第7話 症候

(不注意から囚われの身となったリンディ。彼女の前に思わぬ人物が現れ・・・・・・)

「私がいながら申し訳ない・・・・・・」
集った面々に、ロドムはがっくりと項垂れるようにして頭を下げた。
忸怩たる想いがその仕草全面に出ている。
急いで来て欲しいとの連絡を受け、フェイト、なのははすぐにリンディの部屋に向かった。
近くに部屋をとっている護衛も同様に集まる。
室内には10名ほどが揃い、やや窮屈な感がある。
しかし部屋の狭さに文句を言う者はおろか、狭さに対する不満を持つ者さえいない。
それもそのハズ。
緊急事態が起こったのだ。
ロドムから放たれた最初の一言は、集った彼らの心を大きく動揺させた。
「リンディ提督が消息を絶った」
これを聞いただけでも、ネガティブな局員は彼女の死を連想した。
反対派が次々と襲撃され、しかもその大半は帰らぬ人となっているのだ。
活動を引っ張ってきた彼女が、もし賛成派の手に落ちたとしたら・・・・・・。
結末は誰が言わなくても同じところにたどり着く。
「これが問題のメールだ」
次いで彼は武力放棄推進委員会と書かれたメールを見せた。
「提督はこのメールを受けて出かけられたが、その途中で交信ができなくなった」
交信とは通信機器、念話を含めた手段のことだ。
「この地図の場所に行けば何か分かるんじゃないですか?」
なのはが覗き込むようにして言った。
ロドムは首を左右に振って、
「いや、すでに使いの者を出したが廃ビルがあるだけだった」
と吐き出すように答えた。
ではその廃ビルを調べれば、と言いかけてフェイトはやめた。
自分が考えつきそうな事なら、とっくにやっているだろう。
それでも何もてがかりを得られなかったから、こうして集められているのだ。
「その場所から通信の不可能な施設等に連れられたということでしょうか?」
「分からないが、何の連絡もないのはおかしい。もしかしたら賛成派の連中に――」
ロドムは言葉を切った。
彼が言った”もしかしたら”は、仮定の話ではなくなっている。
異常事態は全て賛成派の仕業、と思うくらいでちょうどよい。
「探そうにも手がかりがこれでは・・・・・・」
口調からロドムの悔しさが伝わってくる。
個々人が放つ微量な魔力の残滓を追跡するという案も出たが、使いの者はそれらしい気配は感じなかったという。
そうなると現状、やはりこのメールと廃ビルから探っていくしかない。
局員のひとりが端末を使って武力放棄推進委員会を調べてみた。
が、すでに公式サイトとおぼしきところは閉鎖されている。
「・・・・・・やはり連中ですね」
局員たちは頷く。
リンディは謀られたのだ、と誰もが思った。
「クラナガンにいるならまだしも、別の次元にでも移動していたら・・・・・・」
「追跡は難しくなりましょう」
どこに消えたかは見当もつかないのだ。
海に落とした針を探すよりも難しい人捜しになる。
「賛成派なら提督をできるだけ遠ざけたいと思うハズ」
「ではやはり次元外へ?」
「あるいは・・・・・・」
ロドムは言葉を切った。
その後にはリンディの死という、最悪の結末が続くハズだった。
「大丈夫です。かあさ・・・・・・リンディ提督は生きています」
ふがいない大人たちに向かって、フェイトは力強く言った。
「安全とは言えませんけど・・・・・・大丈夫です」
そうだった。
こんな幼い魔導師がそばにいるのだ。
ロドムたちはウソでも前向きな方向でリンディの安否について話すべきだった。
「フェイトちゃん・・・・・・」
この時のフェイトの気持ちを真に理解しているのは、やはりなのはだけだろう。
ましてやようやく母子と呼べるだけの仲になったばかりで、この状況は彼女にとってはあまりに過酷だ。
伏せがちになったフェイトに、どう声をかければよいかなのはが迷っていた時、
「あの・・・・・・」
フェイトがぱっと顔をあげた。
「うん、どうかしたかい?」
ロドムが悔恨と尊敬の念を込めて彼女を見た。
フェイトはわずかに躊躇った後、
「もしかしたら提督がどこにいるか分かるかもしれません」
と、消え入りそうな声で言う。
