第8話 免疫
(拘束され、窮地に立たされたリンディ。しかし彼女を支持する者たちは密かに行動を始めていた)
何者かの廊下を歩く音が、リンディの意識を現実に引き戻した。
ここは暗く、空気も淀んでいる。
おまけに飛び交うキューブの監視の目が、囚われの彼女の精神を衰弱させた。
(ビオドールさん・・・・・・?)
数秒して彼女の意識と思考はほぼ完全に正常時の状態に戻った。
自分がどこにいるかも把握できているし、ここに至るまでの経緯もハッキリと記憶に残っている。
それに伴って、なぜか自信のようなものが湧いてきた。
根拠は全くない。
ただわずかばかり事態が好転しそうな予感がするのだ。
「ご滞在を満喫されておるようだな」
珍妙な言葉づかいでさっそく挑発してきたのは、デューオ・マソナだった。
ビオドールが来たのだと期待していたリンディは、一気に自分の目つきが厳しくなるのを感じた。
「大したもてなしですわね」
彼女も一言返してやりたいと思い、同じく皮肉を言った。
デューオは悲しそうに一瞬だけ目を伏せて、
「そう仰らずに。ところでどうかな。昨日の話について・・・・・・」
本題を切りだした。
二者択一を迫る、結果を急いでいるような質問だ。
「・・・・・・・・・・・・」
即答はしなかった。
”従う素振りでいいのです。そうしなければ殺されます”
リンディの思考の中を、ビオドールの言葉が何度も行き交う。
この一見温厚そうな老人は、卑劣で残酷な賛成派の中核。
彼の声ひとつで反対派の生死が左右されるかもしれないのだ。
「デューオ閣下、それに対する返事をする前に訊かせてください」
ビオドールの声がリンディの頭にこだました。
時間稼ぎのつもりはなかった。
姑息な手段で得られる延命は数十秒程度だし、デューオ自身が変わらなければ自分の運命も変わらない。
「こんなやり方で票を獲得して満足ですか? あなたはそれで法案が支持されたとお思いですか?」
彼女は――。
こんな劣悪な環境の中でも演説をするつもりだ。
聴衆はたった1人。
しかし相手が相手だけに、ここでの演説は公会堂でのそれよりも遙かに大きな意味を持つ。
成功すれば彼女は助かり、失敗すれば彼女は死ぬ。
「大義を成すのになりふり構っていられんよ。今は強制的でもよい。とにかく軍隊化が正しいのだと――。
全ての民がまず認識しなければならんのだ」
彼は一蹴した。
「なぜ正しいのです?」
「それは昨日、話をしたぞ」
格子の向こうのデューオは、蔑むようにリンディを見た。
今や絶望的な位置に立たされた彼女を見て、ひとつひらめいた彼は、
「うむ、うむ。そうだな・・・・・・対話で解決する、というのがきみの見解だったな」
来た時と同じく、挑戦的な視線を向けた。
「ではこの状況をお得意の対話で打破してみてはどうかね? つまり私を説得するということだが。
言っておくがわしの意志は固いぞ。それでもできるというのなら・・・・・・」
最後まで言わず、彼は途中で言葉を切った。
リンディから並々ならない気迫を感じたからだ。
「閣下、あなたは大きな思い違いをしていらっしゃいます」
凛とした、彼女の内なる強さが前面に出てきた。
「私は確かにまず対話による解決策を考えますが――」
どこかで爆発音がした。
「・・・・・・ッ!?」
突然の音にデューオが視線をさまよわせる。
「熟慮してそれが不可能だと判断すれば、毅然として戦います!」
「よ、よせ! よすんだ!!」
リンディの両手が淡く光った。
「倒すためではありません! 対話の機会を作るためにです!!」
「いい・・・言ってる事とやってる事が違うぞ!!」
デューオの視界がターコイズブルーの閃光に包まれた。
光に次いで衝撃。そのすぐ後を先ほどのような爆発音が追う。
砂煙がリンディの視界を覆った。
彼女を捕らえていた鉄格子は、魔力に煽られて粉砕している。
これで彼女は自由になった。
厳密な意味ではこの建物の外に出て初めて自由を手にするが、今はこれでも十分なのだ。
砂塵が晴れた時、すでにデューオの姿はそこになかった。
「急がないと・・・・・・!」
リンディは忌々しい鉄格子の残骸を踏み越えて、廊下を左に走った。
