第5話 抗生

(初めての演説を行ったリンディ。彼女の声は多くの人の心を打った)

 体が熱い。
(思ってた以上に集まってくれたわね・・・・・・)
ホールを見渡してから、リンディはようやく熱さの正体を理解した。
1000人以上を収容できる公会堂ホールは、すでにほとんどの席が埋まっている。
聴衆がこれだけ集まったということは、多くの人々が管理局の動きに興味を持っているからだ。
そしてここに来ているからには軍隊化に反対しているということである。
(もちろん敵情視察目的の賛成派もいるだろうけど)
それは一向に構わない。
スパイがいてリンディの弁論を盗み聞きされることも想定済みだ。
そうされることが実はリンディからの賛成派に対する掣肘にもなる。
彼女が気にするのは、今も外で戦っているであろう局員や少女たちのことだ。
ここで演説を行う予定は以前から立てていたから、妨害の可能性も考慮してはいた。
が、実際に起こってしまうと外での戦いを彼らに押しつける形となり、彼女としては身を切られる思いであった。
(ここが私の戦場・・・・・・負けられないわ)
大勢を前にすることに抵抗はない。
内心で集まってくれた聴衆に感謝しつつ、リンディはゆっくりと檀上に立った。
拍手はなかったが、それまでざわついていたホールが一瞬で静寂に包まれた。
「今日、お集りいただいたことに深く感謝いたします」
リンディは前口上があまり好きではない。
「時空管理局提督、リンディ・ハラオウンです」
考えてみれば名乗る必要はない。
聴衆は誰が何を演説するのか分かっていて来ているのだから、これは無駄な時間と言える。
つまらない世辞を並べ立てる暇があるなら、その分を訴えに回したいというのがリンディの本音だ。
「これまでここに限らず多くの世界、次元を時空管理局は守ってきました。古代遺産が引き起こす脅威。
次元間の紛争。さまざまな事故。それらを平和的解決に導けたのは、管理局とその局員のおかげと言えるでしょう」
ここまではウソではない。
「時には凶悪な犯罪者が跋扈することもあり、その際には武装した局員が鎮圧をします。
武器の使用が止むを得ないと判断された場合にだけ行使される、多少強引なやり方ではありますが・・・・・・。
少なくとも被害は最小限に抑える手段ではありました。重ねますが、この方法は止むを得ない場合に限ってのことです」
聴衆からヤジが飛ぶことはなかった。
リンディの声は澄んでいて、音声機器に頼らずともホールの奥までよく届く。
しかもこの性質は聴く者の心まで揺さぶる。
「しかし永きにわたり世界を守ってきた管理局に、驕りが見え始めてきました。
武装隊の装備を強化し、上層の判断によらなくても戦闘行為を許可するという――軍隊化が起案されました。
もしこの法案が可決されれば、力に溺れた管理局自身の手によって、各地で終わらない戦争が始まるでしょう」
戦争という言葉は、聴衆にとっては実感のもてない単語かもしれない。
集まった人たちは主にクラナガンの出身者ばかりだから、争いとは近いようで遠いところに住んでいる。
管理局の地上本部は誰の目にも止まるが、局が活動しているのはずっと遠くだ。
したがって良くも悪くも、住人は管理局のやっている事を充分に理解せずに、管理局がもたらした平和を享受している。
リンディが管理局の非を打ち鳴らし、世論を味方につけるにはまず戦争と平和について人々に理解してもらうしかない。
「武力によって解決した案件は、ここ5年ほどで2200件以上にのぼります。双方に死傷者も出ました。
結果として解決に導くことができたのですが、今になって考えればもっと平和的な手段があったと思われる事件もあります。
時間をかけて、何度も対話を試みることで誰も血を流さずにすむ事件もあったのです」
リンディは具体的な事例を述べることにした。
「皆さんは2年前のアグロ・ボ・ルニ事件をご存じでしょうか? 監獄島の囚人15名が脱走した事件です。
彼らは自由を求めて脱獄しましたが、管理局局員との抗争の末に12名が死亡、残る3名は再収監されました。
一般に報道されているのはここまでですが・・・・・・1か月後にこの3名も獄中死しています・・・・・・。
これは何故だと思いますか? なぜ彼らは死んでしまったのか? なぜその部分は報道されなかったのか・・・・・・!」
彼女は時に静かに、時に荒っぽく演説をこなした。
こうすることで聞き手の意識を常に自分に向け、考え、意見を固めてもらうのだ。
「監獄島では看守による囚人への暴行が常態化していました。口汚く罵ってもいたようです。
更生できたハズの囚人の身体と精神を、心ない看守たちがズタズタに引き裂いたのです。
先に挙げた事件はそうした環境から脱却するために囚人がとった、苦肉の策だったのです・・・ですが・・・・・・。
事件にあたった管理局はこの事実を掴みながら、それを公にすることはありませんでした。
そのような劣悪な環境から逃れた囚人を、止むを得なかったとはいえ死に追いやってしまったからです。
管理局はこの15名に最後まで”凶悪犯罪者脱獄”のレッテルを貼り付けたまま、事実を闇に葬ったのです!」
リンディの演説には魂が込められていた。
劇(はげ)しい口調から察せられるように、彼女は言葉で心を伝えようとしている。
この訴えに心を動かされた者は少なからずいる。
他の聴衆に埋もれた何人かが、強く感銘を受けた。
「私自身はこの事件には携わっていませんでしたが、後で真実を聞かされた時・・・・・・悔しい思いをしました。