「ほ、本当なのかっ!」
対してロドムのほうは自分もびっくりするくらいの大声を張り上げていた。
その怒声に委縮したか、もともと自信がなさそうだったフェイトはさらに小さくなって、
「いえ、あの・・・・・・もしかしたら・・・・・・です」
声にもならない声で返した。
その様子にロドムは咳払いをひとつ。
「すまなかった。つい気持ちが逸ってしまって。しかし今の話は・・・・・・」
「自信はありませんけど、提督や護衛の方の魔力を察知できれば――」
というフェイトの提案に、ロドムは難しい顔をした。
「しかし使いの者の報告ではそういったものは・・・・・・うむ、いや・・・・・・」
彼は言葉を打ち消した。
さっきのフェイトの言葉を受けて、ネガティブな考えはやめようと決めたばかりなのに。
ここでまた自分が不安げな顔をすれば、それはすぐに伝播して少女たちにさらに不安を与えかねない。
それに、だ。
この少女は特別なのだ。
もしかしたらフェイトという魔導師には、実は不可能なことなど何ひとつないのではないか。
過去の事件での彼女の武勇伝を知っているロドムは、時折そう思うことがある。
「きみならできるかもしれない。やってくれるか?」
「はい――」
問いにフェイトは即答した。
「私たちはどうすればいい?」
局員たちが詰め寄ってきた。
彼らもアースラのクルーであり、リンディの大切な部下だ。
全てをフェイトに背負わせる気はまったくない。
「その地図の場所に連れて行ってください」
「それだけでいいのか?」
「はい。後は私ができるだけの事をやってみます。でもうまくいくかは・・・・・・」
「きみならできそうな気がするよ。おっと、プレッシャーをかけてるわけじゃないよ」
「あ、はい」
沈んでいた場が少しだけ明るくなった。
「ねえ、フェイトちゃん。私も行ってもいい?」
なのはは上官に伺いを立てるように訊いてきた。
「うん、なのはにも来てほしい」
申し出は予想していたようで、フェイトはすぐに了承した。
「ありがとう」
なぜか、なのはは礼を言った。
地図をコピーしたロドムは振り返って、
「2班に分かれよう。A班は彼女を本部まで連れていく。B班は近辺の捜索だ。念のため、ここに2名を残す」
こういう時、ロドムの判断とそれに基づく指示は的確で早い。
一刻を争う事態だ。
彼のように明晰な人物でなければ、集団を取りまとめることは難しいだろう。
「望みがあるんだ。今、動けるならできるだけ動く」
という強い口調のもと、彼らは自分にできる限りの行動をとることになった。


「このビルだ」
数名の局員に連れられ、フェイトとなのはは廃ビルの前まで来た。
「地図ではここが武力放棄推進委員会の本部となっているが、もう長いこと放置されているようだ。瑕疵がひどい」
言わずとも分かる。
外から見ただけで、もう何年も人の出入りがない雰囲気がにじみ出ている。
が、フェイトはここに”つい最近まで”人がいたことを感じとった。
言葉には言い表せないが何かが妙なのだ。
「どう、フェイトちゃん? 何か・・・・・・」
訊きかけてなのはは言葉を切った。
彼女の眼は真剣だ。
こういう時、特に意味のない会話は振らないほうがいい。
黙って廃ビルを見つめるフェイトには、2度も母を喪いたくないという強烈な想いがあった。
先ほど自信がないと言ったが、やはり彼女は私が助けたい。
フェイトはそう想い、ゆっくりとビルの中へ入っていく。
「待て、念のため私たちが調べてからに――」
局員の制止を無視して、フェイトはエントランスをくぐった。
彼女の無謀さからくる勇敢さに局員たちは顔を見合わせた。
屋内は外観以上に廃れている。
剥げ落ちた壁と枯れた観葉植物が、悲壮感をより一層強めている。
「やはり残滓は感じられないな」
「そう・・・ですね・・・・・・」
フェイトは曖昧な相槌を打つ。
ここを先に調べた局員は、魔力以外には何も感じようとしなかったのだろうか。
1年前、闇との戦いの最中に何度か感じた、禍々しい邪念。
それと似たような陰鬱な気が、このビル全体を取り巻いているというのに?
