悪魔の招待状 ―― 2日目(2) ――
午後12時53分。
出しっぱなしだった朝食を下げ、新しく調理を始めたために用意に30分以上かかった。
メニューは朝と変わらない。
脂っこい料理は時間がかかるし、そもそも誰も食べたがらない。
「まさかそんなものが……」
つかさ、あやのが中心になって準備を進めている間、こなたとみさおが暖炉の隠し通路をみゆきに説明していた。
彼女はこの秘密を知らなかったという。
「正直に言えばこの館には数回しか来ていませんでしたので……」
仮に頻繁に出入りしていても、これにはまず気付かないだろう。
今回のような事態にならなければ煙突がないことも気に留めないに違いない。
「できたよ」
精一杯の笑顔でつかさが言った。
調理に当たらなかった者が中心となって配膳していく。
テーブルに並ぶ8人分のパンもサラダもやや色褪せているように見えた。
「いただきます……」
形だけの挨拶を述べて各々、昼食を口にする。
だがゆたかとみなみは半分も食べないうちに手をおろした。
「ゆーちゃん、無理だと思うけどもう少し食べておいたほうがいいよ。みなみちゃんも」
そう諭すこなたの皿にはサラダが盛りつけられた時とほぼ同じ状態で残っている。
「う、うん……」
ゆたかは指先でパンを千切ってゆっくりと口に運ぶ。
「よくそんなに食べられるわね……」
かがみがジト目でみさおを見ていた。
みさおは既に皿を空にしており、温くなった紅茶を一気に流し込む。
「こんな状況なんだ。食べられる時に食べて栄養つけとかないとな。いざって時に動けなくなるぜ」
先ほどまで深刻な顔つきだった彼女も、食事を前にしていつもの調子を取り戻しているように見えた。
「………………」
だがかがみはそんな彼女にツッコミを入れることはなかった。
それどころか口元を拭うみさおを疑念を孕んだ目で冷やかに見つめていた。
とうてい空腹が満たされる量ではない食事に20分ほどかけ、一同は食堂を後にする。
大人数では却って邪魔になるということで、片付けはかがみ、みゆき、あやの、みなみの4人が引き受けた。
残る4人はやはり談話室に固まる。
かがみとあやのが残飯をひとつの皿に集める。
完食したのはみさおだけで、他は量の差はあるがいくらかを残している。
2人は重ねた食器を厨房に運んだ後、布巾を持って戻ってきた。
「………………」
大きなテーブルを拭くのは2人がかりでも時間のかかる作業だ。
かがみは早々と終わらせようと円を描くように布巾を滑らせる。
「………………」
だがあやのはあの告発文を見上げたまま呆然としていた。
「峰岸、こっち手伝ってよ」
「…………」
「ちょっと――」
と呼びかけたかがみは彼女のただならぬ様子に眉を顰め、布巾を置いて横に立った。
「柊ちゃん…………」
「どうしたのよ?」
「これって誰が書いたのかな…………」
かがみはまだそんなことを言っているのか、という顔で、
「頭のおかしい奴に決まってるじゃない。こんな根も葉もないこと書くなんて」
半ば呆れた様子で即答した。
「私ね……一度だけ知らない人に乱暴されたことがあるの……」
「…………!?」
「委員の仕事で遅くなって、その帰りに……駅の近くまで来た時に後ろから……」
「………………」
「周りに誰もいなかったからそのまま公園に引っ張られて――されたの…………」
「峰岸……それじゃあ……」
「それが姦通だなんて言われたくないよ。裏切りだなんて……でも……。
でも無理やりされたとしても、彼以外の男の人と繋がったことになるのかな……」
あやのは泣いていた。
かがみはそっとその肩を抱く。
「そんなの裏切りでも何でもないじゃない。峰岸が望んでやったことじゃないんでしょ?