なぜもっと対話を重ねなかったのか・・・・・・なぜ、すぐに武力を行使したのか・・・・・・。
事実を隠蔽する管理局への不信感も持ちました。やり方を間違ったのではないかと、今でも思います。
ですが、局は・・・・・・過去に学ぶことはありませんでした。それどころか、今! この今になってです!
軍隊化などという愚かな蛮行に走ろうとしています!」
リンディは目の前の卓を激しく打った。
「管理局には多くの艦、部隊、装備があります。これらは治安維持のためにやむなく使われてきたものです。
もしそれが、その使用の制限がなくなればどうなるでしょう? 考えてみてください。
傲慢になった局は秩序の守護者から、果てなき支配者へと身を落とすでしょう。これは私の想像からではありません。
すでにその兆候が私たちの周りで見え始めているのです」
自分の声が数秒遅れて戻ってくるのを彼女は感じた。
「クラナガンを中心に、この法案に反対する局の高官が次々と死を遂げています。事故ではありません。
明らかに敵意のある襲撃者によって命を落としているのです。実際に私もタクシーで移動中を襲われました。
かろうじて難を逃れましたが、運が悪ければ私はすでにここにいなかったでしょう。
賢明な皆さんであれば、この襲撃者の正体がおおよそ想像がつくと思います。局に属する者としては信じがたいですが。
この法案を可決に導こうとする、賛成派の手によるものです」
さすがにこの告白にはホール内がざわめいた。 聴衆が互いに顔を見合せてヒソヒソと話している小声が、何倍何十倍となってめぐる。
生々しい表現を用いたことにリンディは一瞬だけ後悔したが、ここには訴えるためにきたのだ。
言葉を選ぶ慎重さは必要だが、そのために言いたいことを遠慮することはない。
「私の友人も帰らぬ人となりました。今日、集まっていただいた皆さんの知人や家族にもいらっしゃるかもしれません。
この不当で凶悪な弾圧が何を意味するのか? これこそが、未来の管理局の姿なのですッ!
自分たちの考えに逆らう者を徹底的に叩き潰す・・・・・・きわめて悪質で残忍な思考です。
このような思考の持ち主が際限なき武力を持てばどうなるか! 破壊! 殺戮! 支配!
私たちの、いえ、世界の平和と秩序と安全と自由は失われます!! 彼らの暴挙によってです!」
ざわめきが止んだ。
「しかしそれを阻止する方法があります! 私たちひとりひとりが、この愚かな法案に対して反対の声をあげればいいのです。
軍隊を持つことに意味はないと。むしろ禍根を作り上げるだと認識し、反対の声をあげればいいのです。
今こそ立ち上がる時なのです。いつの世にも争いはありました。しかし人々は常に平和への道を模索してきたハズです。
そうでなければ――そうでなければ管理局など存在するわけがありません。平和を求める姿勢は私たちにあるべきです。
しかしその道を誤ってはならない。誰かを傷つけた上に平和などありはしないのです!!」
リンディは最高潮に達した肝心な局面で、わざと間をおいた。
興奮から冷静へ・・・・・・。
実はこの瞬間こそが最も人間の感覚を鋭敏にするのだ。
理性と本能がちょうど釣り合う瞬間。
聴衆は自身の感情の海氏済みの中で、リンディの言葉を反芻して自分なりの結論を見出していく。
彼女の言っていることは正しいのか? 間違っているのか?
保守的なのか? 革命的なのか?
まだ平和についての意識が薄い人には、この判断を正当に下すことは難しい。
自分たちの生活を取り巻く環境――究極的には平和な世界――を偏らずに見る必要がある。
武力ははたして必要なのか。武力を行使することは正しいのか。
聴衆の中には、それは今まで管理局がやってきたことの延長だと思っている者もいる。
制限されていた力を無制限に使うのだから、延長という考え方も間違いではない。
しかしそのたった一度の延長が、世界に破滅をもたらす起爆剤になることも考えなければならない。
時間つぶしにやって来た者も、リンディの心からの号(さけ)びに胸を打たれている。
賛成、反対の差はあれ、ここにいる者で軍隊化について真剣に考えない人はいない。
リンディの声はたしかに人々の心を揺さぶっていた。
「もし私の見解に賛同していただけるならば、皆さん、どうか声を上げてください。
軍隊化に反対だ! 反対だ!! 反対だっ!! と。それだけでいいのです。
皆さんの声は間違った道に進みかけている管理局を止めることができるのです。
どうかお願いです。決して他人事だとは思わないでください。今、この瞬間にも――。
管理局の蛮行は着実に進んでいます。手を拱いていては取り返しのつかない事態となります。
私に・・・・・・反対派の私たちに力を貸してください! お願いします!」
拍手が巻き起こった。
全員ではないところを見ると、中に賛成派が混じっているらしいが、それもごく少数だ。
大多数は・・・・・・ここにいるほぼ全ての人たちがいまやリンディの強力な味方だ。
彼女は確かな手ごたえを感じた。
小さな勝利を掴んだように思えた。
順調なすべり出しだ。
初めての演説でこれだけ人の心を掴んだのだ。
これを2度、3度と繰り返せば必ず世間は反対派に靡く。
そうなる自信があった。
投票権を持つ高官だけでみれば依然として賛成派の数が圧倒している。
しかし民衆の力は強い。
世論の大半を味方につければ、たとえ票数で負けても賛成派の思い通りにはならないだろう。
心地よい熱気に包まれながら、リンディは表現しがたい悦びを味わった。