彼らは何も感じないのだろうか?
フェイトは真っすぐに進み、正面の壁に手をあてた。
(やっぱり・・・・・・)
フェイトは思った。
壁に手を触れた途端、黒い気が全身を駆け巡る。
やはりここにリンディはいた。
それとは別に、彼女を拉致したと思われる人物もここにいた。
「リンディ提督と、誰かが少しの間ですがここにいたようです」
「そう、なのか・・・・・・?」
「はい」
誰にも分からないが彼女には分かるのだ。
壁が、天井が、床が、ここに誰がいて何が起こったかを記憶している。
「バルディッシュ、力を貸して」
彼女は愛杖の力を借りて真相を探ろうとする。
『”Particle vision”』
仄かな金色の瞬きとともに、フェイトの視界の中に無数の粒子が飛び込んでくる。
点の集まりがビルの骨格を形作り、枯れた観葉植物すらも再現した。
その中に特に強い光を見つけた。
リンディだ。
そのすぐ近くに弱い光がある。
これが誰かは分からないが、決して魔力の弱い者ではない。
光の強さはその人物の強さを表すが、光の弱さはその人物の弱さを表すのではない。
光の弱さはすなわち暗さ。
つまりこの人物の負を示しているのだ。
リンディの周りに見えるいくつかの粒子は、間違いなく彼女の護衛だろう。
しばらくすると、これら全ての粒子がにわかに動き出す。
車に乗り、ビルを出て、街の中を高速で駆け抜けていくのが見える。
街中はものが多く、したがって粒子の量も厖大になる。
フェイトは車を見失わないように意識をより集中させた。
数分ほどして車は市街地を抜け、平野以外に何も見えないところを走る。
円形状の建物の前で車は止まり、そこで全員が降りた。
数名はゆっくりと建物の中に入っていく。
ヴィジョンはそこで途切れた。


 罪を犯した者はこういう所に押し込められるのか。
リンディは思った。
無機質な床と壁と天井。
質の悪いベッドに、骸骨の絵が掛けられているとあっては気も滅入ってくる。
不気味な絵画が、未来の自分を暗示しているようで恐怖心を誘う。
居心地は最悪だ。
格子の隙間から見える廊下を、一定の間隔でキューブが往来している。
彼女ほどの力ならここを抜け出すことは不可能ではない。
が、格子には強力な防護の魔法が施されており、これを破るのは容易ではない。
それをやったとしても、監視用のキューブに追い回される羽目になる。
おまけに護衛たちがどこに幽閉されているか分からないのでは、その救出にも時間がかかる。
現時点ではあからさまに抵抗の意思を表示することは得策ではない。
(・・・・・・・・・・・・)
とはいえ、一刻も早くここから抜け出したいという気持ちはある。
賛成派は劣悪な環境に放り込むことで、リンディに音を上げさせようとしている。
その狙いが分かっているからこそ、彼女は耐えることができた。
必ずチャンスは巡ってくる。
起死回生のチャンスが必ず。
「リンディ提督・・・・・・」
聞き覚えのある声に呼ばれ、リンディはぱっと顔を上げた。
「・・・・・・・・・・・・」
鉄格子を挟んで、2人はしばらく見つめあった。
リンディの方は目の前にいる人物が信じられず、束の間茫然とした。
しかし数秒経ってようやく真相にたどり着いた彼女は、驚くほど怨みがましい声で、
「ビオドール提督――」
眼前の男の名を呼んだ。
「あなたが・・・・・・そう・・・そうだったのね・・・・・・」
彼女は憮然とした。
親しかったハズのビオドールと、まさかこんな場所で、こんな恰好で会おうとは。
格子の外側にいる時点で、彼がどういう立場にいるかはすぐに分かった。
「すみません・・・リンディ提督。しかし私には私の意見がある。その点は斟酌してもらいたい」
「ずっとそうだったんですか?」
