持たない彼女の戦いは少し前に終わった。
この有能な魔導師にできるのは、やがて明らかになる結末を待望することだけ。
管理局に変化は起こらない。
これまでどおり、局員の掲げる正義と信念に基づいて世界の秩序と平和を保つための戦いが続けられる。
この少女もいずれはこの組織の正式な一員となる。
そしてかつての自分と同じような境遇にある、まだ見ぬ多くの人々を救う。
不安に思うことなど、何もないハズだった。
拘束されたデューオが本部に消えて行く、その背中を。
最後まで見送っていたのはフェイトだけだった。
戦いは――。
終わったのだ。
「フェイトちゃん?」
すぐ横でなのはが不安げに彼女を見つめていた。
「どうしたの?」
「あ、ううん、別になんでもないよ・・・・・・」
高町なのはは他人の機微に敏感だ。
そのくせ相手を疑うことを知らない。
誰もがこの少女のような性質を備えていれば、世界のあらゆる場所で争いは起こらないだろう。
そうなれば管理局そのものだって必要なくなるに違いない。
「――ウソ」
「・・・・・・・・・・・・?」
「なんでもない、って顔してないよ」
これは疑いではなく憂慮だ。
このところの激戦続きで、フェイトの表情から笑顔は少なくなっていた。
常に人間が引き起こす事件に、彼女自身は疲れていたのかもしれない。
ただ、それが単なる疲労によるものでないと、なのはは分かっていた。
(私って顔に出やすいのかな・・・・・・?)
フェイトは思った。
真意を隠す術には長けていると思い込んでいる彼女だったが、親友には通用しなかったようだ。
「やっぱり分かっちゃうか」
フェイトは苦笑した。
「ちょっと、ちょっとだけ不安なんだ」
この少女はあまりに苦しい経験を繰り返してきた。
年頃にしては現実の厳しさを味わっている彼女には、物事を楽観的に考えるのは難しい。
殆ど全ての反対派が分かりきった結果を描いている中、フェイトは素直にその波には乗れなかった。
まだ、なにか。
陰謀の線が隠されている。
彼女はそう思ってしまうのだ。
「デューオさんのこと?」
「うん・・・・・・というより、ムドラとのこと、かな――」
当初は賛成派と反対派の戦いだったハズだ。
法案を可決に導くか、否決に追いやるかの。
あるふたつの主義の対立でしかなかった。
だが、そこにムドラの民が絡んでしまった以上は。
これは単なる戦いではなくなった。
種族同士の争いに転じたのだ。
和平を求める者と、それを壊そうとする者との。
相容れない対立に。
フェイトが憂えるのは、ただひとつ。
この戦いの結末が、亡きシェイドの想いを無にしてしまうのではないかということだけ。
彼女にとってはもう、法案の可否は問題ではなかった。
仮に軍隊化がムドラとの和平に繋がるのなら、彼女は躊躇いながらもそちらに加担しただろう。
「みんながみんな、同じ考え方じゃないっていうのは分かってるつもりだけど」
「うん・・・・・・」
「私は――もちろん管理局が力を持つ事には反対してるんだ。争いからは何も生まれないって思ってるから」
「私もそう思うよ」
なのはは小さく頷いた。
「でも、そうしたいって思ってる人もいる。きっとどっちも正しくて、だから私たちは戦うんだろうけど・・・・・・」
「フェイトちゃん――」
戦いでは誰よりも速く、優雅で強い少女が、実は誰よりも戦う事を望んでいないのをなのはは知っている。
金色の魔法が敵を倒すためでなく、いつも誰かを守り助けるために用いられていることも、なのはは知っている。
「その結果が悲しいことにだけはしたくないんだ」
かつて高町なのはとフェイト・テスタロッサは激しくぶつかり合った。
互いに譲れない主義主張があり、それを戦わせた。
その結果が今にある。
母を喪いはしたが、フェイトは新しい自分をはじめることができた。
なのには親友ができた。
決して無意味な戦いではなかったのだ。
苦痛を伴なう衝突の後には、必ずそれ以上の幸福が齎されなければならない。
フェイトはいつもそう思っている。
「こんな考え方、間違ってるって分かってるけど――」
彼女は相手がなのはだから打ち明けた。
「私は法律が変わっても変わらなくてもいいんだ・・・・・・」
賛成か反対かは問題ではない。
「ただ、ムドラと魔導師が平和に、仲良く暮らしていけたらそれで――」
進めるべきはそこだ。
フェイトはあくまで彼の遺志を継ぎたいだけだった。
和平が成らなければ、彼の死は無駄になってしまう。
それだけは命を懸けてでも避けなければならなかった。
「フェイトちゃん・・・・・・」
その気持ちは。
なのはには痛いほど分かる。
彼女の、シェイドに対する想いを知っているなのはには。
「間違ってるなんて思わないよ」
こう答えるしかなかった。
この世界のあらゆる事柄について、おそらく誰ひとりとして何が正しく、何が間違いであるかに確信は持てない。
強し信念にも必ず迷いは付き纏うし、主義や主張にも必ず穴はある。
その中で人々は自分が生まれ育ち、培ってきた思想を基に考え方を決める。
なのはも、フェイトも、シェイドも、デューオも。
彼女たちを取り巻く全ての人間も。
だからなのはは肯定した。
平和を愛する気持ちは同じだ。
種族が違っても、住む世界が異なっても。
きっと根底にある想いは同じなのだと。
「こんな悲しいこと、誰だってこれで終わりにしたいって思ってるハズだよ」
実際、復讐心の虜になっていた少年でさえ、最期には和平を望んだのだ。
「きっとデューオさんだって――」
「うん・・・・・・」
呪縛を解くのは簡単ではない。
特に憎悪や猜疑心からの脱出は。
それらを上回るもっと強い力がなければ成し遂げられない。
もしデューオの闇が、これまでに相対してきた誰よりも濃く、深いのであれば。
たとえフェイトといえども容易く振り払うことはできないだろう。
(・・・・・・・・・・・・)
胸騒ぎがする。
フェイトは優しい親友に気付かれないように酸素を求めた。
嫌な予感だ。
とても。
何か、良くないことが起こるかもしれない。
そんな予感が。
フェイトの心をざわつかせた。