立派な犯罪じゃない。無理やりそんな乱暴する奴なんて――――!?」
かがみはハッとなって告発文を見た。
「ねえ、峰岸! そいつなんじゃないの!? 犯人!」
「え…………?」
「だって誰も見てなかったんでしょ? だったらそのこと知ってるのは峰岸とそいつだけじゃない!」
「――――ッ!?」
「それなら辻褄が合うじゃない! 峰岸のこと知ってるのはそいつしか――」
勢い込んでまくし立てたかがみだったが、不意に言葉を切った。
「いや、それだと峰岸の件は知ってても他の人のことまでは分からないじゃない……」
かがみの思いつきは悪くはなかったが、告発は10人全員に向けて行われているのだ。
その強姦魔があやのを含む10人全員を具に調査しない限り、この告発文は書けない。
「ねえ、柊ちゃん……」
悲しみと怒りが混じったような目で、あやのはかがみを見据えた。
「お願い、このこと誰にも言わないで」
平素つかさに似て柔和な彼女が一転、嘆願するようにかがみを見ている。
触れられたくない過去を無責任に自ら曝け出したあやのは、無責任に聞き手に秘匿を迫る。
「言わないわよ。日下部にも」
かがみは、”日下部”という言葉を強調した。
「ありがとう」
あやのは落涙してかがみの袖をぎゅっと掴んだ。
目尻を濡らすあやのは、異性でなくとも守ってあげたいと思うほどにか弱く見える。
「あ、あの……」
いつの間にかみゆきが食堂の入口に立っていた。
その声に2人は弾かれたように振り向く。
あやのはかがみの背に隠れるようにして慌てて涙を拭った。
「ど、ど、どうしたのみゆき? 岩崎さんと厨房にいたんじゃ――?」
しどろもどろになりながら、しかし自然を装うかがみはあまりにも不自然な口調で場を繋ぐ。
みゆきは驚いたように目を見開いた。
「みなみさんはこちらでは…………?」
・
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談話室に飛び込んだ3人は、ソファに座っている人数を数えるといよいよパニックになる。
「岩崎さん、こっちに来なかった!?」
かがみがみさおとこなたの中間あたりに向かって叫んだ。
「ううん、来てないけど――まさか……?」
こなたが立ち上がった。
いちいち言わなくとも事態は呑み込める。
「わ、私とみなみさんで食器を洗っていたのですが……食堂に行くと言って……」
すぐに戻って来ると言い残してみなみは厨房を出たが、それきり行方が分からないという。
「みなみちゃん…………!!」
居た堪れなくなったかゆたかが食堂へ駆けようとする。
その腕をこなたが慌てて掴む。
「待って! ひとりで行動しちゃ危ないって!」
「でも、みなみちゃんが……!!」
いやいやをするようにゆたかが頭を振る。
パティやひよりが殺害された時でも、彼女はここまで取り乱すことはなかった。
それだけ2人の絆が強いことを示しているのだが、そこを慮ってもこなたはなお引き止める。
迂闊な行動がどのような結果を招くか、嫌というほど思い知らされているのだ。
「どこ行くのよ?」
徐に立ち上がったみさおをかがみが制した。
「ちょっと気になることがあってさ」
「……独りで行くつもり?」
「あ、いや……そうだな……誰か付いてきてくれるか?」
みさおはぐるりと視線を巡らせたが誰も何も言わない。
わざわざ人数の少ない方と行動して身を危険に晒したくないのだ。
「私が行くわ」
そう言って立ち上がったのは無二の親友あやのだ。
この2人はいつも一緒にいる。
その点では単独行動にならず、すぐに危険が及ぶようなことはないハズだが、
「……私も行くわ。つかさも一緒に来て」
どこか釈然としない様子のかがみが口を挟む。
「え……わたし?」
不意に名前を呼ばれたつかさは惑った。
「すぐに戻ってくるから」
ハッキリしないつかさを無理やり引きずるようにして、かがみたちは談話室を出て行った。
「ゆーちゃん、もうちょっとだけ待って。皆が戻ってきたら一緒に探そう?」
「うん……」
一応こなたの言い分を理解したらしいゆたかだったが、手を離せば途端にみなみを捜しに
飛び出しそうな雰囲気である。
こなたはゆたかの袖を掴む手に力を込めた。
「申し訳ありません……私が引き止めていれば……」
2人の間柄をある程度察しているみゆきは、自然とゆたかに向かって頭を下げていた。
「みゆきさんの所為じゃないって」
こなたはそう言うのがやっとだった。
責任を感じているらしい彼女は、真っ青な顔で立ち尽くしている。
ゆたかのように捜しに行こうともせず、かといって思案を巡らせる風でもなく、
才女らしくない狼狽振りを見せるばかりだった。
程なくして4人が戻ってきた。
誰の顔も暗い。
何か手がかりはあったか、と訊きかけたこなただったが言葉が出てこない。
先を促してもどうも不吉なことしか言いそうにない雰囲気だった。
「増えてたわ……」
搾り出すようにかがみが言った。
談話室で待機していた3人は、その短すぎる報告で多くを理解した。
数秒置いてあやのが、ホールの壁に3本目の赤い線が引かれていることを告げた。
それが指し示すものは――。
恐らく死のサインであろうと誰もが確信する。
不意にこなたの手が引っ張られた。
「ゆーちゃんッ!!」
ショックに耐えきれずゆたかが気を失って倒れた。
「ゆーちゃん! しっかりして!」
あやのがしたように肩を揺するが、血が通っていないみたいに真っ白な顔のゆたかは一向に気付く気配がない。
こなたはじっとその儚げな顔を見つめた。
「部屋に連れて行ったほうがいいんじゃないかしら。ここじゃ風邪をひくかもしれないわ」
あやのが困ったように呟いた。
談話室を仕切る扉はなく、夏とはいえ隙間風に晒されていては病弱なゆたかはすぐに体調を崩してしまう。