「なにがです?」
「ずっと賛成派だったのですか?」
彼は少し間をおいて、
「はい」
とだけ答えた。
「でも私は連中とは違いまず。彼らのように利権に踊らされるような・・・・・・そんな不純な理由ではありません」
「私を欺いた点では同じですわ」
「・・・・・・それについては言い訳はしません。たしかにあなたを欺きましたが、しかし!」
ビオドールは小さく怒鳴り、
「決して本意ではありませんでしたし、暗殺してまで可決を――という考え方もしていません」
自分が他の賛成派とは全く異質であることを重ねて強調した。
「ではなぜ――!?」
リンディは悲痛な声で疑問を投げかける。
それについて彼はしばらく答えなかった。
が、そのまま立ち去らないところを見ると、彼はまだリンディの友人でありたいと願っているのかもしれない。
「私には妹がいました」
彼は突然、過去形で身内がいることを明かした。
「本部で事務に就いていましてね。あの日も仕事を終えて定時には帰ってくるハズでした」
リンディは毒気を抜かれたように、彼の独白を聞き入った。
「影が局を襲撃したという話は何度か聞きました。が、その度に現場の局員がうまく対処してましたから――。
まさかその時に限って失敗するなんて思いもしなかった・・・・・・!!」
「・・・・・・・・・・・・」
「奴らが大軍を率いて攻めてきた時、本部事務室にはまだ妹が残っていました。
あいつは無理をするところがありましたから、おおかた残っていた仕事を片付けようとしていたんでしょうね。
他の局員はほとんど避難を終えていたのに、あいつはまだモニタに向かっていたんですよ。
影の侵攻は早かった。駐留していた局員も神出鬼没の影に翻弄され、多くが殉死したと聞いてます」
ビオドールは遠い眼をして、その時の光景を思い浮かべようとした。
だができなかった。
「私はその時、遠方での殲滅作戦に参加していましたから、その時の様子は人づてにしか分かりません。
ただハッキリしているのは、妹が・・・・・・妹が死んだということだけです」
リンディは何も言えなかった。
突然の独白にしては、あまりに内容が重すぎる。
彼はさらに続けた。
「現場の局員には妹を救出する機会がありました。クモ型の影があいつを取り巻いていた時・・・・・・。
居合わせたたった1人の武装隊が、蹴散らせば――それでよかったんです・・・・・・!」
「その、武装隊は・・・・・・」
「できなかった。肥大化した影にデバイスの出力が追いつかなかったのです。
いえ、厳密にはできたハズなんです。デバイスの出力制限さえなければ、妹は助かったハズなんです」
彼の瞳は濡れていた。
「事故を避けるために設けられた出力制限。そのせいで武装隊は影を一掃できなかった・・・・・・。
残った影は妹を――即死だったそうです。あいつを助けようとした武装隊もまた――」
ビオドールの表情からは苦痛と後悔の念が見て取れる。
このビオドールという男は・・・・・・。
自分にそんな過去があることなど、微塵も窺わせなかった。
リンディという交誼は長いが、彼女でさえ彼がそのような苦痛を味わっていることを知らなかった。
気丈に振舞っていたのだ。
親類を喪った悲しみを、つらさを、彼は今日まで隠し続けてきたのだ。
リンディは彼の強さを知った。
「世界の秩序を守る管理局が・・・・・・たった1人の仲間すら守れなかったんです・・・・・・。
それも自ら足枷をつけたせいでです。こんな・・・馬鹿げた話が他にありますか?」
ここからはビオドールの個人的な見解が語られる。
「管理局の無力さを知りました。ただ数が集まっているだけで、あれではまるで子供です。
力を100%使えないのでは、力は何のためにあるというのです?