 

 これまでの全ては単なる前哨戦に過ぎない。
賛成派、反対派。
魔導師とムドラの民。
渦巻いていた陰謀。
それら何もかもが、この一瞬に集約される。
巨大なドーム状の議事堂には1188名の投票権を持つ高官の他、彼らの補佐役など
総勢3000名が収容された。
ここでは互いに多くは話さない。
最後の瞬間まで、彼らは戦い続けているのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
リンディは視線だけで周囲を探った。
本来、ここには1197名の投票権が集まるハズだった。
欠けた9名のうち6名は、もうこの世にはいない。
悪辣な賛成派の過激な手段によって、彼らは命を落としたのだ。
当初からリンディと志を同じくする反対派が。
(彼らの分まで私が戦わなくては――)
この戦いは間もなく終わる。
間違った方向に進みかけている管理局を、この場に留めることで。
争いは決着するのだ。
これまでは敵対していた高官が多かったが、今は違う。
彼女の演説と、賛成派の激烈ぶりが人々の心を動かし、反対派に靡いている。
劣勢は優勢に転じ、多くの人々にとって望ましい結果が齎されようとしていた。
「いよいよね」
局員の間をすり抜けるようにしてカーナがやって来た。
「ええ」
「最新の事前調査では945対188。大差がついてるわ」
「もちろん多いほうが反対票なのよね?」
「そうじゃなきゃこんな顔してないわよ」
何事に於いても慎重なカーナが破顔した。
「それでも200人近くは軍隊化を進めたがっているのね・・・・・・」
「しかたないわ。リストを見れば分かるけど、この188人は当初から賛成を表明しているの」
「自分の意志を貫いているというわけね?」
「そうせざるを得ないのよ」
「・・・・・・・・・・・・?」
「彼らの家族や親しい人たちはムドラとの戦いで死亡しているのよ。誰もが和平を望んでいるわけじゃない。
管理局が強ければ払わずに済んだ犠牲もある、と彼らは考えているの」
難しい問題だ。
そういう立場に立ってみなければ見えないものもある。
感情を差し挟むべきではないと分かってはいても、ここにいるのは人間だ。
どうしても冷静になりきれない場合がある。
「その言い分も理解できるわね・・・・・・」
「ええ、だけど――」
カーナは堂内を見渡した。
「これ以上の悲劇を生み出さないためにも、武力を持つ事には反対の声を上げなければならないわ」
力を持つことも、力を求めることにも彼女は嫌悪していた。
その姿勢がデューオのような狂気を目覚めさせてしまうのだ、と考えているからだ。
和平にも管理にも力は必要ない。
それを使うのは勝利と支配を目的にする時だけだ。
「もうすぐ投票が始まるわ」
リンディは時計を見て言った。
「それじゃあまた後で」
「ええ」
時が迫るにつれ、騒然としていた場内を静寂が包んでいく。
ここにいる、おそらく全ての者が結末を知っているだろう。
事前調査のデータを得ている人間はそれを見て。
そうでない者はこれまでの情勢を見て。
否決されると分かっていても、少数の賛成派は投票に臨む。
いま、この場で各々が意見を述べる。
この静かで知性的な戦いそのものが、反対派の願う管理局の真の姿だ。
空間から一切の音が掻き消えた時、議長が緩慢な足どりで登壇した。
(いよいよこの瞬間が――)
場内に緊張が走る。
この瞬間にいなければならない数名を除いて。
最後の戦いが始まった。
「これより、第1175号案件――時空管理局武装隊および武装施設における軍備の強化、
ならびに非戦闘区域における武装局員の配備に関する法案に――」
議長が会の始まりを告げた。
この度の法案の骨子、詳細について述べられた後、両勢には約10分の演説の時間が与えられる。
デューオが登壇する予定だったが彼は拘留されているため、代理人がその役を担うことになった。
「本案には――」
たったひと言、述べかけた瞬間に場の空気は変わった。
デューオたちが独断で遂行したこととはいえ、今や賛成派には暴虐の集まりというレッテルが貼られている。
その代理人の最後の演説には説得力はない。
言論による戦いを先に放棄したのは彼らなのだ。
「日々苛烈になる戦いを前に、我々が自身の身を守るために必要な最低限の項目を盛り込んである」