 最初の演説を機会に、街では人々が軍隊化の是非について議論を重ねることが多くなった。
ほとんどの人間には興味のなさそうな話である。
自分たちが直接関係する事柄でもないし、声を上げたところでどうせ無駄だと諦観したくなる話題だ。
しかし予想外に、この問題に向き合う人々が多かった。
ほとんど危険を感じずに生きてきた者たちにとって、リンディの生々しい演説が刺激になったのかもしれない。
非日常的で、しかし実際には自分たちのすぐ横にある現実に直面し、民衆の心は大きく2つに分かれた。
軍隊化に賛成か、反対か。
リンディにとっては好ましいことに、ほぼ9割が反対している。
保守的で平和を求める人間が多いということだろう。
もちろん賛成派も平和を願っていることに違いはないが、そこに至るまでの道がすでに平和とはかけ離れている。
この風潮を部下からの報告で知ったリンディは、久しぶりに笑顔を取り戻した。
票数で劣る反対派の勝利のカギはここにあった。 もちろん議場で勝つことが大前提ではあるが、もし負けても世論が味方につけば風向きは変わる。
何度かの演説で管理局の非を打ち鳴らし、その波及で民衆に決をゆだねる。
果たして世間は議論を重ねて、最終的には『軍隊化=悪』の図式まで完成させてくれればいい。
これは煽動ではないし洗脳でもない。
真実を知らない人々に真実を伝えたに過ぎない。
むしろ真実を隠し通してきた局こそ、人々の思考を誤らせてきたではないか。
そこを衝くだけでも反対派の意見は正当化できる。
「流れはこちらに有利ですね」
ニュースを見ていたロドムの顔にも笑みがこぼれる。
「そうね。このまま何事もなければいいのだけれど」
成功の前後には失敗があるように、勝利の後にも小さな油断からほころびが生じることがある。
勢いに乗ることも大事だが、今はまだ勢いに乗りすぎて失速しないことだ。
当座、反対派が気を配るべきはこの流れを維持すること。
簡単ではない。
今回はたまたま攻撃に出られたが、冷酷無比な賛成派を相手に反対派は常に防戦一方だった。
そもそも両者の立ち位置が革新と保守だ。
自然と攻守の位置取りも決まってしまう。
「この風潮に触発されて、高官たちも心変わりしてくれればいいのに」
リンディは本音を漏らした。
「利権がからんでいるのでしょう。可決されると得をする人がいるわけですね」
「厭な話ね」
「全ての出来事は損得ですよ。純粋に信念によって動く人もいますが、大半は益か害かで考えます」
「それも厭な話だわ。人間って何なのかしらね」
「言語を持った生物。あとは知能が他の生物より少し優れているだけで、特別なことは何もありません」
この男は人間が嫌いなのかもしれない、とリンディは思った。
だとすれば私もその中に入るのか?
考え方は自分と近いだけに、そこに自分が含まれているかもしれないことに彼女は寂しさを覚えた。
しかしこれはエゴだ。
人間嫌いが自分だけはその範疇に入れないのであれば、穿った自己愛でしかない。
今の問題が、結局は人間に起因しているとロドムは言いたいのだろう。
「そういえばあの娘たちはどうしました?」
ロドムが唐突に話題を変えた。
「2人なら15号室よ。護衛したいから近くに住みたいって」
「ああ・・・・・・そういえば二つ隣は空き部屋でしたな。では2人で相部屋ですか?」
「彼女たちは信頼し合ってるわ。プライベートもあるだろうけど、今はそのほうが安心ね」
「まったく驚かされますよ。天才と言ってもいい。魔導師としてはすでに一流ですね」
演説に向かうリンディを襲ったキューブ、それを退けたなのはたち。
ロドムは直接見てはいないが、現場にいた部下によれば彼女たちはさらに腕を上げたらしい。
「将来が楽しみですね」
ロドムが微笑んだ。