制限を超えた分のデバイスの出力はいつ、どこで使えばいいというのです?」
「・・・・・・・・・・・・」
「救えたハズなのに救えなかった・・・・・・! 妹はもう帰っては来ないんです・・・・・・。
あいつのためにしてやれることは、同じ悲劇を繰り返さないこと。そうです、リンディ提督。
強い力を持ち、その行使が自由であれば管理局は今よりもっと多くの人々を守れるんです。
犠牲者を減らすことができる。危機に瀕した星を、世界を救うことができるんですよ」
リンディを呑み込むほどの説得力がある。
整然さに多少欠けるところはあるが、首尾一貫として筋が通っている。
しかも実際に家族を喪った本人の弁だ。
聴く者の心を揺さぶる効果は十分にある。
「このような形になってしまったのは残念です。リンディ提督――」
「あなたは・・・・・・」
彼女は思考の中で言葉を選んだ。
「軍隊化が本当に平和につながると、そう思っているのですか?」
「思っていますとも。少なくとも妹のような犠牲者はこれで無くなる・・・・・・!」
駄目だ、とリンディは思った。
彼は妹の死にこだわるあまり、力を持ち驕った管理局が暴走する可能性を全く考慮していない。
悲しみを隠し通してきた彼がその程度の想像をできないとは思えないが、なにしろ肉親の死だ。
先のことまで考えが及ばず、感情的に軍隊化を推奨している節は否定できない。
「力を持ちすぎた者は秩序を破壊するわ」
リンディの声はビオドールの脳に鋭く突き刺さった。
しかし彼は退かない。
「あなたとは親しい仲ですが、この件に関してだけは大きくすれ違いましたね」
「ええ、これは個人的な問題ですから仕方ありませんわ」
「・・・・・・では個人的な意見として言いますが、リンディ提督」
「何でしょう?」
「軍隊化に賛成してください」
あまりにストレートな表現に、リンディは耳を疑った。
もう少し婉曲な方法で協力を迫ると思っていたが、ビオドールはこれで彼女の考えが変わるとでも思ったのだろうか。
「それができるなら私は初めからここには――」
「今だけでいいんです」
彼は意外なことを言った。
言っている意味が分からず、リンディは目を瞬かせた。
「連中はあなたに降服を迫ります。その時に応じなければ・・・・・・あなたは殺されます」
「・・・・・・!!」
彼の口調は暗く、聞いていたリンディは一瞬、死に直面したような気になった。
「まさか・・・・・・」
と言いかけてリンディは口を噤んだ。
いまさらになって”まさか”はない。
実際に多くの反対派が襲撃を受け、この世を去っているのだ。
賛成派から目の敵にされているリンディが、暗殺されない理由はない。
「今までのやり方からして、私が降服しようがしまいが暗殺するつもりなのでは?」
「それはありません。連中は満場一致での可決を狙っていますから、あなたが死ぬだけでは意味がないのです。
今や反対派の旗印になっているからこそ、そのカリスマ性で反対派全員に賛成票を投じさせる意図があります」
これは反対派にとって新説だった。
ただ可決させるだけでなく、圧倒的優勢による可決?
(賛成派は軍隊化さえできればいいと思ってたけど・・・・・・?)
リンディは訝った。
極端な話、1票差でも賛成票の方が多ければそれで済む話だ。
(連中はいったい何を・・・・・・?)
リンディは考えてみたが、短時間でしかもこの状況では思考はうまく働かない。
「あなたが行方不明ということで、反対派の間では動揺が広がっているでしょう。
これに怯えて転身を図るか、あなたの意思を受けて断固反対するか・・・・・・これは分かりません」
「ひとつ教えて。賛成派は何を企んでるの? あなたたちの狙いは軍隊化の実現だけではないわね?