代理人の声は力強いが、その音は虚しく議場を巡る。
「これまでに多くの局員が負傷し、あるいは命を落とした。我々が管理すべき世界が広がっていることに加え、
抵抗勢力の強大化、局員の絶対数の不足などが引き起こした、避けられない犠牲である」
聞こえは良い。
「しかしこれらは防ぐ手立てはあった。我々はその方法に永く目を背けていたのだ。
戦線に派遣される武装隊、拠点を守る局員。彼らの装備はあまりに脆弱すぎた。
身を守り、戦いを速やかに終結させる力があったにもかかわらず、管理局はその行使を強く戒めてきた。
十分な力を有していた。その力を用いていれば、多くの事件は犠牲を出さずに解決できたハズである」
頷く者が何人かいた。
彼らはカーナが言ったように、近親者を喪っているのだろうとリンディは思った。
「世界の管理と秩序を掲げる我々は強力だが、あまりに非力すぎた。
この法案は勝利のためではない。侵略や支配のためとももちろん違う。
我々がより安全に、より迅速に、世界の秩序を助けるのに必要な法である。
どうかご理解いただきたい。我々を守るのは我々である、と」
代理人は言うべきことを述べると一礼し、足早に壇を降りた。
明らかに敵意が大多数を占める視線に当てられ、
(なんで俺がこんな役回りを・・・・・・クソ!!)
代理人の男は気取られないように舌打ちした。
今回の件について、彼自身に特定の考えはない。
デューオの傍で働いてきたというだけであって、主義主張は持たずにここまで来たのだ。
それを自身が賛成派であるかのような論調で演説しなければならないとあって、彼の心は穏やかではない。
どうせ結果の見えている戦いだ。
投票権を持たない彼は最後の最後に不名誉な役どころを命じられて、この議場の末席で投票を見届けるしかできない。
この代理人にさらに惨めな想いをさせるのが、この女性だ。
「反対派代表としてこの壇上に立たせていただきましたが・・・・・・」
リンディ・ハラオウン。
今となっては管理局でその名を知らない者はいない、時の人だ。
「私から語ることは殆どありません。反対派が訴えるべきことはこれまで演説などを通して、皆さんに広めてきました。
実際、お集まりの皆さんも一度はそうした声を聞かれたことと思います」
彼女は落ち着いていた。
この10分の演説にはもはや意味などない。
ここでの語りが票の移動に繋がるハズはない。
たった数分の訴えかけで人々の心が動くなら、その何百倍もの時間をかけて行われたこれまでの演説の効果のほうが、
遥かに強く、鮮烈で、多大な影響力を持っているハズだ。
「力を持ちすぎたものは秩序を破壊します。管理局はやがてその力に傲慢になり、管理から支配へと目的をすり替えるでしょう。
私たちが永い年月をかけて築き上げてきたものを、軽率に変えるわけにはいきません」
多少の柔軟性を持つこの女性は、しかし根底には伝統と格式を重んじる傾向があるようだ。
急な変化は様々な問題を生む。
変化が大きければ大きいほど、歪みは広がっていく。
反対派はそれを憂えているのだ。
現実に賛成派は既にその強大な力を手にする前から支配に走ろうとした。
暗殺という卑劣で狡猾な手段で。
リンディはそれだけ述べると壇を下りた。
形式だけのやりとりはこれで全て終わった。
後は議長の宣誓とともに投票を行うだけである。
永かった戦いにようやく終わりが来た。
誰もがそう思った。
ここにいる誰もが。
「それではこれより採決を行います。投票者はデスク中央のキーを押して投票することができます。
本案について賛成の方は左側の青色のキーを、反対の方は右側の赤色のキーを押してください。
一度キー操作を行うと取り消すことはできません。慎重に操作をしてください」
これで全てが決まる。
払った犠牲も、費やした時間も。
全てはこの一瞬のためだ。
「・・・・・・・・・・・・」
リンディはもちろん躊躇うことなく赤色のキーを叩いた。
彼女は誰よりも先に反対票を投じた。
それにほんの一瞬だけ遅れてカーナが意思表示する。
ここに来て、もはや迷う理由はない。
先ほどの両者の演説も、ここにいる全ての高官の信念を揺らがせることはなかった。
既に決まっていた答えを、このキーに託すだけだ。
戦いは終わったのだ。

