第3話 潜伏

(軍隊化を阻止するためには反対派の団結が必要だと感じたリンディは、はずれにある同志の家を訪ねることにしたが・・・・・・)

 護衛が室内へと通したのは不健康そうな女性だった。
言うまでもなくここに訪問客として来ている以上、彼女も反対派だ。
「あら、レイーズじゃない? 久しぶりね」
顔を見るなり懐かしそうに声をかけたのはリンディのほうだ。
レイーズといえばリンディ同様、艦長も務める優秀な提督だ。
魔法の才能は乏しいが、その分を知識と情熱で補ってきた。
彼女とは幾度となく任務に同行したが、こうしてリンディが直接顔を見るのは2年ぶりである。
「リンディ・・・・・・無事だったのね」
特に再会を喜ぶでもなく、ひとまず無事を確認して安堵の表情を見せるレイーズ。
しかしほころんだのもわずか一瞬。
今の彼女は憔悴しきっており、久しく顔を合わさなかった仲間と思い出話に興じる余裕もなさそうだ。
「どうしたの?」
リンディはすぐに表情を変えて訊ねた。
「ええ・・・・・・」
カーナに勧められてソファに腰をおろした彼女は、口をぱくぱくと開けるだけで言葉が出てこない。
「どうしたの?」
リンディはもう一度訊いた。
様子から悪い話であることは分かっているが、わざわざ来て口を閉ざすこともない。
レイーズは絞りだすように言った。
「アルメイダが・・・・・・死んだわ・・・・・・」
「・・・・・・ッ!?」
カーナが目を見開いてレイーズを見た。
リンディは今ひとつピンとこない様子で2人を交互に見る。
「殺された・・・・・・」
レイーズはうわ言のように呟く。
「あなたはまだ知らなかったわね」
カーナが伏せ目がちに語ったのは、アルメイダという女についてである。
本部で法律顧問を務めていた彼女は、管理局軍事化の話が持ち上がった時に一番に反対したという。
実際に軍事化を進めるにしても法の壁は厚く、その方面に明るい彼女は反対派の中核を担う存在だった。
法律が絡んでくるだけに敵に回せば恐ろしく、味方にすれば頼もしい。
人望もあった彼女は反対派の旗印として軍事化議案撤廃に向けて果敢に闘ってきた。
一部ではリンディ以上に発言による影響力が強い、とまで言われるほどだった。
しかし志なかばにして彼女は倒れた。
地方に向かう途中、何者かに襲撃されたらしかった。
遠隔地で、しかも密かになされた犯行だったため発覚が遅れたようだ。
「まさか彼女が・・・・・・」
カーナは遠い目をして言った。
アルメイダとリンディが組めば、かなり多くの高官がこちらに靡く、とカーナは踏んでいた。
アルメイダの法知識を基盤に、リンディの聞く者の心を打つ声があれば、廃案は可能だと。
しかしその希望はレイーズがもたらした報告によって消えた。
「まずいわね・・・・・・」
貴重な戦力を失ったことよりも、失ったことにより波及する効果を恐れたカーナは難しい顔をした。
「彼女の死が中立派を賛成側に走らせることになるわ」
彼女は思いの外、あっさりとアルメイダの死を受け容れたようである。
悲しさに涙を滲ませるかと思いきや、カーナはしたたかだった。
「それどころか反対派も寝返るおそれがあるわ」
とは、レイーズの言葉である。
人としては当然の感情だ。
反対を表明すれば自分も殺される、と思えば誰しも保身のために本意ではない賛成票を投じる。
「不安を煽らないことが先決ね」
リンディが言った。
「ここまでやってるなら、捜査の手が入ってもよさそうだけど」
と訝るレイーズに、
「賛成派が圧力をかけてる、っていう説もあるわ」
すかさずカーナが答えた。
この説も憶測の域を出ないが、現状を見れば疑う価値は十分にありそうだ。


「はぁ・・・・・・」
傍らに数人の護衛がいることも忘れて、リンディは聞く者をがっかりさせるようなため息をついた。
「まだ始まったばかりですよ」
局員が気を遣って言った。
カーナやレイーズと会って得たものは多かったが、逆に危機を感じさせる話も多かった。
状況の悪さに戦う前から戦意を削がれた気分だ。
あの後、30分ほど話したが誰からともなく、