その先に――いったい何を目指しているというの?」
「リンディ提督」
彼は静かに言った。
「確かに私も賛成派ではありますが、彼らの中に私を含めないでください。私は彼らとは違います」
と彼は言うが、リンディからすれば差異はない。
一時、険悪なムードが流れた。
居心地の悪い沈黙を破るようにビオドールは、
「連中の意図は私にも分かりません。彼らはそこまでは話してくれないのです。もう少し時間があれば。
彼らの信頼をもっと得れば、核心に迫ることができるかもしれません」
まくしたてた。
「じゃあ賛成派全員が同じ目的を持っているわけでは――」
「ないですね。共通しているのは軍隊化の可決だけ。そこから先の考え方はそれぞれです」
話を戻す、と前置きしてから彼はさらに続けた。
「賛成派にとってあなたは最大の敵であり、最大の味方にも成り得る存在なのです。
連中はあなたを利用して圧倒的な賛成票を獲得しようと迫るでしょう。もしそれを断れば・・・・・・。
邪魔だと判断すれば、彼らはためらいなくあなたを手にかけるに違いありません」
この時のビオドールの表情は敵のそれではなかった。
心底から友人の安否を憂慮する、リンディがよく知っている彼の顔だ。
だがすっかり警戒心を強めた彼女は、その顔から窺える優しさには目をそむけ、
「つまり私に降服しろ、というわけですね」
と、あくまで彼を賛成派の一員として見定めた。
「少なくとも彼らが迫った時はそうしてください。でなければ、あなたは死ぬことになる」
「賛成派のやり方はいつも同じね」
「違います。降服するのはその時だけでいいのです。形だけでも屈しておけば、殺されずに済みます」
「・・・・・・・・・・・・」
リンディはこれにすぐに言葉を返せなかった。
「・・・なぜそんなことを? あなたも軍隊化に賛成なのでは?」
「もちろんですとも。しかし同時にあなたの友人でもある。可決されれば私の願いは叶ったことになります。
しかしあなたや他の命を犠牲にしてまで、とは思っていません」
リンディは恥じた。
彼はやはり彼なのだ。
対立する立場にありながら、それ以外ではこれまでのように親しい間柄であることに変わりはないのだ。
「連中が何か言ってきたら、とりあえずそれに従うフリをしてください。そうすれば・・・・・・。
少なくともここから出られる。後は隙を見て安全な場所へ逃げ切れれば――」
「ビオドール提督」
鉄格子を挟んで、リンディは潤んだ瞳で彼を見つめた。
「あなたを一度でも罵ってしまったこと、お詫びします。私は賛成か反対かでしか考えられなくなったようです。
ちょうどいい機会です。ここでゆっくり考えなおしてみます」
「な、なにを悠長なことを。奴らは短時間で畳みかけてくるハズ。ゆとりはありません。
今は奴らの誘いに乗ることです。それを最優先に考えてください」
ビオドールには今のリンディの言葉が別れの挨拶に聞こえた。
いつも凛としている彼女が、今や別人といっていいほど憔悴している。
こういう環境に放り込まれれば誰でもそうなるが、危機を脱するチャンスはあるのだ。
死を覚悟するのはまだ早い。
「あまりここにいては怪しまれます。そろそろ戻ったほうがいいですよ」
リンディは疲れ切った顔で、しかし彼への配慮も忘れない。
飛び交うキューブは正確な立方体のため、どこを向いているのか分からない。
見られているのか、見過ごされているのか。
ビオドールは今さらながら、この物体に気味悪さを覚えた。
「・・・・・・では私は戻りますが、先ほどの話、くれぐれもお忘れなきように。
あなたの返答ひとつで、事は大きく揺れます。正直に言って、あなたとは対立したくなかった。本心です。
リンディ提督、お願いです。どうか生き延びてください。私が言えることではありませんが・・・・・・。
しかしあなたの犠牲の上に法案が通っても・・・・・・私には後悔しか残りません。
妹と同じ目に遭わせたくはない。ですから、どうか――」