「風邪で済むなら……」
こなたは殆ど唇を動かさずに吐いたが、誰にも聞こえなかったようだ。
「とにかくおチビちゃんを部屋に運んで、それからクールちゃんを探そうぜ」
この前向きな少女は談話室に漂う陰鬱な空気を吹き飛ばすように声を張った。
が、それに水を差したのは、
「捜すって言ってもみさちゃんも見たでしょ?」
意外にもあやのだった。
不用意に動くのは危険だと言いたかったらしい。
「………………」
みさおは反駁できない。
彼女も赤い線の意味を理解しているのだ。
「ね、ねえ、それ見間違いじゃないの? ほんとは2本しかなくて――」
「間違いないわよ。3本目が……ホールの壁に」
一縷の望みをかけたこなたの問いは、かがみによってあっさり打ち砕かれた。
「あの、小早川さんはどうしましょう? このままソファに寝かせているわけにも……」
こなたたちは話し合った結果、ゆたかを彼女の部屋に運ぶことにした。
もちろん彼女の体質に配慮してのことだ。
「あ、あった」
ゆたかはポケットの中に部屋の鍵を入れていた。
ここから彼女の部屋までは大した距離ではないが、念のため全員でゆたかをベッドに寝かせ、
施錠するところまでを確認する。
責任は自分にあるというみゆきに鍵を預ける。
「ふぅ…………」
ドアに背をあずけてこなたが息を吐く。
パティの死から各々は緊張しっぱなしで、精神の休まる時がなかった。
ゆたかの気絶はある意味小休止的な役割を果たし、一同は疲れ切った顔で互いを見る。
「あのクールちゃんがな…………」
みさおは拳を握り締めた。
ビ−チバレーでみなみの運動能力の高さは証明されている。
その彼女でさえ今となっては3人目の犠牲者となったことに一同は青ざめた。
「きっと犯人はあの時、岩崎ちゃんに顔を見られたかも知れないって思ったのよ。それで……」
「………………」
頻りに残念がるみさおと、自責の念に駆られている様子のみゆき。
かがみはつかさを含めて全員が視界に収まるようにやや距離をとった。
「………………」
彼女の意識はゆたかの部屋のドアノブと、みゆき、みさおの三点を行ったり来たりしていた。
「ねえ、みゆき」
「はい?」
「それ……ゆたかちゃんの部屋の鍵、こなたに持たせてくれない?」
突然の申し出に俄かにみゆきの表情が曇る。
「――どうしてですか?」
「別に意味はないけどね、従姉妹でしょ? だったらみゆきよりこなたが持ってるほうがいいと思うけど」
「……ですがこうなったのは私の責任ですし……責任をもって私が預かります」
「最初に部屋割り決めた時にプライバシーがどうとかって言ってたじゃない」
口調こそいつもと変わらないが、かがみの一言一言は氷のように冷たい印象を与えた。
みゆきが眼鏡をかけなおす。
「ま、まさか……かがみさん……私を疑っていらっしゃるのでは――」
「みゆきさんがそんな事するわけないじゃん」
こなたが口を挟んだ。
「分かってるわよ、そんなこと。私が言いたいのは別に鍵を持つのはみゆきでなくてもいいってことよ。
ゆたかちゃんを一番知ってるのはこなたなんだから――あんたが持つのが筋じゃないの?」
かがみがちらりとこなたを見た。
突き刺すような視線に彼女はたじろぎ、
「わ、私は別にどっちでもいいよ」
曖昧に返す。
実際のところ、鍵を持つのは誰でもいい。
ゆたかの安全を考えればよりしっかりした人物――みゆきあたりが保管するのが適切だろう。
だがそれではゆたかに用がある際にみゆきを通さなければならず煩わしさが残る。
「分かりました。かがみさんがそれで納得されるのでしたら――」
遺恨を残したくはない、と言ってみゆきは鍵を取り出す。
その瞬間を待っていたように、
「ストップ! やっぱりつかさに持たせて!」
かがみは要求を訂正した。
「え、なんで??」
驚いたのはもちろん、つかさ本人だ。
この流れで鍵がこなた以外の手に渡るなどあり得ない。
「私はここに来てからずっとつかさと一緒だったわ。だから少なくともつかさだけは犯人じゃないって分かってる」
「…………」
「…………」
6人は一様にかがみを見つめた。
この言い草ではまるでこの中に殺人鬼がいるみたいだ。
「でも田村さんを殺したのは……みゆきが100%そうじゃないとは言い切れないでしょ?」
「なんですってっ!?」
みゆきが顔を真っ赤にして問い返した。
理不尽な疑惑に憤っているだけかと思われた彼女は、彷徨う瞳に悲しみの色を滲ませている。
「おい柊、滅多なこと言うなよ」
「岩崎さんを気絶させて田村さんを殺し、その後で自分も気を失った振りくらいできるんじゃない?」
みさおが嗜めたが、かがみはその程度では翻さない。
「ちょっと待てよ。いくらなんでもそれはないだろ」
「そうだよ。なんでみゆきさんがそんなこと……」
2人は揃って反駁した。
が、強引とはいえ一応推理するかがみとは対照的に、こなたたちの反論は主に心情面に訴えるだけのもので論理的には弱い。
「高良ちゃんが犯人だとしたら、何としても部屋の鍵を泉ちゃんに渡すのを拒むハズじゃない?」
この中でいくらか冷静なあやのはみゆき擁護の糸口を巧みに衝いた。
「でもさっき、泉ちゃんに渡そうとしたよね? それを遮ってひーちゃんに持たせる意味はないと思うけど?」
「あれはどっちかって言うと、ゆたかちゃんを守るためよ」
「は…………?」
「それがなんでゆーちゃんを守ることになるのさ?」
従姉妹を庇護するのは自分だ、と言わんばかりにこなたが食ってかかった。
その勢いにもかがみはやはり動じない。
「ハッキリ言うけど、こなたが犯人じゃないとも言い切れないのよ?」
「なに……?」
「3人グループに分かれて捜索って話になった時、あんたたちは館の外を調べてたのよね?