「あまり長居しないほうがいい」
ということになり解散した。
今後、反対派同士の情報交換は互いに使いを遣(や)ることで行う。
あくまで投票権を持つ者はみだりに表に出るべきではない、というのがカーナの意見だった。
安全面を考えればこれは正しい。
ただしどんな戦いも守っているだけでは勝てない。
時には危険を覚悟で攻撃に打って出る勇気も必要だ。
横にいたロドムはリンディの、こうした捉えようによっては無謀とも思える姿勢をよく心得ていた。
「外で動くことも想定されていますね?」
というロドムの問いに対し、
「えっ?」
リンディは短く返す。
「いかに危険とはいえ、いつまでもここに籠っているわけにはいかない、と」
「え、ええ、そうね。カーナの言うことももっともだと思うけど」
「そう言われると思い、頼もしい護衛を呼んでおります」
ロドムは含んだように言う。
「あら、誰かしら?」
ここにいる10名の局員も十分に頼もしい。
軍隊化法案に反対しているのに、武装隊に守られているのは何とも皮肉だが致し方ない。
そこには目をつぶるとして、他にも護衛が来るとは彼女も知らなかった。
「すぐに分かりますよ」
なぜか名言を避けるロドム。
リンディは訝ったが、そこは信頼するロドムの言とあって、深く追及しようとはしなかった。

首都クラナガン。
とあるビルの一室で。
薄暗い部屋の中央に円テーブルを置き、4名の男が十字に席についた。
「あの女は始末できたのか?」
この会合を主催したらしい、白髪の男が言った。
「残念ながら、まだ・・・・・・」
と小声で言ったのは、まだ若い男のようだ。
室内の照明は暗く、互いの顔を見ることはできない。
「まだ? 投票日がいつか分かってるのかね?」
苛立たしげに声を上げたのは、これもまた相当な年配の男だ。
「はい、心得ております」
若い男は頭を垂れて答える。
「これは遊びではないのだよ。いいかね、きみ。実に重大な問題だ。軽く考えてはいかんな」
「決してそのようには・・・・・・」
さらに老齢の別の男が諭すように言い、若い男は居心地悪そうに曖昧にかわした。
他の3人はともかく、この若い男はここに居場所を求めてはいなかった。
ただ成り行きでこうしているだけである。
「女ひとり始末できぬとは嘆かわしい。アルメイダの件で慢心したのではあるまいな?」
白髪の男はふて腐れたように吐く。
集まって5分と経っていないが、交わされる会話は実に物騒なものである。
老人特有の穏やかでしかしどこか老獪さを匂わせる口調には、吐き出される言葉に現実味を帯びている。
「・・・・・・あらゆる手を使って妨害を試みます」
若い男も言葉が少なくなってくる。
「試みますって・・・・・・もうそういう段階ではないのだぞ。早急に始末する必要があるのだ」
「お言葉を返すようですが――」
3人の年配者に押されながら、男は憚るように切りだした。
「その”始末”という言葉がどうも・・・・・・私たちの目的は軍事化推進であって反対者の殲滅では・・・・・・」
暗闇の中で誰かの眉がぴくりとつり上がった。
「あの女の影響力は侮れん。わしらの狙いは満場一致で法案を可決させることにある」
「そうともそうとも。軍事化は全ての人間から歓迎されるかたちで実現させねばな」
「きみね、考えるが甘すぎるのだよ。いいかね、ただ法案を可決させればいいというものではない。ここまでは分かるね?」
今度は3人がほぼ同時にまくし立ててくる。
「・・・・・・・・・・・・」
若い方の男は何も言えなくなった。
歴然とした年齢差からくる見解の相違は、その差分の年月を経ることでしか一致させることはできないようだ。
3人の老人は若くて未熟な考えを嘲(あざけ)るように畳みかけた。
集う者たちに歩み寄りはない。
望む結果は同じだが、そこへ到る過程、さらには目的を達成した後に見えるものがまるで違っている。
(私も軍事化には賛成だ・・・・・・が、こんなやり方での成立は認めたくない・・・・・・)
この若い男は、老獪な3人ほど残酷にはなれない。