やはりここでは念話は使えない。
どういう仕組みなのか、ついてきた護衛たちとの連絡がとれないのだ。
(でも近くにいるハズよ)
この考えには自信があった。
先ほどの爆音からして距離はそう遠くはない。
わずかにだが振動も感じた。
あれは護衛たちが行動を起こした証。
丸1日たって事態が好転しなかった場合、護衛が実力を行使することを約束していたのだ。
もちろんリンディを救出するためである。
状況から考えればリンディへの監視は厳しいが、護衛に対する監視は重要性からして乏しい。
投票権を持たない局員には注意しなくてもいいからだ。
ただし実力を持って動くことを想定して、賛成派はキューブを監視役として置いた。
それが仇となった。
キューブは局員やリンディが行動を起こさない限りは何もしないし、そもそもできない。
そのようにプログラムされているからだ。
真の意味で警戒するなら、抵抗する素振りをみせた時点で排除するべきなのだ。
だが、キューブはできない。
結果、リンディ同様に別の場所で監禁されていた護衛たちに段取りの時間を与えてしまった。
爆発音から分かるように強引なやり方だった。
魔力をぶつけて鉄格子を破り、巡回していたキューブを焼き払う。
すでに賛成派はこの騒ぎに気付いているだろう。
リンディを人質にとり、抵抗すれば彼女を殺すと脅せば護衛たちには何もできない。
だから賛成派は騒ぎを起こしている護衛よりもまず、リンディを確保することを優先する。
となると彼女は危険に晒されるのだが、そこは提督まで上り詰めたリンディのことである。
そう簡単に捕まったりはしない。
「大したことないわね」
廊下を走りながら、出くわすキューブを片っ端から破壊していく。
この狭い廊下ではキューブの機動性は存分に発揮できない。
ほとんど逃げ場のない正面からの撃ち合いになればこちらが有利なのだ。
「提督!!」
いくつ目かの角を曲がったところで、リンディは護衛たちの姿を認めた。
「ご無事でしたか!!」
会うなりそう叫ばれたが、それはリンディこそが言いたいセリフだった。
「あなたたちも・・・・・・よかったわ・・・・・・」
彼女はじわりと瞳を潤わせた。
分かってはいたが、こうして1人も欠けずに顔を合わせられることに強運と幸福を感じた。
「申し訳ございません。提督の危険を顧みず、このような真似を――」
護衛たちは頭を垂れた。
「一日経っても部屋から出られず、提督との連絡もできなかったもので・・・・・・」
「いいのよ。私を心配してくれたんでしょう? ありがとう――本当に助かったわ」
その一言で勝手に動いた護衛たちは救われた気になった。
護衛たちは別室に通された後、全く部屋から出られなかったらしい。
生活に必要なものは室内に揃っていたが、24時間を過ごすには苦痛を伴う環境だ。
劣悪とまではいかないが、自由に外に出られないのでは監禁と大差ない。
リンディの様子を見ようと護衛の1人が半ば強引に部屋を出た瞬間だった。
警告音を発しながらキューブが攻撃をしかけてきたのだ。
その後はリンディと変わらない。
飛来するキューブを退けながら、彼女を捜索した――という次第だ。
「しかし我々が騒ぎを起こしたことで話し合いが――」
「話し合いなんてほとんどなかったわ」
「えっ?」
「一方的な要求と不当な拘束よ」
彼女の言わんとすることを護衛たちは察した。
やはり圧力をかけようとしたのだ。
「全員の無事は確認できたし、もうここにいる意味はないわ。戻って賛成派の横行を――」
「再会を喜ぶのはもう少し後にしたらどうかね?」
不吉な声の主は見ずとも分かる。
リンディたちは失敗した、と思った。
「あ、あなたは・・・・・・!」
何も知らない護衛たちは、初めて見る賛成派の中核に驚きを隠せなかった。
彼らにとっては雲の上の存在であるデューオ・マソナ閣下だ。
「建造物を損壊させ、おまけに彼女に至ってはわしに怪我まで負わせた。十分な罪だな、これは」
デューオはちらっと右手を見せた。
リンディが鉄格子を破った際に、その破片がかすめたらしい。
怪我と言うほど大袈裟なものではなく、わずかに切り傷が覗く程度でしかない。
護衛は油断なくデバイスを構えたが、自ら攻撃をしかけようとはしない。