 

 

 表舞台に立てなくなった老獪は、犯罪者を拘束する強大な魔力の前で嗤っていた。
無駄なのだ。
リンカーコアを持たない者に対しては、魔法は何の意味も持たない。
全ての生物が感じているように、空気のような存在でしかない。
射撃も斬撃も、それはムドラの民にとっては高圧縮された空気の塊をぶつけられるようなものだ。
だから彼は恐れなど抱いてはいないし、自分が危機的な状況にあるとも思っていない。
少しだけ気にするべきことがあるとすれば。
ここにいて、投票の結果をいち早く確認できるかどうか、だ。
採決の結果がどちらに転んでも、デューオ・マソナにとっては歓喜を呼び込むその瞬間を。
(・・・・・・現状、十中八九否決されるであろうな)
完全な勝利ではない。
彼の望みは満場一致の可決でこの論争を終わらせることにあった。
誰の反対もなく成立すれば、

”管理局は軍事力を持つ事を正しいとしている”

という不動の前提を手にすることができる。
そのためにデューオは反対の意思を表明する者と、反対派に靡きそうな者の排除に乗り出した。
力で全てを捻じ伏せる。
力のある者が力無き者を屈服させる。
これがかつて、今の魔導師がとってきた行動だ。
(だが、わしは違う・・・・・・)
デューオはそうではない。
彼が軍隊化を押し進めてきた理由は、侵略や支配、制圧のためではない。
弱者を屈服させるつもりなど元よりなかったのだ。
真の目的は――。
管理のためだった。
魔導師による管理ではなく。
ムドラの民による世界の管理だ。
彼らにならできる。彼らにしかできない正しい管理だ。
支配され、迫害される側の立場に共感できるムドラの民ならば。
決して力に溺れ、驕慢になってそれを振るうことはしない。
見せかけの武力は単なる抑止力。
魔導師たちのように独善的な正義を押し付け、自分たちに都合の良い秩序を築きはしないだろう。
(貴様らのような蛮族に世界を安定させることなど不可能であろうよ)
彼は唇の端を歪めた。
「実際、この程度の混乱すら収拾するのに時間をかけすぎておる・・・・・・」
やはり管理局に”管理”は不可能なのだ。
デューオは思った。
それは自分に対する彼らの姿勢からも分かる。
本来ならこれほどの事件を起こした張本人を捕らえた以上、厳しい取調べがあるハズだ。
場合によっては独善的な彼らのこと、裁判にかけることもせず葬るという強硬手段もあり得た。
だがそれは為されなかった。
何の意味があるのか、重犯罪者は今のところ拘束以外の咎を受けないままだ。
管理局上層部が密かに殺害する算段を練っているのか、何らかの取引を持ちかける準備をしているのかは分からない。
いずれの道を辿るにしても時間をかけすぎている。
これがこの組織の体質だ。
事が起こってからでなければ動けない。
事が起こってからも動きは遅い。
「貴様らの傲慢さが招いた失態よ」
老獪がもう一度笑んだ時、2人の管理局員がやって来た。
「デューオ・マソナ。あなたに残念な報せがある」
そう切り出した男の顔は嬉しそうだ。
もちろん賢しい老人はこの一言で全てが分かる。
彼の言葉、その表情で。
反対派にとって望ましい結果が齎されたことが。
(ふむ・・・・・・)
滑稽だった。
真の勝者は、勝ったつもりになっている彼らを見るのが愉快で堪らない。
誰もが”そうだった”のだ。
デューオ・マソナを除いて、誰もが。
この戦いの全てが投票に注がれているものだと思っていた。
どちらにとっても、法案の可否だけがつまり勝敗なのだと。
おそらくブロンテスやテミステーでさえもそう思い込んでいた。
だが、違った。
この戦いに関わった全ての者が注目していたのは。
たんなる通過点だった。
「法案は否決されたのだろう?」
デューオは静かに言う。
「ああ、そのとおりだ。あんたの思惑ははずれたな」
口ぶりからこの局員たちが当初から反対派であったことを、デューオは突き止めた。
「思惑・・・・・・? わしの思惑が何であったかを知っているというのかね?」
「強がりもそれくらいにしておいたほうがいいぞ? デューオ”閣下”?」
彼は尊敬と侮蔑の意味を込めてそう呼んだ。