 さすがに喫茶店の娘だけあって、お茶を淹れるのがうまい。
なのははほどよい甘さのミルクティーを二つ、手早く用意してテーブルに置いた。
温かい飲み物が恋しい季節ではないが、冷たいものよりもこちらの方が少なくとも精神面は落ち着く。
「ありがとう」
一口含んだフェイトは、小さな幸せを得た。
立ちのぼる湯気のように、心も少し上気したかもしれない。
「あんまり自信ないんだけど」
というなのはに、
「ううん、すごく美味しいよ」
フェイトは世辞ではない讃辞を送る。
彼女は口には出さなかったが、日本茶に砂糖を入れるよりずっと美味しいと思っている。
しばらく無言で喉を潤していた2人だったが、タイミングを計ったようにフェイトが、
「どうしたの?」
と切り出した。
「えっ?」
なのはは惑った。
会話のとっかかりとしては要点が欠けすぎている。
「悩みがあるなら、その・・・・・・私でよければ相談に乗るから」
そこまで言われ、なのははようやく気付く。
彼女は2日前、なのはがキューブを追走しかけた時のことを言っているのだ。
「最近、元気がないっていうか、なのはらしくないよ? 何か・・・・・・何があったの?」
フェイトの訊き方は賢い。
何かあったかと問えば、なのはのこと、何もないと答えるに違いないと踏んでの質問だ。
なのはは自分と同い年とは思えないほど思慮深く聡明な彼女には敵わないと思い、
「うん・・・・・あのね・・・・・・」
ぽつりぽつりと話し始めた。