できなかった。
前後を200機以上のキューブがひしめき、完全な壁を造りだしている。
この状況での交戦は自殺行為だ。
生き残ることは困難だし、リンディを守ることもできない。
「さて、こうなると相応の罰を受けてもらわねばならんな」
”こうなると”の部分がやや強引だが、もともと強硬策をとってきた賛成派は省みることはしない。
場を掌握しているデューオは残忍な恵美を浮かべた。
「まさか、閣下が・・・・・・?」
絶望的状況の中、護衛たちは眼前にいるのがデューオだとまだ信じられないようだ。
局員からすれば彼は穏健で信頼できる人物だった。
それが反対派を平気で抹消する狡猾で野蛮な人間だったとは。
「残念だけどそういうことよ」
リンディは眼を伏せた。
彼女はもう死を覚悟している。
今度こそ、本当に助かる見込みはない。
彼女が悔いているのは、そんな最期の場にこの護衛たちを同行させてしまった自分の迂闊さ。
自分に付き従ったばかりに危険な目に遭わせてしまったことが悔やまれる。
「連行しろ」
デューオの一声で静止していたキューブがくるくると回転すると、通路の一方を空けた。
ゆっくりと移動する数機のキューブ。
処刑場へと誘う案内人だ。
リンディ、護衛が続き、そのやや後ろをデューオが歩む。
「こんな事、今さら言っても何もならないけれど・・・・・・」
歩調をずらし、護衛と並んだリンディはそっと囁いた。
「私のせいであなたたちを巻き込んでしまって・・・・・・ごめんなさい。謝って許されるわけじゃないわ。
今の私には責任のとりようがないけれど、本当に――」
「なにを仰るんですか」
護衛が厳しい口調で返した。
「提督がそんな弱気でどうなさいます? まだ負けたとも終わったとも思いません。戦いましょうよ。
まだ何か、何か道はあるハズです」
「そうですよ。軍隊化を廃案に追い込むまでが戦いです。諦めないでください」
リンディはきわめて優秀な部下が付き添ってくれていることに感謝すべきだ。
状況に悲観するどころか、今もこうして打開する術を考えている。
気持ちは前向きだ。
が、現実は辛辣で、キューブの誘導は円形の建物をぐるりと迂回するコースをとる。
やはり終わった、とリンディは思った。
連行された先は屋外だった。
青色とも灰色ともつかない空が見える。
しかし不思議なことに周囲は冷たい印象を与える建物の壁で囲まれている。
外からでは気づかない、これは円形ではなく円環型の建物だったのだ。
(・・・・・・・・・・・・)
外だというのに内側にいる。
広い閉塞感がかえって恐怖を煽る。
リンディたちはこの広場の中央に立たされた。
もちろん周囲は無表情のキューブに包まれている。
「わしとしてもこのような結果になって残念だが――」
デューオはさほど落胆していない口調で言う。
「我々の大義の妨げとなる者は排除しなくてはならんのでな」
「こういう事をする人に大義があるとは思えませんね」
護衛が精一杯の強がりを言った。
デューオは笑いながら、
「そういえばきみたちには投票権がないな。よって我々の妨げにはならん。そこで・・・・・・どうかね?
賛成派の手伝いをするというのは。約束すればきみたちは無事に解放しよう。考えてもみたまえ。
わざわざリンディ提督のために命を落とすことはないのだぞ」
護衛たちに延命の道を持ちかけた。
人間は直面した死から逃れるためには何でもする。
仲間を、友を、身内を平気で裏切り、欺き、犠牲にする。
デューオが長い人生経験の中で見てきた人間とは、ほとんどがそういう性質を持っていた。
だからこの話には必ず乗ってくる。確信があった。
「お断りします。軍隊化の考えには賛成できません」
しかし確信は裏切られた。
「あなたたち、何言ってるの? 助かるとしたら今の話に乗るしかないのよ?」
と、リンディは焦った口調で言ったが、
「提督を見捨てることはできません」
護衛たちは忠誠心の厚さを示した。
「愚かだ。愚かだぞ。きみたちは無駄死にしたいのかね?」
デューオには護衛たちの判断が理解できなかった。
力と死に対しては絶対に恐怖を抱く人間が、なぜこの状況で気丈に振舞えるのか?