「ああ、そうであろうな。何しろこの戦いは賛成派の敗北で終わったのだからな」
老獪は口唇を僅かに歪めて嗤った。
「たしかに賛成派の敗けだ・・・・・・が、反対派が勝利したわけではないぞ」
「付き合いきれませんな。現実を受け容れられないあまり、妄言を吐くようになりましたか」
局員は小さく息を吐いた。
彼らの中では既に戦いは終わっている。
この悪辣な老人の野望は潰えたと。
彼らは思い込んでいるのだ。
「間もなく分かろう」
デューオは殆ど聞き取れない声で呟いた。

 

 

 

 場は歓喜の叫びに包まれた。
あらゆる場所で。
この戦いの結末を心から願っていた者たちが。
自由と平和を勝ち取ったと勘違いしている者たちが。

「聞いたかよ!? 法案が否決されたぞ!!」

「ああ! 反対派の大勝利だってな!?」

「物騒な案だったものね。流れて何よりだわ」

「無益な戦いを起こさなくてすむんだろ? オレたちの生活にも関わることだもんな」

「軍隊化反対!!」

管理局が強い力を持つ事を望まない者たちが、勝利の雄叫びをあげた。
その声は世界のあちらこちらで聞かれた。
管理局に深く関わっている人々も、そうでない人々も。
皆が同じように喜びを分かち合っている。
一部の賛成派が歯噛みするその横で。
「良かった・・・・・・」
なのはは安堵した。
シェイドの死は無駄にはならなかった。
彼が命を懸けて築き上げたものは、魔導師とムドラの終わりの無い戦いではない。
終わりの無い戦いを終わらせるための、和平への道だ。
それはたしかにここにあった。
「フェイトちゃん!」
ともに祝おうと、なのはが声をかけた相手は――。
「・・・・・・・・・・・・」
この歓喜の声を全く聴いていなかった。
彼女自身は喜んでいないわけではなかった。
もちろん望ましい結果であったし、リンディの戦いもシェイドの死も無意味でなかったという想いはある。
「リンディさんたち・・・・・・勝ったんだね」
なのはは笑った。
この少女の笑みは見る者を幸せにする。
「うん――」
それにつられてフェイトも微笑した。
勝利。
これは間違いなく勝利だった。
だが、それは?
誰の視点から見た勝利だったのか?
恐らく賛成派の誰も、反対派の誰もそれは分からない。
真の勝者は誰もが良く知る、たったひとりの人物だからだ。
「シェイド・・・・・・」
金髪の少女は天を仰いだ。
死後、彼はかつて彼女のすぐ傍にいた。
闇を祓うために常に彼女の傍にいた。
今は――。
どこにいるのだろうかと、フェイトは思った。
プラーナと一体になったあの少年は、もしかしたら今も自分のすぐ近くにいるのかもしれない。
目には見えない、耳にも聞こえない、つまり空気となって。
自分を取り巻いてくれているのかもしれない。
フェイトは思った。
(シェイド、見てくれてる? 私たちが目指していたもの――守ったよ? 魔導師とムドラの和平の道を守ったんだよ?)
この戦いはひとりでは決して乗り切ることはできなかった。
法案を否決に導いたのはリンディの声明によるところが大きかったが、勝敗を左右したのはそれだけではない。
フェイトが戦い、なのはが援護し、クロノが動き、シグナムたちの加勢があり。
ロドムの補佐、一度は裏切ったビオドールの働きも手を貸してくれただろう。
それら全ての力が最も効果的に働き、反対派の意思が賛成派を覆した。
そこにはシェイドやメタリオンの導きもあったのだろう。
フェイトはそう思わずにはいられない。
「さすがリンディ提督だ」
どこかでそんな声がし、2人が振り向く。
これまで多くの戦いを共にしてきたアースラクルーたちだ。
投票権を持たない反対派も決して無力ではなかった。
彼らの一人ひとりがこの戦いを進めていたのだ。
フェイトの心は満たされているハズだった。
この結末こそ彼女が望んでいたことだからだ。
シェイドの死を無駄にしないために。
彼が生きていた意味を今にも、これから先にも示すために。
この結末は必要だった。
だが――。
この勝利が慢心を産んだ。
フェイトでさえ油断していた。
少女がようやく気付いた時には、陰謀は世界の各地で毒牙を宛がっていた。