実はみゆきたちにこっそり近づいて……っていう可能性もなくはないわ」
「私たちがやったって言うの!?」
その推理を正しいとするなら、みさおとあやのも共謀したということになる。
自分が疑われているとなっては、さすがに温和なあやのも声を荒らげてしまう。
「ムチャクチャだ……」
みさおが吐き捨てるように言った。
「じゃあクールちゃんが見た人影はどう説明するんだ?」
彼女にしてはかなり鋭い切り口だった。
これに納得できる答えをしない限り、かがみの推理はただの妄想に成り果てる。
「………………」
追及に対し、かがみは沈黙を返す。
だがやがて観念したように、
「――今のは冗談よ」
澄ました顔でさらりと答えた。
「じょ、冗談って!?」
安堵するどころか、こなたたちは明らかに怒りを露にした。
「あんなの冗談で済ませられる話じゃ――!?」
かがみが人差し指を立てて唇に当てた。
「さっきのは”振り”よ。もし犯人がどこかで私たちを監視してるんだとしたら、
仲間割れしてるのを見て何かアクションを起こすかもしれないでしょ?」
「…………」
「誰にも気付かれずに3人も殺すような奴よ? 隠れて見てるとしか思えないわ。
でもそういう奴だって絶対に隙ができると思うのよ」
つまり犯人にとって都合の良い状況を作り出し、ミスを誘おうというものだ。
「それにしたって……」
「冗談キツイぜ、柊……それなら前もって言ってくれてもいいじゃん」
「ビックリしたよ〜。私、本当にお姉ちゃんがみんなを疑ってるんだと思っちゃった」
「日下部もつかさも演技できるタイプじゃないでしょ? 事前に言ったら作戦の意味がなくなるじゃない」
妹までも騙したかがみの双眸はさして満足した風でもなく、むしろさらに警戒の色を強めた。
「さっきの話だけどさ……ゆーちゃんの部屋の鍵……」
「あ、うん?」
「別に誰が持っていてもいいと思うけど、私、ゆーちゃんと一緒にいるよ」
パティの死を考えればいくら施錠したからといって、ゆたかだけ部屋に寝かせておくのは危険だ。
彼女の部屋は1階だから窓を割って強引に侵入するという手もある。
「こういう状況ですし……泉さんだけでは危険かと……」
3人でいるところを襲われたみゆきは、たとえ固まっていても油断できないと言った。
「でも全員でっていうわけにも……」
7人が入るには室内は狭い。
話し合いの末、つかさとみゆきが部屋に残ることに決まった。
「じゃあ私たちは――食堂にいるわね」
あやのが言い、かがみは眉を潜めて彼女を見た。
「なんでわざわざあそこに?」
「またあの道を使われないためよ。私たちが見張ってれば犯人も迂闊なことはできないと思うし」
「なるほどね」
雰囲気こそつかさに似ているが、頭の回転ではみゆきに近い彼女の冷静さは大きな武器だ。
結局、鍵はこなたが持つことになった。
施錠されたのを確かめ、かがみたちは重い足取りで食堂に向かう。
・
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食堂にやって来た3人は並んで椅子に腰をおろした。
位置的に常に暖炉と告発文が視界に入る。
「さっきはああ言ったけど……」
かがみが声を潜めた。
「正直、ちょっとだけみゆきのこと疑ってるのよ」
2人は驚いてかがみを見た。
「なんでそう思うんだ?」
「あれよ」
かがみが暖炉を指さした。
「初めて来た峰岸が気付くのに、なんで持ち主が知らないのよ。おかしいと思わない?」
「それは…………」
「田村さんの件にしても、さっき私が言ったとおりにできるハズよ。岩崎さんは……そうね……。
気絶させる時に気付かれたかも知れないって思ったからかしら」
「ちょ、ちょっと待って、柊ちゃん」
あやのがやや焦ったように遮った。
「なんで高良ちゃんがそんな事しなくちゃいけないの?」
「そうだぜ。っていうか友だちだろ? そんな風に疑うなよ」
「………………」
かがみは黙りこんでしまった。
彼女の推理は実行不可能ではないが証拠がない。
それにあやのが諭したように、みゆきには動機もない。
もちろん動機など誰にもないハズだ。
「…………」
しかしどこか釈然としない様子のかがみはふいっと目を逸らした。
20分ほどが経った。
惨たらしい現場を立て続けに見せられ、3人よれば姦しいハズの彼女たちは殆ど言葉を交わさない。
時計の音がやけに大きく響く。
彼女たちが想い起こしているのは全く同一のもの。
無惨に殺害された田村ひよりの最期だ。
目を開けていても閉じていても、フラッシュバックする林の中。
理不尽な死を遂げた後輩の姿だ。
決して親しかったわけではないが、それでも一緒に遊び、同じ館で寝泊まりもした間柄だ。