ここで護衛たちが命乞いをしてくれば、力が勝利したことになる。
この構図はそのまま管理局と管理局に敵対する勢力の構図である。
力による抑圧が成功しなければ、局が軍隊化してもその意義が薄まる。
(連中は力には屈しないというのか?)
デューオは考えてみた。
そういうタイプの人間もいる。
力による恐怖をちらつかせれば屈服するのが人間だが、例外もいるのだ。
そういう場合は――。
「では残念だが、ここでお別れだ」
排除するだけだ。
護衛たちが最後の抵抗を試みようとデバイスを握りしめた。
だがその時、意外な人物が介入してきたことでリンディたちの寿命は延びた。
上空から落ちるように降り立ったその少年は、鋭い視線とデバイスをデューオに向けた。
「こんな馬鹿げたことはやめてください、閣下」
変声期にさしかかる頃かと思わせる、少し不自然でしかし力強い男の子の声が静かに響く。
突き出されたデバイスの先端をちらりと見やったデューオは、わずかに目を細めた。
「きみはクロノ君だったな。うむ・・・・・・母親を助けに来たというわけか」
突然の闖入者に彼は表情にこそ出さなかったものの、明らかに狼狽していた。
指示を与えられていないキューブは、想定外の事態に何の対応もできない。
結果、クロノという執務官をみすみすデューオの前まで通してしまった。
「クロノ・・・・・・!」
なぜ来たんだ、という意味の視線を母は子に向けた。
クロノは心配する母を見ずに、
「速やかに人質を解放してください。さもなければ要人拉致および要人傷害罪に問われますよ」
デューオに詰め寄った。
狡猾な老人は一転して不利な状況に立たされたというのに、うすら笑いを浮かべている。
多くのキューブが指示ひとつでクロノを攻撃できる強みがあるからだ。
だがその指示が実行、あるいは指示をする前にクロノが先に動く可能性もある。
この可能性も視野に入れた上でデューオは――。
笑っていた。
「彼女は我々に逆らった罪で死ぬのだよ、クロノ君? もちろん、わしにデバイスを突き付けているきみもな」
彼は静かに言った。
「わしに牙を向けば手厳しい処分を受けることになるぞ? たとえば反逆の罪に問うこともできる」
老人は濁った眼でクロノを見た。
キューブの動作はこの場合、確かに遅いかも知れないがデューオには気になる事柄ではなかった。
「それは脅しですか?」
クロノも負けていない。
デバイスを握る手に力を込めて半歩踏み出す。
「脅し? いやいや、事実を告げたまでだよ。きみくらいの年頃は最も勘違いを起こしやすいからな」
やりとりを静観していたリンディは堪らず、
(相手を挑発しちゃ駄目よ)
とクロノに思念を送ろうとしたが、ここではその能力は封印されてしまう。
結局、目線で訴えるしかないのだがクロノはちょうど背を向けて立っている。
「クロノ君、きみは勇敢だが愚かだな。これでは多勢に無勢だぞ」
デューオの強みはキューブの数にモノを言わせた物量作戦だ。
そう睨んだクロノはやはり真顔のまま、
「そうは思いません」
とキッパリ言った。
瞬間、いくつもの魔力の反応があちこちで現れた。
デューオが見回すと、前に、後ろに、さらには上空にも多くの管理局の魔導師がいる。
最近、急激に知名度を上げてきた2人の少女も特徴的なバリアジャケット姿でこちらを見下ろしている。
「バカな・・・・・・いつの間に・・・・・・」
局員たちはこの位置を特定し、一気に跳躍してきたのだ。
30名近い武装隊に最強と称される魔導師が2人混ざっている。
形勢は逆転し、デューオは狼狽して降服する。
――ハズだった。
(・・・・・・・・・!?)
