第6話 隔離

(武力放棄推進委員会の誘いを受けて本部へと向かう一行。そこで待ち受ける現実は・・・・・・)

 翌日の朝早く。
リンディは3名の武装隊を伴って宿舎を出た。
民衆の中からも反対の声が多く挙がるようになったためか、賛成派の暗殺者も動きにくくなっている。
堂々とはいかないまでも、反対を表明する高官は姿を晒すことに以前ほどの警戒は必要なくなった。
が、これはあくまで今の時点を見てのことである。
悪辣な賛成派がどう動くかは予想がつかないから、換言すれば反対派はこれまで以上に慎重にならねばならない。
「心強い味方ができましたね」
楽観視している護衛が言った。
委員会の協力を得られれば、リンディたちは内外に仲間を持つことになる。
規模の小さい団体ではあるが、公式サイトからの情報では他とのつながりまでは分からない。
今回、手を結ぶのは委員会だけでなく、そこから広がるネットワークの末端にまで及ぶと考えるべきだ。
「人脈のある人がいればいいけれど」
先読みできるリンディは、委員会にどれだけの協力者がいるか考えてみた。
『武力放棄推進委員会』
その名前のとおりだとすれば、志を同じくする団体や組織とも連携をとっていると思われる。
世界は広い。
似たような名前で活動している者たちもいるだろう。
リンディは地図を開いた。
メールに添付されていた地図を用紙に印刷したものだ。
「この辺りのハズだけど・・・・・・?」
それらしい建物が見当たらない。
地図を見直してみる。
場所に間違いはないようだ。
「あの、提督・・・・・・これでは?」
護衛が指差したのは、角にある小さなビル。
本部と称するにはあまりにも貧相だ。
「これ・・・・・・?」
建物を見て呆気にとられるリンディの反応は、明らかに委員会に対して失礼だ。
3度、彼女は地図と見比べる。
間違いない。
この旧時代に建てられたようなビルが、探していた本部だ。
「行きましょうか」
念のため、周囲を窺ってから4人は小さなビルのエントランスをくぐった。
ものを外見だけで判断してはいけないが、ここに限っては外見から予想がつく内面が広がっていた。
床に走るヒビや天井の水漏れの跡などを見れば、活動的な委員会でないことが察しがついてしまう。
「お世辞にも綺麗とは言えませんな」
「しっ、聞こえるでしょう?」
リンディが小さく怒鳴った。
正面にはカウンターが伸びており、受付の男性がいる。
リンディと目が合った男性は会釈した。
「あの、すみません」
こほんと咳払いをしてリンディが声をかけた。
「私、リンディ・ハラオウンと申します。先日、貴方よりメールを頂戴し――」
「リンディ様ですね、お待ちしておりました」
言いきらないうちに男が恭しく頭を下げた。
「委員長はあなた様とお会いできる日を待ち望んでおりました」
という言葉から相当に歓迎されていることが分かる。
「ええ、私もメールを頂戴した時は胸が躍りました。同じ目的を持つ者として」
「お越しいただいて申し訳ないのですが、委員長は未明に急用ができここにはおりません」
「あら、それは・・・・・・」
残念だ、と彼女は呟いた。
「ご安心を。迎えの車を用意しておりますのでご利用ください。委員長のいる支部までご案内いたします」
男が抑揚のない声で言った。
「支部?」
声をあげたのは護衛の方だ。
小規模でしかも老朽化したビルに本部を置く団体に、まさか支部があるとは誰も思えなかった。
(本部でこれじゃ、支部のほうは・・・・・・)
リンディはテレビが何かで見たあばら家を思い出した。
(そんなこと考えちゃいけないわ。場所はどこだっていいんだもの)
彼女はつまらない思考を頭の隅に放り投げた。
「この時勢ですから念のため、途中で車を乗り換えます。ここからそう遠くはございませんので」
男が言う。
かなり用心深い。
彼の言うように車を乗り換えれば、仮に追走する者がいても欺けるかもしれない。
またそういう提案をしてくるということは、彼ら――つまり委員会が信用のおける団体だということだ。
「お待たせしては申し訳ない。さあ、どうぞこちらへ」
言うより早く、男は裏手へと案内する。
「あら? でも、それじゃ受付は・・・・・・?」