ただの後輩として切り捨てられるほど彼女たちは非情ではない。
「なあ――」
「ねえ――」
「あのさ……」
3人がほぼ同時に呼びかけた。
しばし視線だけでやりとりした彼女たちは小さく笑う。
「考えてることは同じみたいね」
立ち上がった3人はまず、ゆたかの部屋に向かう。
ノックをすると、すぐにこなたが顔を出してきた。
「どしたの?」
「ちょっとは確認してから開けなさいよ。犯人だったらどうするのよ」
かがみが呆れたように言った。
「ま、いいわ。それより私たち、ちょっと外に出てくるから」
「どこ行くの?」
「絵描きちゃんを運ぶんだ」
横からみさおが顔を覗かせた。
「絵描き……ひよりん?」
「そう。あのまま放っておくのはかわいそうだからな」
「…………」
”かわいそう”という想いだけで、あの血まみれの遺体を運び出すという神経がこなたには理解できなかった。
共通の趣味を持った可愛い後輩も、あのような姿になっては目を背けてしまう。
「お姉ちゃんたちだけで行くの?」
部屋の奥で聞いていたつかさが入口のほうに歩いてきた。
「できれば多い方がいいけど……そっちのこともあるでしょ?」
「ね、ねえ……分かるけど……やめたほうがいいんじゃないかなぁ……」
ひよりの遺体を思い出したつかさは身震いした。
彼女もまた、どす黒い血液を溢れださせたひよりを抱え上げて館内に運びたくはないと思っている。
その遺体をどこに安置するのかという問題もある。
「それに私たち、警察じゃないんだよ? 勝手なことしないほうが――」
「だけど田村ちゃんが気の毒よ。あんなところで独りで……」
既にこの世の者ではない存在を、”独り”と数えてよいものかあやのは少しだけ悩んでから訴えた。
「もう死んでいる人に気の毒も何もありませんよ!」
つかさの陰に隠れるようにしてみゆきがヒステリックに叫んだ。
「もし行かれるなら……かがみさんたちだけでお願いします……私はもう……もう…………」
招いた客が次々と殺害され、みゆきの精神はいよいよ正常ではなくなってきているようだ。
もともと色白だった顔はもはや蒼に近く、遠慮がちな話し方は淑やかなのではなく怯えによるものだった。
「分かったわ。30分以内で戻ってくるから」
犠牲者が相次ぐ中、彼女たちは二手以上に分かれて行動する際には、
誰と、何処へ、何をしに、いつ戻るかを伝達してからと決めていた。
携帯電話が使えない以上、離れ離れになった時の伝達手段はない。
従ってあらかじめ互いの行動を確認し合っておく必要がある。
”30分”という時間制限を再度強調し、3人は粗末な武器を手に館を出た。
午後1時44分。
午前に比べて陽は高いが、同時に発生した雲に遮られてか陽射しはそう強くはなかった。
自分たちが草を踏む音が時折、遥か後方から聞こえるような錯覚に3人は何度も振り返る。
捜索時と状況は似ている。
メンバーは違うが3人組であったし、こうして役に立つか分からない武器を携えている点も同じだ。
しかしこうして林を歩く際の心構えには些かの違いがあるのではないだろうか。
かがみたちは常に八方に目を光らせているが、みゆきたちは背後への警戒を怠ったのではないだろうか。
3人もいる、という事実が慢心に繋がった可能性はゼロではない。
「足の速い奴なのかな?」
不意にみさおが問うた。
「なんで?」
「だってさ、クールちゃんが最初に見た時にちょっと時間はあったけど、すぐに追いかけたんだぜ?」
「暖炉を使ったんだから追いつけるわけないわよ」
「じゃあ絵描きちゃんを……殺した後はどうだ?」
「それは足の速さは関係ないわ。私たちが心配になって出てくるのをどこかに隠れて待っていたのよ」
「で、その隙に館に舞い戻って天井の線を引いてまたどこかに……ってことでしょ」
「うーん……」
代わる代わるに疑問に答えるかがみとあやの。
その推論は筋が通っている。
だがみさおはまだ納得していないらしく、腕を組んで唸っている。
「でも岩崎ちゃんの件は分からないわ」
あやのが同調するように顎に手を当てた。
「パトリシアちゃんの時は皆が寝ていたから、そんなに難しくなかったと思う。
でも田村ちゃんの場合はすぐ傍に2人もいたのに犯行に及んでるわ」
現場を思い出してしまったのか、あやのは伏し目がちに言った。
「岩崎ちゃんは――皆がある程度固まっている状態だった……全員が館の中にいたのよ」
躊躇なく人を殺める犯人は残虐で、回を重ねるごとにその行動が大胆になっている事が分かる。
それでいてまともに目撃されていない点から犯人は剽悍なのではないか、とあやのは推理した。
「誰かに見つかるの覚悟でやってるとしか思えないわよね」
「暖炉みたいなのが他にもあるんじゃないか?」