 

 

 歓喜の声は悲鳴に変わる。
この戦いの結末を望んでいた者たちが喜び、勝利を齎した高官の凱旋を祝おうとした時に。
それらは現れた。
音も無く、気配も発さずに。
誰もが油断していた。
彼はこの時を辛抱強く待っていたのだった。
粗末な牢獄の向こうで。
老獪にとっての最善手ではなかった。
彼の狙いはあくまで法案の成立。
管理局に手に余る武力を持たせ、その力でもって自ら惰弱に陥ることこそが、彼の真の狙いだった。
その実現が確実でないと分かる前から、彼はもうひとつの策を進めていた。
大胆かつ単純、しかしタイミングさえ誤らなければ最も恐ろしく効果的な罠だった。

『 時空管理局軍隊化法案 』

これそのものが彼の仕掛けた罠だったのだ。
可決されようとも否決されようとも。
どちらに転んでも老獪が望む結果が用意されていた。
標的たちはこの餌に引き寄せられ、誘き出された。
賛成派も反対派も関係なく。
彼らは彼の目的のためだけに招聘された。
展開する世界の各地から高官が集った時――。
管理すべき領域を広げすぎた管理局の最大の弱点が露になる。
充分に力を発揮することのできない局員たちは、”管理のため”に世界の隅々に広く薄く配置されていた。
小さな紛争、大きな戦争に介入し、秩序を取り戻すために、彼らは派遣された。
現場を監督し、指揮し、中核となる高官たちが本部に終結した瞬間が。
手を広げすぎた管理局が最も脆弱になる瞬間だった。
法案が否決された数秒後に。
老獪デューオ・マソナが仕掛けた罠が動き出す。
彼がこの時のためにかき集めたキューブ。
艦隊をも容易く壊滅させられるほどの無数の駒が。
世界の隅々で起動した。
不意を衝かれた彼らは次々と倒れていった。

遠隔地では法案否決の報せが届く前に、キューブの放つレーザー光が凶報を齎した。

近隣の区画では法案否決に慢心していた局員を嘲笑うように。

無慈悲なキューブの群れが歓喜の声を悲鳴に変えた。

 

 

虜囚となった老人が、強がりでも開き直りでもなく笑みを浮かべていられたのは。
この時が来ることを彼だけが知っていたからだ。
デューオだけが違う戦いを戦っていたのだった。
賛成派も反対派も、たったひとりが作り上げたもの。
この戦いすら。
彼が準備し、舞台を組み上げ、飾りつけ、そして彼自身もまた演者として立ち回った――。
デューオ・マソナの作品だった。
出演者も観客も、スタッフも・・・・・・。
演目が何であるかを知らなかった。

「これが始まりだ・・・・・・そして貴様らの終わりでもある・・・・・・」

喜劇と悲劇の境を、その渦中から最も遠く、最も近い場所で通り過ぎた老獪は。

混乱が大きくなる遥かに前から、幾重にも巡らされた魔力の拘束を叩き壊し、管理局から姿を消した。

 

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