「代わりの者にやらせます。どうぞ」
どうやらこの男が運転役を務めるらしい。
3人の護衛に囲まれるようにして、リンディは黙ってついていく。
裏手といっても小さなビルのこと、勝手口という言い方のほうが正しい。
粗末なセキュリティゲートをくぐると、黒塗りの乗用車が格納されている倉庫に出た。
「さあ、どうぞ」
男が律儀にもドアを開けた。
「ありがとうございます」
少し身をかがめるように乗り込む。
乗ってみて分かったがこの車、発売されたばかりの高級車だ。
外観は一般車と変わらないが、内装はまるで違う。
派手すぎず地味すぎず、ブランドロゴがあちこちにプリントされている。
「委員長は車がお好きでして・・・・・・新しいのが出るとすぐに乗り換えるんですよ」
バックミラー越しに男が苦笑した。
その金があるなら他のことに使えばいいのに、とリンディたちは同時に思ったが言葉には出さなかった。
「では参りましょう」
男は深呼吸をひとつしてエンジンをかけた。
高級車だからハンドルを握る手にも緊張が走っているようだ。
自分の車ではないのだから尚更だ。
ほとんど音をさせずにゆっくりと発車する。
振動を感じないのはブランド車だからだろうか。
窓から外を見なければ、いま走っているのか停まっているのかさえ分からないくらいだ。
「リンディさんの演説には胸を打たれました」
不意に男が呟いた。
「私もとある事情からここにいるわけですが、あれほど理路整然と訴える人はそうはいませんよ」
感慨深そうに語る男の口調から、公会堂でじかにリンディの声を聞いたと分かる。
「いやはや感動しました」
走行音がほとんどしないため、呟くような男の声は後部席にいるリンディにもはっきりと聞こえた。
何となく気恥ずかしくなった彼女は、
「そんな、私は思っていることを口にしただけですよ」
と、ありきたりの謙遜をした。
「この状況で反対の声をあげられる人は少数です。大半は賛成派の報復を恐れますから」
「彼らが相手にするのは投票権を持つ者だけですよ。否決に持ち込まれないように非道な手を」
「そうだといいのですが・・・・・・」
男は含みを持たせた。
互い、手を取り合おうというこの時に、あまり面白くない話は聞きたくない。
リンディはそう思っていたが、高速道路を滑らかに走らせる男は、
「ここだけの話ですが当委員会でも意見が割れているんですよ」
と声をひそめて言った。
「創立以来、非武装を叫んできましたが心変わりした者もいるようで」
「武器を持つことを認めると?」
「いえ、そこまでは・・・・・・ただ・・・・・・」
男はここで言葉を切った。
数秒待つが続きを語ろうとはしない。
「あの・・・・・・?」
先が気になったリンディが声をかけると、
「もうすぐ着きますよ」
と、自分が中断した言葉を忘れたように男がほほ笑んだ。
(・・・・・・・・・・・・)
バックミラー越しに見た男の笑顔が一瞬、とても邪悪なものに見えた。
「気になりますね、さっきの話」
護衛がリンディに耳打ちした。
「その件も含めて、委員長とじっくり話し合いましょう」
引っかかるところがあるが、彼女はひとまず忘れることにした。
車はゆるやかなカーブを2度、3度曲がり、見慣れない街に入っていく。
そう遠くないと言っていたが、実際には本部のあった場所からかなり離れているようだ。
街並みがまったく違う。
窓から見える建造物もまばらになり、まだ充分に拓いていないのか無機質な岩肌が目立つ。
それでも車が通れる道が舗装されているあたり、将来は都市化する予定があるのだろう。
「皆様、お待たせ致しました」
男が弾んだ声で言った。
「え、あの・・・? ここって・・・・・・?」
リンディたちはきょろきょろと辺りを見渡した。
すでに停車しているが、車を停めるような場所ではない。
高級車が絶対に乗り上げたくない場所――土の上だ。
視認できる範囲には巨大な建造物がひとつあるだけで、他には何もない。
ある意味では貴重な自然が広がっているが、今日は旅行に来たのではない。
「あそこまでは車は使えないんですよ。すみませんが、ここからしばらくは徒歩ということで」
男が50メートルほどの距離にある建造物を指差して言った。
(・・・・・・??)