あの館には秘密がいくつもあって、犯人はそれらを巧みに利用しているに違いないとみさおは踏んだ。
でなければここまで鮮やかに――しかも驚くほど短時間で――3人も殺害できるハズがない。
あれこれと推理を重ねるかがみたちの足がぴたりと止まった。
その顔が驚愕に彩られるのは、現実を直視して数秒経ってからのことである。
「いない…………」
あやのは呟いたが、厳密にはこの表現は誤りである。
正しくは”ない”と言うべきだっただろう。
周囲に比べてやや黒く見える大木の中ほどには、槍状の武器で穿たれた窪みがある。
根元の土は夥しい量の血液を吸って赤みを帯びている。
明らかに人が殺された痕跡があるのだが、肝心のあるハズのものがここにはなかった。
「ここで間違いないよな……?」
ひよりの遺体はなかった。
彼女を刺し貫いていた槍ごと、まるで初めから存在していなかったみたいに消え失せていた。
風が吹き、土と血の臭いが混ざりきらずにかがみたちの鼻腔を衝いた。
確かにひよりはここで殺害されたのだった。
「なによ……なにがどうなってるのよッ!!」
かがみが叫んだ。
「ワケが分からない……この島はどうなってんのよ!!」
「柊ちゃん、落ち着いて……」
「落ち着いてるわよ!!」
あやのが宥めるが、一度感情を昂ぶらせたかがみを冷静にさせるのは容易ではない。
今も小刻みに揺れ動く瞳で大木を睥睨している。
「………………」
彼女なりに何か考えているのか、みさおは血の痕を凝視している。
錯乱しているかがみと、それを抑えようとするあやのは彼女に気付かない。
遺体が消えた。
この尋常ならざる事態に誰もが正常ではいられない。
「みさちゃん、柊ちゃん……戻りましょ」
「あ、ああ……」
「ここにいても仕方ないわ」
なぜか後ろ髪を引かれる想いのみさおは、強張った表情のあやのの静かな気迫に押され渋々引き返すことにした。
ショックは大きかったが、それが緊張を緩めてよい理由にはならない。
3人はむしろ来る時よりもさらに辺りに注意を払った。
強く武器を握り締める手にじっとり汗を掻いて不愉快だったが、今はそんなことに不満を抱いている場合ではない。
誰かに見られているような気がして、あやのは何度も振り返った。
「ちょっと気になることがあるんだけどさ――」
みさおが小さな声で言った。
「…………」
だが自分から切り出しておいて、その先を言おうとしない。
「何なのよ?」
かがみがイラついた調子で訊いた。
「あ、いや、やっぱいいや……」
「気になるじゃない。言いなさいよ」
「…………笑うなよ?」
と前置きした上で、みさおは少し間を空けてから、
「あのアメリカちゃん、本当に殺されたのかな……?」
ほとんど聞き取れない声で呟く。
「はい?」
かがみがすぐに理解できなかったのは内容ではなく呼称のほうだ。
みさおはいつもC組以外の生徒には妙な渾名をつける。
人間関係に垣根を作りたがらない彼女らしい行為だが、おかげでそれがパトリシアを示す呼称だと気付くのに、
ちょっとした時間を要してしまった。
「自殺ってこと?」
あやのは言ってから恐ろしい単語を口にした自分に気付く。
「そうじゃなくてさ……その……死んだフリっていうか」
「まさか」
かがみが呆れたように斬って捨てた。
が、みさおが思いのほか真剣な顔つきだったのでそう思う理由を問うてみることにした。
しかし彼女は、何となく、という以外には明答しなかった。
「いや、あり得なくはないわね」
つい先ほど突飛な発想を否定したかがみだったが、すぐにその可能性があることに気付いた。
「それなら密室だったのも納得いくわ。戸締りしてから刺されたフリすればいいんだから」
「ちょっと待って。それは無理があるんじゃないかしら」
あやのが割って入った。
「気を失った真似くらいはできると思うけど、殺されたフリなんて普通できないんじゃない?」
かがみがみさおを支持し、あやのが異を唱えるという珍しい構図になった。
「できなくてもいいのよ」
「…………?」
「私たち、誰もパトリシアさんが本当に死んでるか確認してないんだから。
見たままナイフで刺されて死んだように錯覚してたのかもしれないわよ?」
「それでも脈でもとられたらすぐに分かるじゃない」
「脇の下にタオルか何か挟めば少しくらい脈は止められるわ」
「柊……なんでそんなこと知ってるんだ?」
「違う! 前にテレビで観たのよ!」
自分が疑われていると思ったのか、かがみがムキになって反駁した。
「さすがに長時間は無理だし、頚動脈や鼓動までは止められないと思うけど」
慌ててそう付け足すかがみをみさおは一瞬、怪訝な目で見たがすぐに表情を戻した。
パティは本当に死んだのか。
言いだしたみさおは肯定否定に分かれる2人のやりとりに口を挟めず、成り行きを見守る。