(なんとかしなくては・・・・・・)
鋭い視線を向けられているのを感じながら、男はある決意した。

「あの、まだ早いのでは?」
局員の声も聞かず、リンディは室内をうろうろした。
「カーナはああ言ってたけれど、いつまでも守っていては勝てないわ」
つまらないことを言わせないで、というふうに彼女は外出の用意をする。
「勝ち負けなんですか・・・・・・これは?」
「そうよ、これは戦いよ」
細く見えるスーツを着終えたリンディは数枚の書類を手に取った。
これには反対派の名前と所在が記されている。
彼女がこれを持っているということは、賛成派も同じ情報を得ている可能性は極めて高い。
志を同じくする者として、直接に顔を合わせて今後について話し合う必要がある。
「提督らしいですね」
局員は笑った。
彼の役目はリンディの護衛だ。
方針についていちいち口出しするのではなく、あくまでリンディの傍について彼女を守ればよい。
本来の任務を思い出し、局員は黙ってデバイスを握りしめた。
外にもすでに数名の局員が警護としてついている。
安全を考えればここから一歩も外に出るべきではないが、それではここにいる意味もなくなる。
「そういえばロドムはどうしたの?」
最近のリンディは軍事化反対に熱を入れるあまり、周りを見ないことが多くなった。
士官として手腕を振るっていたロドムの存在を忘れてしまうほどだ。
「ロドムさんなら未明からお出かけですが」
こんな時に、とリンディは呟いた。
「まあいいわ。さ、行きましょうか」
軽く言ったが、要は出かけるからしっかり私を守れ、ということだ。
「はい」
局員がドアを開けた。
外で待機していた武装隊が一斉に振り返る。
リンディはそれらが放つ視線にひとつずつ目くばせして外へ。
8名の武装隊が取り囲むようにして動く。
(かえって目立つかしら・・・・・・)
仰々しい。
これでは反対派がここにいる、と教えているようなものかもしれない。
「急ぎましょう」
「はい」
行き先はすでに告げてある。
宿舎から2キロメートルほど離れたところにある小さなビル。
今や反対派を称する者は表には出てこない。
ただ、いつまでも隠遁を続けるわけではない。
彼らにとっての脅威は、軍事化を推し進める賛成派の妨害・・・・・・つまり暗殺などの襲撃だ。
したがって投票日まで生き延び、見事に否決に持ち込めればこの生活も終わる。
とはいえ執拗な賛成派が多くいる現状を見れば、すぐに一部を修正して再び草案を提出する可能性はある。
わずかでも修正が加えられればそれは全く別の起案とみなされるため、また投票までの長い時間が始まる。
「僕たちも投票できたらいいのに。そしたらこんなに苦労は――」
局員のひとりが呟いた時、上空で音がした。
「伏せてくださいッ!」
なにか勘が働いたのか、武装隊は音の出どころも正体も分からないうちにそう叫んでいた。
リンディが伏せたと同時に閃光。
武装隊はとっさに目を閉じることで一時的な視力の低下を防いだ。
キーンという電子音が響き、何かが風を斬ってやって来る。
「なんだあれは!!」
誰かが指さして叫んだ。
誰もが呆気にとられた。
中空10メートルほどの高さに銀色の立方体が静止していた。
CGよりも美しい光沢が見る者に違和感を与える。
武装隊が見るこの立方体の表面には、まるで鏡のようにそれぞれ自分の顔が映っている。
「・・・・・・」
立方体は高度を保ったまま、ときおりクルクルと回転している。
誰も何も言わなかった。
が、この得体の知れない物体がとりあえず安全な物ではないとは直感したらしい。
彼らはそっと音を立てないようにリンディを庇うように位置どる。
リンディは武装隊の後ろ姿と、その隙間からわずかに覗く立方体を眺めていた。
そこにある、という実感が持てない。
銀色の立方体は音も立てずに、慣性もつけずにゆっくりと、あるいは勢いよく回転する。
その動きが急に止まった。
立方体の全ての面に十字の亀裂が入り、小さな8個になった立方体がわずかに広がった。
隙間に赤い光が見える。