驚いたのはクロノの方だった。 目の前の老人は顔色ひとつ変えない。
いざとなったら一斉攻撃もあり得る状況の中で、この老人は、
「きみたちの勇気は買おう。正義感についても評価する。しかし・・・・・・」
血気盛んで勇気と無謀を履き違えた彼らに向かって、
「無駄なことだ」
と言って指を小さく振った。
同時にあらゆる方向からキューブの群れが迫ってきた。
キーンという耳障りな電子音が鳴り響く。
”多勢に無勢”
デューオはこの言葉を取り消さなかった。
「くそ・・・・・・!」
らしくない汚い言葉を吐き捨て、クロノはデバイスに命令を送った。
S2Uが淡く光り、直後にデューオを青く輝く円環が取り巻いた。
発動に時間のかからない拘束魔法だ。
デューオさえ捕らえればキューブの動きも封じられると考えたクロノの、最も合理的な作戦である。
・・・・・・しかし相手が悪かった。
デューオ・マソナ閣下は高位の文官であると同時に、優れた魔導師でもあったのだ。
彼はたやすくバインドを振り払うと、指を振ってキューブにクロノを攻撃するよう命じた。
14機のキューブが勢いよく飛び、それぞれが正確にレーザー砲を撃ってくる。
半歩退いてシールドを展開し、クロノはかろうじてこの奇襲を防いだ。
その様子を見ていた局員が上空から急降下し、デューオめがめてデバイスを突きつけた。
「デューオ閣下、あなたの野望もこれまでだ!」
強気のセリフとともに果敢に攻める。
だが彼のデバイスが魔法を発動するより先に、背後から迫った数機のキューブが彼を貫いた。
その様子を見て喜んだデューオは複雑な表情をした後、踵を返して建物内へと引き返した。
「逃げられるッ!!」
上空で見事なシューター捌きを披露していたなのはが、遠目からデューオの後ろ姿を認めた。
すぐさま5発のシューターを発生させ、この惨事の引き金となった老人に狙いをつけた。
彼女の制御は的確だった。
空を埋めるキューブの隙間を巧みにくぐり抜け、しかも速度は全く落とさないまま無防備なデューオに迫る。
「・・・・・・・・・・・・」
デューオは肩越しに振り返ると、高速で接近してくる光弾を睥睨した。
瞬間、シューターは見えない壁にぶつかったように彼の眼前で弾けて消失した。
今度はフェイトが駆けた。
彼女の場合は障害となるキューブを斬り伏せながらの接近だ。
しかしスピードは落ちない。
自分の背丈ほどもあるデバイスを振り抜きながら、フェイトは真っすぐにデューオの元に向かった。
無数のキューブを投入してきた相手の方が圧倒的に有利な状況だ。
ここでデューオを取り逃がせばたちまち消耗戦となり、窮地に追い込まれるのは目に見えている。
そうなる前に。
彼を捕らえる必要があった。
デューオが振り向いたのとフェイトが彼を間合いに捉えたのはほぼ同時だった。
一瞬早く、フェイトがバルディッシュを振り上げる。
彼はそれを他人事のように見つめながら、しかし右手を前に突き出した。
風を斬る音とともに、金色の刃が一閃する。
「さすが高名なフェイト・テスタロッサ君だけあって技のキレが違うな」
掌に発生させた薄紅色のシールドは、バルディッシュによる渾身の一撃を完全に防ぎきっていた。
「わしとしても学ぶところがある」
死んだように輝きの全くない瞳に、フェイトはわずかに委縮した。
だがそれもほんのわずかの間。
すぐにキューブが左右から迫ってきたため、フェイトは素早くデューオから離れ、キューブの攻撃に備える。
「・・・・・・・・・・・・」
何を思ったか、デューオはその場から動かずに戦いを見物することにした。
これはクロノたちにとってチャンスのハズだ。
彼は――この老獪な男はそれを分かっていて、敢えて無防備なまま立ち尽くした。
「動きを止めるな! かく乱するんだ!!」
上空での戦いは熾烈を極めていた。
わすか30余名の局員に対して、キューブの数は300機にまで膨れ上がっている。
冷酷無慈悲な自律兵器は、一度敵だと認めた者に執拗に攻撃をしかける。
戦闘経験豊富な武装隊ですら、この嵐のような攻撃の前にはバリアを維持するだけで精一杯だ。
高速で飛行するキューブを捉えきれない。
双方の放つ光の筋が空を蜘蛛が這わせた糸のように張り巡らされ、その隙間を縫うようにフェイトが駆けた。
デューオ捕獲に失敗したフェイトは、すぐさま後退すると防戦に徹する局員たちの援護に回った。
なのはも同様に、デューオが気になりながらも目の前の敵を倒すことに集中しようとする。