玄関扉まで数歩という距離まで来た時、あやのが鋭い目つきで館を睨みつけた。
漠然と違和感を覚えたらしい彼女は、しかしそれが何であるかを突き止める前に、
「峰岸、早く」
かがみに急かされたために慌てて中に入った。
・
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・
・
・
午後2時7分。
3人が館に入った時、こなたたちは談話室にいた。
ゆたかの体調が良くなったらしい。
みなみを喪ったショックはもちろん今だに引きずっているが、少なくとも錯乱状態には陥らないだろう、
と判断したのは意外にもこなたでなくみゆきだった。
「ひよりんが……?」
遺体が消えたという事実は4人を大いに驚かせた。
もちろんそれをやったのは犯人に違いないのだが、その意図がまるで分からない。
「それで……ちょっと私たちで話してたんだけど……」
珍しくかがみにしては遠慮がちに切り出した。
「ええっ!?」
予想もしなかった話につかさが思わず声を上げた。
「そんなのあるわけ――」
「またあの部屋に……?」
こなたとみゆきの声が被った。
「もしかしたらって話よ」
ゆたかの手前、こなたはその可能性を頭から否定したがっているようだが、
みゆきの方はわざわざ遺体のある部屋へ行くこと自体を嫌がっているようだ。
「………………」
みさおたちの考えが正しいかどうかを確かめるのは簡単だ。
パティの部屋へ行き、中を見るだけでいい。
警察のようにあちこちを調べまわるのもなければ、探偵ごっこをするわけでもない。
それで気が済むのなら、とみゆきもこなたも思い始めているが、ひとつ問題が出てきた。
また3人と4人に分かれるのか?
これまでの犯行からできるだけ複数で行動したほうが安全である事は言うまでもない。
だが3人という数がもはや”安全を確保できる複数”ではないことも分かっている。
ひよりの遺体を運びに、とかがみたちは外に出たが彼女たちはたまたま運が良かっただけで、
下手を打てばCグループと同じ目に遭っていたおそれもあるのだ。
となればちょっとした行動もこの7人全員でとらなければならない。
「ゆーちゃん、ついて来るだけでいいから。部屋の中は見なくていいからね」
「う、うん……平気、だよ……」
迷惑ばかりかけてはいられない。
ゆたかは足にしっかりと力を入れて立ち上がり、かがみたちのすぐ後ろを歩いた。
「…………」
一同は空気が重くなるのを感じた。
このドア一枚隔てた向こうに遺体があるからだ、と誰もが心の中で思った。
「く、日下部が言い出したんだから……あんたが開けてよ」
いつもの強気はどこへ行ったのか、かがみがみさおの背中を軽く押した。
「わ、私が……!?」
「パトリシアさんは生きてる、って言ったのはあんたじゃないの」
「そうだけどさあ……」
「ほら、早く」
「みゅう〜……」
結局、押し切られてみさおがドアノブに手をかける。
ちゃんと後ろに6人がいることを確認してからノブを捻る。
「あ…………?」
「な、なに?」
そのまま開けるのかと思われたみさおは一旦手を離し、
「なあ、眼鏡ちゃん。この部屋、鍵かけてなかったか?」
引きつった表情でみゆきに問うた。
「へ? い、いえ……あの時は動転していましたから施錠したかどうかは……」
「そっか……そうだよな……」
「…………?」
深呼吸したみさおは今度こそノブを回し、ゆっくりとドアを開けた。
途端、噎(む)せ返るほどの血の臭いが湿った空気とともに流れ出てくる。
パティの姿はどこにもなかった。
ただ彼女が倒れていた床には、凝固し変色した血痕がある。
「まさかパトリシアさんが……?」
犯人ではないか、とかがみが呟く。
「で、でもそんなことする理由がないよ」
こなたがゆたかの視界を遮るようにして言った。
「そんなの誰にもないわよ」
みゆきはドアの縁を掴んで震えている。
眼鏡の奥に恐怖の感情が読み取れる彼女は、しかし高良みゆきという人物が本来持っている冷静さを取り戻し、
「凶器も……なくなっています……」
誰にともなく言った。
血濡れのナイフは確かにパティの傍にあったハズだが、今は彼女もろとも消え失せている。
「バイアスというものもあります……私たち、パトリシアさんが殺されたという先入観を持っていたのかもしれません」
「じゃあ田村さんはどうなるの?」
涙目でつかさが訊ねた。
みゆきはしばし無言になったが、
「田村さんは間違いなく殺害されていました。思い出したくはありませんが――あれで生きているとは思えません。
でもパトリシアさんの場合はいま考えてみれば、日下部が仰ったように疑問が残ります……」
やがて観念したようにその問いに答える。