ミルクティーはすっかり冷めてしまった。
温度が下がったことでより甘みを感じることができ、これはこれで飲む楽しみが生まれる。
「そっか・・・・・・」
長い独白――なのはが打ち明けた言葉としてはそれほど多くはない――を聞いて、フェイトはうな垂れた。
敏感なフェイトは、なのはの気持ちについて概ね分かっているつもりでいた。
大切な仲間として、友だちとして知っておくべきだと思っていたからだ。
「でも、あれはなのはが悪いんじゃない。ううん、シェイドが悪いとも思わないけれど・・・・・・。
誰のせいでもないんだ。自分を責めるなんて間違ってるよ」
なのはが今、戦っている理由は使命感や正義感からというよりも、贖罪という意味合いが強い。
自らの弱さが引き起こしたふたつの事件を経て、誰にも傷ついて欲しくないという想いが一層強まったようだ。
同時にその償いをする。そのためにはリンディを守り、軍隊化を阻止するしかない。
「私がもっとしっかりしていたら・・・・・・傷つかなくても済んだ人がたくさんいるのに・・・・・・」
シェイドに唆されて去り、再び戻ってきたなのはは憔悴しきっていた。
あの時、フェイトをはじめ誰もが、なのはには何ら非はないと繰り返し慰めてきた。
実際クルーたちは本当にそう思っていたし、そう言うことでなのはの傷を癒そうとしていたのも確かだ。
が、強い正義感の反動が悪い方向に顕在化してしまったらしい。
なのはは周囲からそう慰められれば慰められるほど、自責の念を強くした。
精神的な重圧だったのだ。
これを解消するのは、心優しい人からの温かい言葉ではない。
自身の手で何かを成し遂げること。
それも戦いに勝つなどではなく、平和につながることでなければならない。
「なのはのせいじゃないよ」
フェイトはこれをもう何度も言ってきた。
そろそろかける言葉の種類も限界が近い。
「あの後で聞いたよ。フェイトちゃんはシェイド君の罠にはかからなかったって。でも私は・・・・・・。
私はそうじゃなかった。フェイトちゃんたちじゃなくて、私はシェイド君を信じてたんだ・・・・・・!」
なのはは事実を言っていたから、フェイトはかける言葉を見つけられなかった。
彼女は拗ねているのではない。自暴自棄になっているわけでもない。
今さらどうしようもない現実を遡りながら悔いているのだ。
「シェイド君さえいなかったら・・・・・・」
「・・・・・・ッ!!」
なのはがぽつりと漏らしたその一言を、フェイトは聞き逃さなかった。
この少女は――。
まっすぐで強くて、勇気があり、潔いハズのこの少女は――。
これまでの汚点の全てをシェイドの存在ただ一点に押し付けた。
本音ではなかったかもしれない。
不意に口をついて出た言葉かもしれない。
しかし、それをフェイトは聞いてしまった。
「シェイドのこと・・・・・・悪く言わないでほしいな・・・・・・」
これは精一杯、抑えての発言だ。
今やムドラから英雄とも称賛されているシェイドに、フェイトは特別な感情を抱いていた。
自身は恋愛の意識はないようだが、彼女の抱いている想いは恋以外にない。
彼の強さに惹かれたのかもしれなかった。
プラーナという未知の、しかも圧倒的なパワーの持ち主だった彼には多くの魅力があった。
敵味方、魔導師とムドラという対比を前提にしていては決して見えなかった魅力が。
彼女は”シェイド”をよく見ていたから、彼以上に彼をよく知っている。
「償いたいって思うなら前を見なくちゃ。だけど焦っちゃ駄目だよ。それでもし怪我でもしたらどうするの?」
「うん、だけど・・・・・・」
「誰も責めたりしないよ。だってあの事は・・・誰のせいでもないんだから」
「うん・・・・・・」
「心配しないで。私も手伝うから。一緒にがんばろう」
管理局上層に目をつけられている、という点ではフェイトも大差ない。
艦を沈めた少女と、闇の消滅について真実を語らない少女。
そういう2人をリンディが庇い続けてきたために、今度は彼女の立場まで危うくなった。
その彼女が軍隊化廃止に向けて活動しているのだ。
よほど不義理な者でない限り、彼女を助けようと思うのがごく当然の考え方だ。
リンディを助けることで軍隊化は廃案となり、なのはの償いも果たされる。
きわめて大きな意味を持つ戦いではないか。
ベルが鳴った。
来客だ。リンディだろうか。
この部屋の主は一応、フェイトということになっている。
だがあくまで護衛のための仮住まいであって、来客などまずないハズだ。
「え・・・クロノ・・・・・・?」
ドアを開けたフェイトは目を白黒させた。
意外な人物だ。
「クロノくん?」
後ろからなのはも顔だけを覗かせている。
「久しぶりだな、2人とも」
相変わらず執務官向けの愛想のない声で挨拶してくる。
「どうして? アースラにいるハズじゃ・・・・・・?」
目の前のクロノは執務官としての衣服をまとっている。
有事の際にはすぐに駆けつけられる格好だ。
ということは何をしに来ているのかも想像がつく。
「エイミィたちに任せてるよ。僕は母さんが心配だから――」