戦況は依然として不利だ。
キューブ単体の能力も決して低いものではない。
レーザー砲の命中精度は高く、局員たちを執拗に攻める。
本体の防御機能が脆弱であることが幸いし、力押しではまず負けることはない。
しかし問題はその数だ。
300機のキューブは、どれだけ戦いが激しくなろうとも常に300機という機数を保っていた。
つまり破壊された分だけ戦場に補充されているのだ。
どこからなのかは分からない。
この円環状の建物のどこかに製造工場があって、そこから吐き出される増援なのかもしれない。
いくつもの桜色のシューターがそれぞれ違う軌道を描いてキューブを焼き払った。
なのはの魔力は強く、そのうえ制御も確かだ。
透明の障壁を張っているキューブも、シューターの一撃で沈めることができる。
「なのは、後ろっ!」
フェイトの声になのははすぐさま振り返り、残しておいたシューターを放つ。
ここでも2人の強さは際立っていた。
10数機のキューブを同時に相手にし、瞬時に殲滅する様は華麗だった。
フェイトは戦場を縦横無尽に駆け抜け、戦斧状のバルディッシュを鋭く突きたてる。
あまりの素早さにキューブはレーザー砲を撃つ暇も与えられなかった。
これに鼓舞されたか、局員たちも普段以上の力を出してキューブ破壊に専念した。
下ではリンディと彼女の護衛が同高度のキューブを相手にしている。
リンディは攻撃の魔法が得意でないとなって、他の局員にまで範囲の及ぶバリアを展開する。
護衛たちも無理な追撃をしようとはせず、あくまでリンディに近いキューブのみを屠っていく。
『”Stinger Ray”』
クロノもまた、精度の高い攻撃を繰り返すことで俊敏な敵を確実に破壊した。
銀色の立方体は常に奇襲と数の多さを武器に攻めてくる。
高速で散開したキューブは必ずどの魔導師かの死角に潜り込む。
十字に亀裂が入り、均等な大きさの8個の立方体となり、その隙間から覗く赤い光がレーザー光となって局員を貫く。
「ぐあぁッ!!」
背中を焼かれ、局員がひとり倒れた。
乱戦のため多くの魔導師は広範囲に及ぶバリアを常時展開しているが、これでは障壁としての効果は弱い。
結果、数で圧倒するキューブの集中砲火にはバリアの用を成さなかった。
「私に任せてください!」
声をあげたのはなのはだ。
高速で飛びまわる敵に対しては、正確な操作によるシューターでの攻撃が効果的だ。
実際、美しく弧を描く桜色の光弾はこの戦いでも何度となく局員を窮地から救った。
肝心のデューオには決定打を与えられなかったものの、主力として活躍していたことは間違いない。
「俺たちに構わず、奴を! デューオだけを狙うんだ!」
叫ぶ局員は初めからこの戦い、デューオを捕らえなければ敗北するものと理解していた。
なのはは言われたとおりにした。
といって窮地に立たされた局員たちを見放したわけではない。
彼女は今も巧みにシューターを操ってキューブを殲滅している。
その最中、なのははレイジングハートを下方のデューオに向けた。
「ディバイン――」
クロノのバインドやフェイトの一撃を容易く退けたところを見ると、相当の力を持っているようである。
なら多少の攻撃で重傷を負うことはないだろう。
デューオの防御能力の高さと、一刻の猶予もない今の状況とが、なのはに強力な一撃を繰り出させた。
「バスターーーーーッッ!!」
狙いも威力も十分だった。
一直線に伸びた光の波動は射線上のキューブを一瞬で灰燼にし、本来の標的である老人の元に達した。
しかしデューオは全く動じない。
どこからか新たに出現したキューブの群れが、彼のすぐ目の前に蟠(わだかま)り、強固な障壁となって守った。
桜色の波動を受けて最前列のキューブが破砕する。
その数センチ後ろで障壁を展開していたキューブもわずかに遅れて粉砕。
さらにその後ろのキューブは0.5秒ほど持ちこたえた後に破壊された。
ディバイン・バスターに分があったのはここまで。
それ以降は勢いを失くし、54機目のキューブを破壊すると同時にその威力を完全に消失させた。
「ふむ、今のはなかなか効いたぞ」
デューオは眼を細めて指を振った。
ただちに失った分のキューブが戦場に補充される。
フェイトが上空高くに駆け上り、すばやくなのはの背後に回り込んだ。
バスター発射後の硬直を狙ってキューブが動く。
フェイトはそれを阻止しようとしたのだ。
遠方から放たれるレーザーを、バルディッシュの金色の刃がはじき返す。
(・・・・・・ッ!!)