何かがおかしい。
リンディは思った。
彼女より数秒早くそう思った護衛が、鋭い視線を男に向ける。
異変に気づくだけ、彼女の部下は優秀だったと言えるかもしれない。
しかしだからといって状況が必ずしも良い方向に転ぶとは限らない。
「案内しますよ、さあ、どうぞ――」
男が言うと、建造物の方角から無数のキューブが飛来した。
護衛は瞬時にデバイスを構えるが、すぐにそれが無意味だと気づく。
数秒経たないうちに展開したキューブの総数は、ゆうに200体を超えている。
とても4人で対抗できる相手ではない。
「あなたは・・・・・・!」
リンディが男を睨みつけたが、この状況では凄みを持たない。
「委員長がお待ちですよ? そうそう、とりあえず言っておきますが・・・・・・」
彼は口の端をわずかに歪め、
「この一帯は通信関係を完全に封鎖してあります。もちろん思念通話も同じことです」
あなた方は完全に孤立している、と強調した。
「何か言いたいことがおありでしょうが、委員長とお話なさってください」
「ふざけないで」
リンディは静かに怒った。
「私たちは”協力しよう”としているんですよ? 平和的に、じっくりと、それについて意見を交わしましょうよ」
恐ろしい男だ。
相変わらず柔和な表情をしているが、その外面から読み取れる本性は今と先ほどとで180度違う。
「初めからこうするつもりだったのか?」
護衛が堪りかねて訊いた。
従順な彼は今すぐにでも眼前の男を殴り飛ばし、リンディを安全な場所まで退避させたかった。
「俺たちを誘き出して――」
「聞こえの悪いことをおっしゃる。これは”招待”ですよ。そしてあなた方は大切な客人。
宙を舞っているこれらは・・・・・・ちょっとしたもてなしだと思ってください」
「こいつめ・・・・・・!」
護衛は肝心な時にリンディを守れないことを呪った。
他の2人にしても想いは同じだったに違いない。
しかし残念なことにこの不利な状況を覆すことは難しい。
「いいわ」
リンディが凛とした表情で言う。
「その委員長とやらに会いましょう。いろいろと聞きたいこともあるもの」
開き直りではなかった。
時勢が時勢だけにいくらかは死も覚悟していた彼女の口からは、こういう言葉が驚くほど滑らかに出てくる。
「ご理解いただけたようで。では、どうぞ」
リンディたちは男と200体の同行者に囲まれるようにして建造物へと歩みを進める。
頑丈そうな建物だ。
しかも規模も大きい。
都市部にこれだけの物を建てる余裕はなく、そのために未開拓のここに建造したのであろう。
円形状の建物には窓もなく、入口も正面のひとつだけなので内部の様子はよく分からない。
通気性の悪さは情報の隠蔽や隠匿に一役買っていそうだ。
現状からしても、愉快な出来事はこの建物内では起こりそうにない。

 

 一歩進むごとに、リンディたちの気分は沈んでいった。
建物に入った途端、巨大な箱に閉じ込められたような錯覚を起こす。
実際に閉じ込められているのだが、感覚としては直接、目で見て感じるものとは少し違う。
言葉に表しがたい威圧感があった。
不釣り合いな場所に建てられた不気味なこれは、思いの外、手入れがよくされているようだ。
土っぽさも埃っぽさもなく、どちらかというと清潔感があった。
ただそれは汚れが目につかないだけで、建物そのものが放つ雰囲気はやはり陰湿でしかない。
「すぐに慣れますよ」
前を歩いている男が言った。
慣れなければ駄目だ、とリンディは思った。
いちいち雰囲気に呑まれてはいられない。
薄茶色の廊下を道なりに歩く。
内部の構造は複雑ではない。
外観から見て、そろそろ建物の中央あたりだろうと思ったリンディは、
「一体どこまで行くのかしら?」
訊いてみた。
「ここです」
驚いたことに、男はぴたりと足を止めて目の前の扉を指差した。
重厚な扉は、何か重要な部屋に続いていると分かる。
「どうぞ、リンディ・ハラオウンさん」
と含みのある笑みを浮かべた後、すぐに視線を移して、
「お付きの方々には別室を用意してあります。事が終わるまでそこでお待ちになってください」
段取りを全て決めてしまう。