「バリアを!!」
遅かった。
武装隊が戦闘態勢に入る0、2秒前に、隙間から覗いた赤い光がレーザー光となって局員の一人を貫いた。
「ぐおあぁっ!!」
胸に走る焼けるような痛みに局員は転がった。
同時に他の武装隊が各々デバイスを向けて、謎の立方体の破壊を試みる。
この物体は明らかに敵意を持っている。
傷つけずに捕獲して調べるのが定石だが、突然の出来事だったこともあり武装隊は破壊することを選んだ。
『”Snipe Shot”』
短すぎる音声に続いての射撃。
蒼白の光が立方体の中心めがけて放たれる。
だが出力がやや足りなかったらしく、透明の障壁を作りだした立方体は攻撃を難なく防いだ。
局員はその場に留まったまま、デバイスの出力を上げた。
数では圧倒的に有利なのだから、ここで敗れることはありえない。
誰もがそう思った時、あの電子音が再び聞こえてきた。
「・・・・・・!!」 リンディが見上げた空には、合計7個の立方体が静止していた。
新手は武装隊からは完全に死角となる位置に現れた。
リンディは咄嗟にシールドを展開した。
強い魔力を持つ彼女の結界は自分のみならず、周囲にいた武装隊にも作用する。
7個の立方体は中央に赤い光を灯らせ、こちらを狙っているように見える。
破裂音がした。
武装隊の集中砲火が最初に現れた物体を突き破ったのだ。
しかしそれに時間をかけすぎている。
すでに新手の物体は背後からリンディを撃たんと狙っている。
(・・・・・・!!)
上空から凄まじい勢いで迫ってくる魔力を感じた。
その場にいた全員が顔を上げると、無数の光球が降り注いでくる。
管理局に属する者なら、たいていはこの光球の正体を知っている。
天空から落ちてきた38個の球は美しい弧を描いて飛んだ後、攻撃態勢に入った立方体を貫いた。
威力は充分。狙いも確かだった。
桜色と金色の光球は帯状の軌跡を残して空を制した。
「おお、きみたちかっ!」
突然の応援に鼓舞された武装隊は、にわかに勢いづいた。
といっても彼らが苦戦していた物体は、先ほどの攻撃で全て破壊されている。
「大丈夫ですか!?」
白を基調としたバリアジャケットをまとった少女は、ゆっくりと降下しながら呼びかけた。
「ああ、おかげで助かったよ」
武装隊の顔に笑みがこぼれる。
「間に合ってよかった・・・・・・」
周囲を窺いながらも漆黒のバリアジャケットに身を包んだもうひとりの少女が、安堵の表情を浮かべた。
新手の登場はなさそうだ。
「久しぶりね、フェイト、なのはさん」
リンディは2人との再会を複雑な表情で喜んだ。
「どうしてリンディさんが・・・・・・?」
ひとまず危機は去ったものの、切迫した様子を悟ったなのはは不安げな顔を向けた。
2人は彼女の置かれている状況をある程度、周囲から聞いて知ってはいた。
しかし政治にからむ難しい問題となると、まだ幼い2人には理解も納得もできない。
「それは道々話すわ。今はそれよりもここから離れたほうがいいみたいね」
周辺には強い魔力痕が残っている。
賛成派がこれを察知してやって来ては厄介だ。
「え、あ、はい!」
慌しい移動となった。
大通りは避け、かつ乗り物も利用できないため徒歩での移動となる。
護衛はあからさまに見えないようにつかず離れずの距離を保ってリンディを囲む。
「じゃあリンディさんに投票させないために・・・・・・っていうことですか?」
「大勢の中では1票なんて大した価値はないわ。私が反対派の旗印だと思われてるのが問題なの」
2人の疑問に、彼女は生々しい表現は避けて説明した。
無垢な少女たちに大人の醜い部分は語りたくない。
リンディはそう思っていた。
そもそも賛成派の考えは矛盾している。
外敵に対しての策を講じているハズが、なぜ管理局内部で争わなければならないのか。
軍隊化を推し進めて、その先に何があるのかを賛成派は語っていない。
(力だけで解決なんてできないのに)
今のリンディはおそらく、なのはの性質に近いだろう。
いざとなったら毅然と戦うフェイトの強さももちろん持っているが、少なくとも平和的手段を第一に考えている。