ビオドールの説得は懇願に変わっていた。
彼の中でも法案成立に懸ける意思と、その陰で不幸な末路をたどる人々との矛盾が悩みの種になっているのだろう。
その点をいくらかリンディも分かっていた。
彼女が知ったのは、賛成派が軍隊化を勧めるのに、”そういう理由もある”ということだった。
今一度、両者の関係を見つめなおす時かもしれないと。
彼女は何度か思ったが、とうとうそれを口にすることはなかった。
代わりにリンディが言ったのは、
「ありがとうございます」
という直截簡明な感謝の言葉だった。


「場所が分かった? うん・・・・・・うん、よし。それだとBT地区だな」
リンディの部屋で情報収集を行っていたロドムに吉報が届いた。
フェイトがリンディの足跡をたどることに成功したというのだ。
報せによると、護衛とともに車に乗ってBT地区に消えたらしい。
ロドムはただちに端末を操作して周辺の地図を表示させた。
街を外れた平野の中心部分に、円形の建造物がある。
見るからに怪しいが、ある意味ではこれは目立つ。
賛成派は大胆だなとロドムは思った。
「・・・・・・ここからは距離があるな」
彼は腕を組んだ。
実際にフェイトがここを突き止めたのは10分前だ。
彼女の頭にはほぼ正確なヴィジョンが浮かんでいたが、それはあくまで映像に過ぎない。
同行した局員にその場所を伝えるのに手間取り、10分というロスが生まれた。
『提督が心配です。我々はこのまま問題の建物に向かいます』
現場から通信が入った。
「分かった。その前にB班と合流するんだ。くれぐれも気をつけてくれ。私たちも準備が整い次第、援護に向かう」
答えたロドムは傍受に備えてすぐに回線を切り、もう一度地図を眺めた。
先ほど見た時は気付かなかったが、建造物をずっと東に行ったところに小さな発着場がある。
それにこの建物、円形というよりは・・・・・・。
「しかし、さすがはエースですね」
ロドムの作業を手伝っていた局員が言った。
「いとも簡単に場所を割り出すとは」
「うむ、並の魔導師にはできない。彼女は特別なんだ」
地図上の建造物を眺めながら、ロドムは小さく息を吐いた。
まったく、あの少女には驚かされる。
正規の訓練を受けた武装隊を遙かに上回る力と技量を持ち、しかも容貌からは想像もつかないほど賢い。
先の2事件についても果敢に挑み、解決に導いたのも彼女だ。
その活躍ぶりに尊敬しながら、同時に今の管理局の脆弱ぶりをロドムは憂えた。
天才と言ってもいい少女が最前線で戦いながら、局員はその陰に隠れるようにして動いてきた。
もし彼女たちがいなければ、ムドラとの和平どころか、管理局は滅ぼされていたかもしれない。
局は――もっと強くなるべきではなかろうか。
(だからといって軍隊化に賛成することはできないな)
ロドムは巡る思考をひとまず外に押し出した。
今はリンディを救出することが最優先だ。
「私たちも急ぎましょう」
彼の横ではすでにデバイスを構えた局員が、今にも外に出ようとしている。
しかしロドムはすぐには立ち上がらない。
「彼女たちはもう提督救出に向かいましたよ。私たちもこんなところでじっとしていないで――」
「いや、私たちには別の仕事がある」
「な、何言ってるんですか? 場所はもう分かったんです。もたもたしていられませんよ」
「分かってる。でも焦るな、物事には順番がある」
ロドムは言葉通り、落ち着き払って言った。
だが局員は焦っているらしく、
「さっき、自分たちも援護に向かうと言ったじゃないですか!」
怒気をはらませた。
「その前に、”準備が整い次第”と付けたハズだぞ。慌てるな」
一刻も早く助けたい、という気持ちはロドムも同じである。
しかしそこですぐに動かないところが、彼を優秀な士官へと押し上げた才能でもある。
「A班、B班はもう合流しただろう。私たちもそろそろ動くか」
全てのコンピュータの電源を落とし、ロドムは魔導服に着替えて立ち上がった。