「それはできない。我々はリンディ提督の護衛として同行している者だ」
「提督の安全が確保できない状況下では、我々も同席させてもらう」
さすがに護衛たちは簡単には引き下がらない。
あのキューブの大群が今も中空を漂っているというのに、この度胸。
ところが男は、彼らがそう返答するのを分かっていたらしく、
「ご心配なく。ただの話し合いですから」
と言ってから中空を仰ぎ見た。
視界には無数のキューブが入り込む。
「大丈夫よ。あなたたちは行動は起こさず、私が戻るのを待って」
「ですが・・・・・・!」
リンディの制止に、護衛は納得がいかない様子だ。
「見ての通りの状況よ。今は流れにまかせましょう」
何か事を起こして害を被るのはこちらの方だ。
圧倒的に不利な状況に立たされている以上、確実に事態を好転させられるチャンスが巡ってくるまでは動けない。
この男を含む委員会の連中がリンディを敵視しているなら、この場ですぐに殺せば済むことだ。
それをせず対話に持ち込むということは、何らかの駆け引きがあるとみていい。
つまりその時の対応次第では、逆にこちらが優位に立てる機会もあり得るのだ。
キューブの大群をちらつかせている時点で威力を行使してはいるが、向こうも穏便に済ませたいのかもしれない。
「賢明なご判断です。そしてご理解いただけたことに感謝します」
もはやリンディは、そうした男の恭しい態度を無視することにした。
彼は護衛3人をその場に留まらせ、リンディだけを部屋に通した。
「リンディ・ハラオウン様をお連れしました」
深々と頭を下げた男の前に、老齢の男がいる。
「ご苦労だった」
老人は事務的な口調でねぎらう。
男はもう一度頭を下げて部屋を出て行った。
この後、彼は護衛3人を別室に案内するのだろう。
「おかけになってください」
老人はリンディの横にある椅子を示した。
無言のまま座る。
中央のテーブルを挟んで、2人は互いに見合った。
「デューオ・マソナと申します・・・・・・リンディさん、わしのことはご存じで?」
「ええ、年に一度見るお顔ですわ」
デューオは笑顔で、リンディは真顔で言葉を交わした。
「年に一度・・・・・・では所信挨拶の時でしょうな」
「そうですわね」
「しかし今は有名人のあなたに、こうしてお越しいただくとは光栄です」
「これは拉致と言うんですよ、デューオさん?」
時間がやけに長く感じられる。
このデューオという老人、そこにいるのに存在感が感じられない。
この部屋と同化してしまっているようにも思える。
「武力放棄推進委員会・・・・・・これは私を誘い出すための罠ですね?」
リンディは単刀直入に尋ねた。
「罠? そうとも言えますが、委員会そのものは本当に存在してますよ?」
デューオは意外そうに答えた。
が、その口調からリンディは挑発されているのだと気づく。
「ただし、”管理局以外の武力”という意味ですがね」
「どういうことかしら?」
「簡単なこと。我々は法案の可決を目指す。管理局のみが武力を保有し、他の世界がすべて力を失えば、
戦争も犯罪もなくなる。仮に事が起こっても、我々の力で鎮圧できるというわけです」
「まるで独裁ね」
「あなたは物事を悪く言う癖があるようですな。本来はこれを”管理”と言い、はっきりと申しますが、
今の時空管理局には、”管理能力”が欠けています」
「だから力を持つ、と? 他の世界が力を持つことを許さない?」
「悪心を持つ者が力を得れば事件が起こります。管理局はそれを鎮め、平和と安全をもたらすべきですぞ」
「それで武力という発想に至るなんて・・・・・・単純すぎるわ」
「では他に何かありますか?」
「・・・・・・・・・・・・」
2人はにらみ合った。
数秒、静寂が流れる。
「武力蜂起推進委員会に名を改めたほうがいいのでは?」
皮肉を込めてリンディが吐いた。
「面白い方だ。しかしそう反抗的な言動ばかりでは困りますな、リンディ・ハラオウン提督?」
デューオは気味の悪い笑みを浮かべた。
「場合によっては侮辱罪に問われることもあり得る。発言には気をつけられるべきですな」