「でもそのために危険を覚悟で飛び込むなんて――」
話を聞いていたフェイトは、リンディの姿勢を理解しつつも危惧した。
「誰かがやらなければならないというのは分かります。でも、でもそれがどうして・・・・・・」
フェイトは言葉を飲み込んだ。数秒おいて、
「どうして・・・・・・母さんが・・・・・・」
と、きわめて小さな声で言った。
彼女がこの単語を口にするには、まだいささかの抵抗があるようだ。
養子縁組の話をフェイトが受け入れたのは半年ほど前。
終わりを見せない本部からの尋問の合間のことである。
まだ幼いフェイトが、醜い大人の疑念の目に晒されていたある日、
「あなたを守りとおすにはこれしかないのよ」
と言ってリンディが再び持ちかけたのが始まりだった。
その申し出をありがたいと思いながらも、自分には受け入れる資格がないと思っていたフェイト。
過去に母プレシアに手を貸したことが、彼女にとっては大きな罪悪と足枷となっていた。
しかしリンディの、フェイトを守りたいという想いは相当に強かったようだ。
提督と嘱託魔導師という関係ではなく、民法上も母子となって保護するしかない、とリンディは考えていたようだ。
多くのクルーを抱える提督が、ひとりの魔導師に必要以上に入れ込むのは体裁としてもよくはない。
裏のつながりや便宜を図っていると疑う者も出てくる。
つまらない揣摩憶測を立てられる前に、母子という形でフェイトの傍にいるべきなのだ。
フェイトはそれでも強硬に拒み続けていたが、ある時に考えが変わった。
それまでは罪の意識から申し出を断ってきたが、
『好意を無碍に受け流すことのほうが、実は大きな罪なのではないか』
と思うようになった。
”思えるようになった”というのが適切かもしれない。
愛されることに慣れていなかったフェイトは、ついにリンディの心を正面から受けた。
彼女はこれをもって、フェイト・T・ハラオウンとなり、リンディを母として慕うことになった。
とはいっても、すぐに心身ともに母子になれるわけではない。
フェイトの場合、まず彼女を”母”と呼ぶところから始めなければならない。
ところがこれが難しい。
頭では分かっていても、その言葉を口にすることがまだ躊躇われる。
フェイトはもどかしかったが、これはリンディも同じだった。
まさか「母」「子」と呼び合うだけで真の母子になれるハズもないが、2人にとってこれは儀式だった。
「ごめんなさいね。私の勝手な正義感に付き合わせてしまって・・・・・・」
リンディの行動には現時点でも多くの犠牲をともなっている。
護衛としてかけつけた局員も、本来ならこれはやらなくてもいい仕事だ。
「いえ、そういう意味じゃ・・・・・・」
フェイトは答えに窮した。
彼女にいらぬ気を遣わせてしまったかもしれない。
人目を避けて移動してきた一行は、青いガラスが特徴的な円形ビルの前まで来た。
「ここ、ね。15階だったかしら――」
万が一を考え、リンディは局員のうち4名を入口で待機させることにした。
残る4名とフェイト、なのはは同行する。
中はかなり広い。
中央に4基のエレベータがある以外は、これといって目立つものはない。
(物陰に潜んでたりは・・・・・・ないか)
研ぎ澄まされた感覚を持つフェイトは、瞬時に周囲の様子を探る。
「・・・・・・」
今度の敵は以前とは全く異なる。
得体の知れない影ではない。
彼女も”よく知っている”人間が相手だ。
生身の人間との直接勝負なら、これほど楽な戦いはない。
すでにトップクラスの魔導師である彼女なら苦戦を強いられる要素がないからだ。
この前提ならかつてのシェイドとの戦いや、ヒューゴたちの襲撃のほうがはるかに熾烈だった。
しかし今回の相手は違う。
こちらへ強い憎悪を向けているわけでも、神出鬼没の空気のような存在でもない。
敵は人間だ。
そこまでは分かっている。
が、その先が分からない。
都市部では右にも左にも人間がいる。
それらは敵か味方か、またはどちらでもない存在かの3種類にしか分けられない。