彼は最後まで言わなかった。
クロノは普段、人前ではリンディのことを母とは呼ばない。
管理局に属する者としての強い責任感と正義感、それに彼自身の生真面目さがそうさせている。
が、もちろん他に誰もいないところでは母と息子としての間柄を復活させる。
「提督の護衛としてだよ」
クロノは気恥ずかしそうに言った。
慌てて取り繕っても個人的な感情が混じっていることは隠せない。
「クロノがいてくれれば心強いよ」
フェイトは少しぎこちない口調で言う。
リンディを母と呼ぶことに躊躇いがあるように、クロノを兄と呼ぶことにも逡巡があった。
リンディと違い、クロノは自分を兄と慕ってくれることを心待ちにしている様子はない。
そのことが少しだけ、フェイトにとってはありがたかった。
「事態は危険な方向に進んでる。一刻も早く犯人を突き止めたいけど、手がかりが少なすぎる」
守りに入る護衛とは異なり、彼は反対派暗殺に関わる者を暴きだすことでリンディの安全を確保したいようだ。
「キューブのことは知ってる?」
なのはが訊いた。
「ここに来る途中で聞いた。賛成派は何を考えてるんだ? あんな事、許されるわけがないのに」
「どんな手を使ってでも法案を成立させたいみたいだね」
「法ができてもそれに人が従わなければ、法なんてないのと同じだよ」
特にクロノはこれまで規律や規則に縛られながら行動してきた。
規約に反したことは一度もないし、安寧秩序を保つにはそうするしかないとも思っていた。
規律は絶対遵守と考えるクロノの口から、このような言葉が出るのは珍しい。
要は彼も軍隊化には反対で、たとえ可決されてもそれには従わないという意味らしい。
「クロノ君、リンディさんの部屋に泊まるの?」
唐突すぎるなのはの質問に、クロノは少しだけ顔を赤らめた。
「いや、僕は僕で調べてみたいことがある。宿は別にとってあるんだ」
リンディを心配しているなら、なぜ単独で動こうとするのかと問おうとしてフェイトは止めた。
そこまで詮索する必要はないし、違う方面から捜査したほうが成果も上がりやすいかもしれない。
「1人で動いて大丈夫なの?」
フェイトが訊こうとしたのと近いことをなのはが尋ねた。
「まあ、安全とは言えないだろうな」
シェイドみたいな言い方をする、フェイトは思った。
「特に僕は息子だから、それだけで狙われるかもしれないし」
「だったら止めたほうが・・・・・・」
と、なのはが制止したのは単純にクロノが危ないと思ったからだ。
「でも逆にチャンスかも知れない。敵の方から僕に寄ってくるわけだから、そこから探れば――」
「それは危険だと思う」
と、フェイトが咎めたのはもしクロノが人質にでも取られれば賛成派にとって駆け引きの材料となるからだ。
彼のことだからキューブ程度に手こずるとは思えないが、連中は奇襲が得意だ。
油断しているところを襲われれば深刻な打撃を受けるかもしれない。
「僕は何としても主犯を突き止めたいんだ。同じ管理局の人間として許しておけない」
彼は珍しく感情を表に出していた。
以前にもあった事だが、クロノは母が絡むと激昂する癖があるらしい。
「私も許せないよ、こんなこと・・・・・・でも、クロノ」
フェイトが言う。
「焦りは禁物だよ。犯人が賛成派だって決まってないのに私たちが動いたら、非はこっちにあることになるよ」
「賛成派だって明確じゃないか。いや、明確じゃないかも知れないけどそんなこと、誰もが分かってる」
やはり彼は焦っている。
どんな些細な変化も見逃さないほど彼は鋭敏になっているだろうが、それが仇となることもあり得る。
「僕が必ず――」
クロノの意志は固い。
言葉の端々からそれが読み取れる。
それでいいのかもしれない、ともフェイトは考え直した。
母親の危険にいてもたってもいられないのは、子としては当然だ。
それにクロノは強くて賢いから・・・・・・。
決して失敗はしないだろう。
「じゃあ僕はそろそろ・・・・・・」
「もう行くの?」
なのはが引き留めようとする。
「うん、きみたちの顔を見にきただけだから」
別れ際の挨拶は素気ない。
結局、2人ともクロノを制止しようとはせず、彼ははやる気持ちを抑えられないまま出て行った。
正直、彼の早計さには不安があった。
普段が冷静沈着なだけに、たまにみせる感情的な一面は日頃とは対照的で大きな不安感を煽る。
その反面、心強い味方が近くにいるという安堵も生まれた。
「私たちはこれからどうしようか?」
フェイトが訊いたが、これは試験だ。
もしこれになのはが強引な捜査を続けると答えれば、彼女はフェイトの言いたいことをほとんど理解していない。
再度、滾々と説く必要があるだろう。
「う〜ん・・・・・・」
なのはは考え込んだ。
リンディの演説は無事に終わり、しばらく双方に動きはない。
自分たちの任務はあくまでリンディの護衛だから、彼女がここに留まる限り行動する必要はないのだ。
「少し休憩・・・・・・かな」
なのはは照れ臭そうに答えた。
「うん、そうだね」
フェイトは安堵した。