「だったら、お得意の武力で私を”無理やり”排除してはいかが?」
デューオも柔らかく威圧的に攻めるが、リンディも負けていない。
「デューオ・マソナ閣下、あなたを尊敬していましたのに・・・・・・」
この老人は、リンディよりもずっと高位の身分にある。
管理局の中核を担う人物だ。
相当の場数を踏み、外交の経験も豊富で内外から高い評価を集めていた。
「きみも現場に出ているのなら分かるだろう。今の局がどれほど無力か」
呼び方が”あなた”から”きみ”に変わったのに、リンディは気付かなかった。
「我々には制約が多すぎる。しかし犯罪者にはそれがない。次元を歪めるようなことを平気でやってのける。
使えるハズの力を抑えて、それらを止められるかね? 敵は手加減はしてくれんぞ?」
「対話の道があります。心を通わせることのできる相手なら、意思疎通は可能です」
「それで解決できたか?」
「できました」
「最近は?」
「・・・・・・・・・・・・」
リンディは言葉に詰まった。
こういう時、黙ってしまった方が負けだ。
彼女はそう分かっていながらも、理路整然と反論する術を持ち合わせていなかった。
「きみも薄々気がついているのではないか? 苛烈を極める次元間の問題事を収めるために力は不可欠だと」
デューオは今なら押さえ込めると踏んで、一気にたたみかけようとする。
「殉死した局員の数は知れない。その多くは力及ばずに死んだ者たちだ」
「それはたしかにそうですが・・・・・・」
「きみは対話で解決を試みたいと言う。それも結構だ。しかしそれが失敗して死ぬのはきみではない。いいかね?
きみを頼り、信じ、従った部下たちだ。対話という生ぬるい手法の代償は、彼らの御魂なのだよ」
デューオの言葉はリンディの心を的確に抉(えぐ)った。
これは彼女自身も考えていたことだ。
アースラでも死者は出た。
その度に彼女は、死ぬべきは自分だったと悔いていた。
悔いながら・・・・・・彼女は生きてきた。
「武力の行使を認めれば、双方に死者が出ます。戦闘行為につながる手段は極力避けるべきです」
リンディは気付いた。
そうだ、これは戦いなのだ。
相手は自分よりもはるかに強い高官。
が、勝負の方法はいたってシンプルだ。
どちらがより正論にたどりつけるか。
それを口頭で争っているに過ぎない。
しかし敗れれば、もはや言葉では制止できない悪辣な組織が誕生してしまう。
リンディは思った。
ここでデューオを説き伏せることができれば・・・・・・。
彼ほどの立場なら、局の方針に重大な影響を与えることができる。
ところがこの老人は、リンディの思考を読み取ったように、
「反対から賛成に転じる者は多いのに、賛成から反対に移る者がいない理由を考えたことはあるかな?」
不気味なほど低い声で言った。
「賛成派の非道におびえているだけですわ」
リンディのぎりぎりの抵抗だった。
ここで彼を怒らせることは得策ではない。
皮肉や挑発は状況を悪化させるだけだ。
「そうとも、それでいいのだ。人は自分より強い力におそれ屈する。この事実を世界に当てはめてごらん」
「・・・・・・?」
「どんな重犯罪者も、自分が生きるために罪を犯す。戦争愛好家やテロリストも同じことだ。全ての事柄は――。
生きている人間が生きるために起こした行動から始まっておる」
「・・・・・・」
「だから知らしめるのだ。生まれ変わった管理局に牙を向けばどうなるのか」
「力で押さえつけるのは間違っているわ。それでは心までは救えない」
「心情などここでは問題ではない。実質的にどう解決するかだ。そんな事はカウンセラーにでも任せればよい」
「対話を重ね、最悪の事態を回避する。犯罪者の心理が分からなければ、根絶は不可能ですわ」
「リンディ提督」
会話を断ち切るように、デューオは彼女の名を呼んだ。
「きみはさっき、自分は拉致されたと言ったが、これが拉致になるかそれとも招待になるかはきみ次第だ」
「何ですって?」
持って回った言い方に、彼女は少しだけ苛立った。
「きみには話し合うために来てもらったのだ。ハッキリ言おう。法案反対に関する一切の行動を止めてもらいたい」
「何ですって?」