今のは危なかった。
タイミングがずれていれば、なのはの背に直撃していたかもしれない。
「あ、ありがと・・・・・・ありがとう、フェイトちゃん」
背後に迫った危機が去るのを感じて、なのはは今さらながら戦慄する。
同時に隙の大きい、無謀な一撃を放ったことを後悔した。
デューオを狙うからには――。
中途半端な攻撃では駄目だ。
威力に乏しくても、確実に彼を捕らえるだけの条件が整っていなくてはならない。
さもなければ今のようにいたずらに力を消耗し、キューブに攻撃の隙を与えるだけだ。
「・・・・・・・・・・・・」
しかし、そんなチャンスは来るのだろうか?
無尽蔵に吐き出される自律兵器を前に、戦う魔導師はあまりに少なすぎる。
「キリがない!!」
クロノが下で叫んだ。
その言葉を聞き、フェイトは感じた。
自分たちは弄ばれているのだ。
容易く戦場にキューブを補充できるのなら――。
なぜそれら全てを吐き出さないのか。
答えはごく簡単に得られる。
敢えてそれをしないのだ。
あのデューオという老獪は、この戦場で両勢力が拮抗するギリギリの位置を心得ているのだ。
持ち分のキューブを全て展開してしまったら、勝負はあっという間に着いてしまう。
反対派がわずかな手勢で健気に抵抗する様を――。
彼は愉しんでいるのだ。
自分たちにとって最も邪魔な存在であるリンディと、彼女に与する愚かな魔導師たちが。
絶望的な状況でそれでも光明を見出すために果敢に戦っている様を。
彼は愉しんでいるのだ。
迫りくるキューブを斬り伏せながら、フェイトはデューオに接近するチャンスを待った。
飄々としているがあの老人、常に自分の周囲に数十機のキューブを停滞させている。
なのはのバスターを防いだのも、ああやって護衛させていたからであろう。
接近は容易ではない。
単独ではどうしても気づかれるし、遠距離からの直射魔法でも先ほどと同様に防がれてしまう。
「なのは」
バルディッシュを構える手に力を込めながら、フェイトはそっと名を呼んだ。
「さっきのバスター、もう一度撃てる?」
ここでは念話は使えない。
フェイトは互いに邪魔にならない距離を保って声をかける。
「うん・・・・・・どうするの?」
なのはが訊いた。
「あいつの注意を引きつけて欲しいんだ。その隙に――」
「分かった」
なのはは最後まで聞かなかったが、フェイトの考えを理解した。
すぐになのははフェイトから離れ、デューオをまっすぐに俯瞰した。
戦況全体を観覧しているデューオと目が合うことはない。
しかし彼は老獪だ。
すでに死角からの攻撃に対して十分に準備している可能性がある。
見下ろしながら、なのははすでにレイジングハートを通して魔力を送り込んでいた。
フェイトは敢えてデューオに近づかないようにし、中空を飛び交うキューブを斬って捨てた。
投票日まで あと16日