「私は人格者で知られているが温厚とは限らんぞ」
すでに何度か開かれた秘密裡の会合では。
3人の年配の男と、1人の若手による冷たい会話が交わされている。
しかし会を重ねるごとに若い男の心は、この3人とは異なる見解を見せ始めている。
「クージョとかいう女の作ったキューブを実働レベルにまで改良したはいいが、その後はどうなっておるのかね?」
「はい、それは・・・・・・」
年齢も階級もずっと下の若い男は、いつもこの3人に質問責めに遭う。
矛先が向きやすいのだ。
全ての責任を押し付けられているようで、男はこの会に出席するたびに胃の痛みに悩まされる。
「反対派が動き出しました。確保していた賛成票もこれでいくらか流れるかもしれま――」
「いかん! いかんぞ、それは!」
老齢に一喝され、男は押し黙った。
「ここまで運んできたものが無駄になる・・・・・・いや、今のままでも可決は揺るがないだろう。
しかしそれではいかんのだ。新しい管理局は全ての者から迎え入れられなければならん」
「分かっております」
とりあえず逆らわずにおく。
男は思う。
もしこの会話を記録し、世間に公表すればどうなるだろうか?
反対派の多くが断じているように、粗野で野蛮で狡猾な賛成派の正体が明るみに出る。
策謀とは無縁の賛成派も反対票を投じるだろうし、反対派はここぞとばかりに逆転を狙ってくるに違いない。
つまるところ、法案の可否はこの若い男が握っていることになる。
しかし賢しらな彼は、自分がそういう立場にあることに気付いても強気になることはなかった。
彼がそもそも出席しているのは他でもない、彼自身が軍隊化に賛成だからだ。
「ここにいる者は強硬策も辞さん覚悟だぞ。もちろんきみも・・・・・・そうだな?」
「・・・・・・はい」
「何か考えてるのかね? どうせ誰にも漏れん。言ってみてはどうか?」
「強硬策とは言ったが、これまでとやり方を変えるだけだ。攻めから守りに、な」
とりあえず会話が年配の男たち同士で交わされたことに、若い男は安堵する。
今度は聞き手に回ることになるが、これはこれで居心地が悪い。
この連中、次は何を口走るのか?
男は気が気でない。
「失敗続きの奇襲では成果が出ん。向こうからお越しいただこうではないか」
「全員にか?」
「馬鹿を言うな。わしらが初めから狙っているのは――1人だけだ」
老獪な男たちは年寄り特有の真意の読み取れない笑みを浮かべる。
「我らの理想の世界を築くためには、あの女は邪魔なのだ。存在そのものが危険なのだよ」
「その通りだ。せっかくここまで運んだものを潰されてなるものか」
邪悪な顔で良からぬことを話し合う3人を見て、若い男は寒気がした。
震える体はいささかの恐怖と、自身の葛藤による。
(どうすれば・・・・・・いいんだ・・・・・・私は・・・・・・)
彼は軍隊化に賛成している。
しかし彼らのように誰かを傷つけてまで可決に持ち込むつもりはない。
賛成、というのはあくまで彼個人の意見であって、それをねじ込むように強硬するのは間違いだと思っている。
彼は揺れた。
結果さえ出せば過程はどうであってもいいのか?
それとも陰惨な過程を避けるために、結果まで自分の望まない方向に持っていくべきなのか?
彼も3人も最終的にたどり着きたい場所は同じだ。
しかし道が違いすぎる。
若い男には彼らほど残忍に徹する勇気はなかったし、元よりそうするつもりもなかった。
成り行きとはいえ、この会合に同席している時点で彼らの非道の片棒を担ぐことになってしまう。
(なにか手を・・・・・・)
と考えるが、狡猾な彼らからすれば未熟な彼には、事態を好転させるほどのアイディアはない。
「ふむふむ、なるほど。それはいい・・・・・・いい案だ」
必死に思考を巡らせていた彼は、いつの間にかまとまっていた彼らの会話を全く聞いていなかった。
「そのやり方なら邪魔者全てを排除できる。新しい管理局の誕生だ」
考え事をしている間にまたひとつ、恐ろしい陰謀がここに誕生したらしい。
が、男にそれを訊く勇気はなかった。