リンディはもう一度言った。
デューオは続ける。
「きみもいい年齢だ。実戦経験も多い。あまり子供みたいな事は言わんでくれ」
「おっしゃる意味が――」
「分かっているハズだ。手を引いて欲しいと言っている」
この頑固爺め、とリンディは内心で罵った。
対話の道など初めからなかった。
これは賛成派のひとりが、反対派の中核を押さえつけるための儀式だったのだ。
「私は反対派としてここに来たのです。いくら閣下といえども、私は私の見解を戦わせます」
退くことはできない。
「そうか、それは――」
デューオはリンディがどう答えても対応できるよう、すでにいくつかの返事を用意していた。
「――残念だな。これで我々は最悪の措置をとらなければならなくなった」
そう言って彼が指を振って合図を送ると、リンディの背後の扉が開いた。
入ってきたのは先ほどの男と、やはり無数のキューブだった。
「彼女の意志は固いようだ。すぐに相応しい部屋に送ってさしあげよ」
「かしこまりました」
その声に、リンディは運命を悟ったように立ち上がった。
「リンディ・ハラオウン提督」
背を向けた彼女にデューオは、
「きみは自分よりも力の弱い者に管理されたいと思うかね?」
問いかけをした。
少し考えた後、彼女は肩越しに振り返り、
「その管理が正当性を持っているのなら」
わざと言葉を途中で切るように答える。
デューオは言う事を聞かない子供を諭すように、
「まぁ、ゆっくり考えることだな。明日になれば気持ちも変わるかもしれん」
ゆったりと、奥に威圧感を潜めて言った。
「・・・・・・」
理不尽な接待を受けた客人は、無言のまま部屋を後にした。
「ふむ・・・・・・」
一人残されたデューオは、ぼんやりと天井を眺めた。
「手強い女だな」
彼の呟きはすぐに空気に溶けてなくなった。

 

「私についてきた人たちはどうなったのかしら?」
先を行く男に、リンディは感情を高ぶらせないように気をつけて訊ねた。
「ご不安なようですね。大丈夫ですよ。皆さん、お寛ぎですから」
男は愛想なく答える。
寛ぐ、の正しい意味を問おうとしてリンディは止めた。
すぐにそれの答えに近いものが見えてきたからだ。
キューブだ。
来た時と違い、まるで隙なく監視するように数機のキューブが中空を巡回している。
「話し合いはまとまらなかったようですね」
男が憮然とした様子で言った。
「あなた方が賛成派でなければ、すぐにまとまっていたでしょうね」
リンディはさすがに抑えきれなかったか、軽く皮肉まじりに答えた。
男が息を漏らすように笑った。
「賛成派ですか・・・・・・あなたもすぐにそうなりますよ」
彼は不意に足を止めた。
1秒遅れてリンディも立ち止まる。
「今日はここでお休みくださいませ」
男が恭しく頭を下げた。
「冗談じゃないわ」
右手にある鉄格子を一瞥してリンディが吠えた。
「なぜです? このような機会は滅多にないことですよ? せめてものお詫びのしるしだというのに・・・・・・」
言葉とは裏腹に、彼は愉快でしかたがなかった。
この分だと今ごろ寛いでいるハズの護衛たちは、ここに負けないくらい劣悪な環境に放り込まれているに違いない。
彼らを思うと不憫だが、リンディもここに入る以外の選択肢がないのだ。
「風邪をひかないように空調は気をつけてあります。扉や壁は・・・・・・すみませんね」
鉄格子の中で一晩過ごせ、ということなのだろう。
これでは囚人だ。
実際、拉致されて収監されるのだから、無実の罪を着せられた罪人ということになる。
「大したもてなしだわ・・・・・・」
リンディはどうあがいても逃れられない現実を受け入れることにした。
ここで根負けし、降参するのを連中は今か今かと待っているのだろう。
この程度のことで屈する女性ではない。
仲間の死を目の当たりにしながら、それでも反対派の旗印として活動してきたのだ。
死ぬことに比べれば拉致など軽い。
なかば開き直るようにして、リンディは自ら投獄された。

 

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