「おお、いよいよですね!」
と、やはり逸る局員に、彼は小さく息を吐きつつ、
「もちろん提督救出が最終目的だ。だが、ただ戦うだけが私たちの役割じゃない」
諭すように言った。
気が急いている局員には、その言葉の意味はすぐには分からなかった。


「なかなかしぶとい女だ」
デューオ・マソナはクッション性に優れた椅子に背中をあずけ、感慨深い表情で天井を見上げた。
「あれから何も言って来んか?」
すぐ傍にいた若い男に尋ねる。
「特に何も。褒めるわけではありませんが、たいした精神力だと思います」
「――だそうだ。さて、どうしたものか」
面倒くさそうに言い、デューオは自分に視線を向ける3人を順番に見やった。
このメンバーでの秘密の会合はこれで何度目になるか知れない。
議論に積極的な3人の老獪と、消極的な1人の若者。
これがいつものメンバーだ。
「協力しないなら消す。もともとそのつもりだったろう? 迷うことなど何もないわ」
この中では最も年配の老爺が、ヘビのように鋭い眼光を場に叩きつけた。
「そうするのは簡単だが、奴は我々の切り札。最後の最後までとっておきたいという気持ちもあるのですよ」
「とっておく時期はもう過ぎた。投票日まであとわずかなのだぞ」
「そうともそうとも。どうせなら残りの反対派に見せしめの意味も込めて始末すべきぞ」
老人たちは残忍な性格を存分に発揮した。
これまでどおりに――。
誰かの命をたやすく犠牲にして、自分たちの考えを押し進めようとする。
「さしでがましいようですが・・・・・・」
普段、ほとんど発言しない若い男がおずおずと手を挙げた。
「私は反対です。やはり彼女は生かしておくべきかと――」
3人の視線が一斉に彼に注がれた。
しかしここで怯んではならない。
彼は決めたのだ。
法案に反対はできないが、リンディは助けたい。
もし彼女が死ぬようなことになれば、彼は一生を後悔しながら生きていく羽目になる。
それだけはしたくなかった。
だから彼は――ビオドールは毅然とした態度で発言することにした。
ビオドールからの意見は意外だったのか、3人はしばらく無言のまま互いに顔を見合わせた。
沈黙は熟慮の時間を与える。
だが老齢であればあるほど時間の流れは早く感じられ、思考はすばやく結論を出してしまう。
「不要だな。彼女はデューオ殿の言葉にも耳を貸さなかった。放っておけばこれは・・・・・・。
我々にとって不利になるぞ」
最年長の老爺は、銀色の髪を弄びながら一蹴した。
「ですが賛成派の勝利は確実。彼女の生死が結果に左右するとは思えません」
「・・・・・・・・・・・・」
再び沈黙。
こいつ、今日はやけに食い下がるな、と誰もが思った。
年長である人間はえてして年少の見解を受け入れないものだ。
「害悪は残らず排除するのが、目的を達成するための最も堅実な道じゃよ。いいかね、きみ?
彼女は我々の敵だ。敵は滅ぼさなければならん」
「しかし何も殺害――」
「ではこうしよう。明日、彼女に問うのだ。”降服するか、拒むか”とな」
「はい」
「従えば我々の勝利だ。彼女のカリスマ性を利用して全有権者に賛成票を投じさせる」
「・・・・・・もし拒めば?」
ビオドールが静かに尋ねると、老爺はそれよりもずっと静かな口調で、
「永遠の別れとなろうな」
と答えた。
「それは――」
本気なのか、と問おうとしてビオドールは口を噤んだ。
訊く必要のないことなのだ。
ここにいる連中は躊躇なく人を殺める。
自分たちの考えが正しいと信じ切っているから、反抗する者は容赦なく排除できる。
「ふむ、つまるところ明日が全てを決することになろうな。もちろん、わしとしては・・・・・・」
老爺は不気味に光る双眸をビオドールに向けた。
「良い返事を期待したいところだ」

 

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