「メールだわ・・・・・・」
朝。
リンディのこの呟きで一日が動き出した。
宿舎に来てから、通信回線はずっと遮断していた。
賛成派の傍受を恐れてのことだったが、これでは遠隔地の仲間とも連絡がとれない。
少しくらいならとリンディが回線をつないだところ、溜まっていたメールが一気に受信された。
その中に1通、気になる内容のものがある。
彼女はためらうことなくそれを開いてみた。

『リンディ・ハラオウン様。

あなたの勇姿を拝見いたしました。

軍隊化反対に向けるその強い意志と行動力に感服いたします。

我々、武力放棄推進委員会もあなたの見解に頷くものです。

ついては是非一度お会いし、武力放棄に向けて力を合わせたいと考えております。

強大な力を持つことの愚かさを世間に知らしめ、この世界から武力をなくすために我々は戦っています。

あなたのお力をお借りしたく存じます。

もし応じてくださるならば、お手数ですが下記に案内します委員会本部までお越しください。

心よりお待ち申し上げております』

メールの最後には住所と併せて地図が示されている。
「武力放棄推進委員会? 聞いたことがありませんね」
横から覗きこんでいたロドムが顔をしかめた。
世界は広い。
ごく身近に彼が知らない事物があっても不思議はない。
「調べてみましょう」
セキュリティに万全の注意を払いながら、リンディは端末を操作して武力放棄推進委員会について調べた。
厖大な情報の中からキーワードをめざとく見つける。
公式サイトのようなものがあるが、そこに書かれている情報は多くはなかった。
「世界から武力をなくし、真の平和のために活動する団体です。って、さっきのメールのとおりね」
「規模も小さいようですね。どおりで知らなかったわけです」
数ある非営利団体のひとつであろう。
限られた同志が結集し、小規模ながらも真摯に活動する様が見受けられる。
「何にせよ、こういうところから声がかかるということは、提督の威信が広く及んでいる証拠です」
ロドムが満足げに言った。
自分が仕える提督の株が上がれば自分も嬉しい。
特に今回のように行動の成果が如実に表れている場合はなおさらだ。
「小規模ですが構成員は30名以上、とありますね。手を組めば頼りになるでしょう」
ロドムの口調が弾む。
「そうね、内外に支持者を確保しておいたほうがいいわ。彼らに投票権がなくても、世論は動かせる」
言いつつリンディはメールソフトを開く。
そしてやはりセキュリティに注意しつつ、委員会宛てに返事を送った。
願ってもみない誘いだ。
できるだけ早く返事をしたほうが、こちらの意志も伝わりやすい。
「武力放棄を掲げる団体・組織は他にもあるわ。欲を言えばそれら全てと手を取り合いたいわね」
返事を送った後も、2人は端末で情報をかき集めた。
リンディは軍隊化反対の声を拾い上げ、ロドムはニュースサイトを巡回する。 ネットの世界でも両者は激しく対立しているようだ。
どこの掲示板を見ても、軍隊化の是非を問う内容で埋め尽くされている。
匿名の書き込みだが、それに紛れて局員も書き込んでいるのではないだろうか。
「残された時間は多くはありませんが、人々の心は確実に反対へとなびいてますよ」
ニュースサイトを回っていたロドムは、慰めではなく本心から言った。
実際、マスコミも今回の騒動を嗅ぎつけてあちこちで特集を組んでいる。
ありがたいことに世論調査もやってくれるから、こちらが何もせずとも人々の声を知ることができる。
「たとえば・・・・・・これです」
ロドムがモニターを指差した。
「無作為に抽出した市民に軍隊化の是非を問うたところ、1か月前では反対と答えたのが22%です。
しかし2日前では一気に12ポイント以上も上がって34.2%。3分の1は反対しています」
数字で見るとよく分かる。
マスコミ各社が同様のアンケートを実施した結果を集めてみても、数値はそう変わらなかった。
というところから、この結果は偏りがない公平なものと見ていいだろう。
「そうよ、誰も争いなんて望んでないわ。本来、武力を持つ正当な理由なんてないのよ」
リンディはそうはっきりと言った後に、
「でも、私が言えることじゃないわね」
と嘲りに近い笑いを浮かべた。
彼女の脳裏に浮かんだのは、つい最近に立て続けに起こった事件。
事件と言うにはあまりにも重い、むしろ戦争に近い出来事だ。
交渉による解決は望めず、武力に頼って収拾する結果となってしまった。
そのために駆り出されたのは正規の訓練を受けた武装隊と、幼い少女たち。
ふたつの事件の矢面に立ってそれらを解決に導いたリンディは一時、英雄視された。
しかし彼女自身が最前線にいたわけではない。
最前線を見る立場にはいたが、実動したのはあくまで局員たちだ。
結果的に武装を用いたのも、今やっていることからすれば矛盾している。
葛藤と憤りの海に溺れかけたリンディだったが、突然の電子音が彼女の思考を中断させた。
「メール・・・・・・早いわね」
差出人は「武力放棄推進委員会」とある。
ためらうことなくそれを開いたリンディは、文面を数分黙読したあと息を吐いた。
表情がわずかに緩んだところを見れば、好ましい内容であったと分かる。
「明日にでもお会いしたい、と書いてあるわ」
「また急な話ですね。現状を考えれば妥当でしょうけど」
どうするのか、ロドムが問うた。
「もちろん行くわ。協力をしない理由なんてないもの」
「では私もお供します」
「ありがとう。でも大丈夫よ。今までと違って危険はないわ」
普段のリンディならこうは言わない。
強力な味方ができるかもしれないとあって、彼女は多少慢心していた。
依然、襲撃の脅威は警戒しなければならない状況なのに?
ここで気を抜いてどうするんだ。
ロドムは言いたいことを飲み込んで、
「私ではなくとも、護衛はつけてもらいます。念のためにです」
やや強く諫言を放った。
これを拒む理由は彼女にない。
集まった局員はそのために彼女の元にいるのだ。
「わかった、わかったわ。ロドム、あなたは信頼できる士官よ。私が出かけている間、留守を頼みます」
考えを改めたリンディは護衛をつけることにしたが、ロドムにはその任を割り当てなかった。
「はい。吉報をお待ちしておりますよ」
ロドムは優秀だが、力に頼るばかりではない。
むしろ彼の冷静さや情報処理能力の高さを買っているリンディは、直接戦闘の場よりも、
拠点を任せて各隊との連絡役を務めさせたほうが効率的だと踏んだ。 (何も心配はいらないわ)
リンディは思った。
人々の心もまとまりだした。
それに伴って実際に行動を起こそうとする人も増えている。
きわめて不利な状況から、短時間でここまで引っ張り上げられたのだ。
この調子が続けば必ず廃案に持ち込める。
彼女の心は少年のようにときめいた。

 

 

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