問題はそれを瞬時に見分けられるかどうかだ。
敵意のある目を向けながら友好的な者もいれば、柔和な顔をして平然と騙す者もいる。
後者のような人間に相対した時、対処を間違えれば深刻な被害を受けることになろう。
フェイトにはそれらを区別する自信がなかった。
基本的に管理局に属する人間は程度の差はあれ、皆が正義感と使命感で動いていると彼女は思っている。
少なくとも彼女が見てきた局員――主にアースラのクルー――はそうだった。
なのに今、同じ局内で誰かが命を落とすほどの陰謀が渦巻いている。
フェイトはふと、1年前の事件を思い出した。
陰惨で凶悪な事件だった。
具体的にも抽象的にも、”闇”という存在はこの世に生きる者にとって厄介だと気づかせる。
フェイトがそう強く思ったのは闇との戦いよりも、むしろその後だった。
管理局本部の執拗な尋問。
何かと難癖をつけて責任を押し付けようとする姿勢。
そういうものを彼女は厭というほど見せられてきた。
ヒューゴが消滅していなかったら、彼はこれらの人間の心から簡単に力を得られたであろう。
そういう意味では、あの”闇”よりはるかに性質の悪い”闇”が蔓延していることになる。
エレベータで17階まで昇り、正面の廊下を右へ進む。
このビルは宿舎ではないから、局員ではない一般市民に紛れ込める利点がある。
反対派のひとりもそうして敵を欺いているつもりなのだろう。
リンディは廊下奥のドアを叩いた。
「リンディね? 開いてるから入って」
すぐに奥からくぐもった声が聞こえる。
「失礼するわ」
彼女はドアをそっと開いて身を滑り込ませるように移動した。
入ってすぐの壁には見慣れないセンサーの類がいくつもついている。
この部屋の主はずいぶんと用心深いようだ。
が、ここまであからさまな防備はかえって逆効果な気もする。
「それはダミーよ」
部屋の奥から声がした。
自分の考えを読まれたようで、リンディはどきっとした。
コの字型の廊下を迂回するようにして進むと、ようやく目的の人物が姿を見せた。
「クージョ・・・・・・こうして顔を合わせるのは初めてかしら?」
リンディの挑発っぽい挨拶に、目の前の女性は表情ひとつ変えなかった。
代わりに、
「あなたのような有名人自らお越しいただくなんて望外の幸せだわね」
リンディに負けないくらいの皮肉で返してくる。
「そう言う割にはお茶の一杯も出ないのね」
一瞬、面白くない顔をしたリンディは即座に言い返す。
初対面でありながら静かに火花を散らすのには理由がある。
この2人は訓練校時代からのライバルだった。
互いに顔を見たことはなかったが、定期的に告知される成績表では暗黙のうちに順位を争っていた。
どちらからともなく戦いを挑み、実技、筆記からあらゆる分野で成績を競い――。
最終的に勝利を得たのはクージョの方だった。
訓練課程を終えたリンディは提督の、クージョは科学班研究員としての道を歩んだ。
あの時のライバル意識は、今になっても失われてはいない。
しかしそれは個人的な問題であって、いま管理局が直面している問題には共通の見解がある。
「お客様の要望にはお答えしなくちゃね。紅茶でいい?」
「できれば緑茶がいいわ。お砂糖はふたつで」
妙な組み合わせに怪訝な顔をしたクージョだったが、すぐにキッチンから要望のものを持ってくる。
「大変だったでしょう? ここまで来るのは」
「反対派は皆、どこに行くにも命がけよ。さっきだって――」
「・・・・・・狙われたのね?」
「え、ええ」
なぜかクージョの刺すような視線に、リンディは一瞬だけ目をそむけた。
そむけた先にはフェイトとなのはがちょこんと座っている。
4人の護衛もあてがわれたソファに腰をおろしているが、意識は常に危険がないかと高ぶっているようだ。
「あなたたちを襲ったのは、銀色の箱じゃなかったかしら?」
「・・・・・・」
「やっぱりそうなのね・・・・・・」
クージョの顔つきが変わった。


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