その違いは遺体の損傷にある、とみゆきは怯えた様子で説明した。
パティもひよりも腹部を刺された点では同じだ。
しかしひよりの場合は現に腹部を刺し貫かれて木に磔(はりつけ)にされていたのに対し、
パティは腹部から血を流していたものの、凶器と思われるナイフは床に落ちていた。
「つまり足元にナイフが落ちてたってだけで、私たちは勝手にそれで刺されたって思いこんでたってことか?」
「そうです。それがバイアスなんです。私たちはいつもモノを辻褄の合うように無理にこじつけてしまうんです。
冷静に……冷静になりましょう……。もしかしたらこの血だって偽物かもしれません」
「私はみゆきの考えが正しいと思うわ。回りくどいやり方だけど、それだと説明がつくじゃない」
かがみが弾んだ声で言った。
先ほどまでの狼狽ぶりから一転、今の彼女は妙に活き活きとしている。
「そうやって死んだと思わせて、私たちに見つからないように田村さんと岩崎さんを手にかけたのよ!」
どうだ、と言わんばかりにかがみが全員の顔を見回す。
みゆきとみさおはその線もあると頷いたが、こなたたちは判断を先送りにした。
「とにかく――」
眼鏡をかけなおしたみゆきが通る声で言った。
「パトリシアさんがどう出るかは分かりませんが、少なくともバラバラにならなければ手は出せないハズです」
単純だが防御手段としては最も効果的と思われる案に全員が頷いた。
午後3時19分。
遅めの昼食をとった7人は例のごとく談話室に集まっていた。
大勢が頭を交えるこの空間は本来の役割を果たしていない。
誰の顔も暗く、進んで会話をしようという者がいないのだ。
陰鬱な雰囲気に耐えきれずこなたが無理にアニメの話題を振ってみるが、
かがみが気のない返事をし、あやのが心底から困ったような顔で苦笑するとそこで会話は途切れてしまう。
「ねえ……」
かがみが小さく息を吐いてから言った。
「犯人がパトリシアさんだって分かってるなら、そんなにビクビクすることないんじゃない?」
「どうしてですか?」
おずおずと訊いたのはゆたかだ。
「そりゃ背も高いし体格もいいかもしれないけど、相手は女の子よ? そこまで恐がる必要ないと思うけど」
「で、ですが田村さんをあんな風にしたんですよ? それに誰にも気付かれずにみなみさんまで……。
言うべきではないと思いますが……恐ろしいんです……人間のする事とは思えません……」
「やっぱりアメリカ人だからなのかな? 差別はよくないけど」
付け足すようにつかさも同調する。
こなたは会話に加わらずに、ゆたかに意識を向けていた。
同じ1年生だから受ける衝撃は自分たちよりも大きいに違いない。
「みさちゃん、みさちゃん」
かがみと向い合わせに座っていたあやのが、隣にいるみさおに耳打ちした。
「どした?」
雰囲気を察してみさおも小声で答える。
「気付いたことがあるんだけど……また私が何か見つけたってなったら疑われるかしら?」
「いや、大丈夫なんじゃね? みんなアメリカちゃんだって思ってるみたいだし」
「みさちゃんはどうなの?」
「正直、半信半疑って感じだな。証拠もないからハッキリ分からないし」
「うん……」
「心配なら私が気が付いたことにすればいいって」
「でも……ううん、やっぱり私が言うわ――」
あやのが立ち上がりかけた時、
「パトリシアさんかどうかなんて分かんないよ。だいたい証拠がないじゃん」
みゆきたちがほぼパティの犯行だと決めてかかっているところに、冷水を浴びせるようにこなたが言った。
「それはそうですが……」
「いなくなってるのがその証拠じゃないの。田村さんみたいに犯人が運び去ったって可能性もあるけど、
それやるならわざわざナイフを置いてたのはおかしいでしょ? あれはみゆきが言うようにナイフで刺されたって
私たちに思わせるためよ。そうに決まってるわ」
みゆきとかがみはパティが犯人であることを疑っていないようである。
「それって憶測でしょ? そうかもしれないけど違うかもしれないじゃん。簡単に決めつけるのはよくないよ」
こなたはちらりとゆたかを見て言った。
ゆたかの為にもここはパティが犯人ではないと主張しておく必要があった。
「あの、ちょっといいかな?」
不穏な空気を吹き飛ばすようにあやのが切り出した。
「気が付いたことがあるんだけど」
その言葉に全員の視線が集中した。
捜索時、暖炉の秘密を見つけたのは彼女だから、ここはまた有力な手掛かりを掴んだのかもしれないと期待が持たれた。
「な、何に……ですか……?」
額にじっとりと汗を浮かべたみゆきが問う。
あやのの目はハッキリと彼女を捉えていたからだ。
「その前にちょっと外に出て確かめたいことがあるんだけど……」
1人は危険だからと躊躇する素振りを見せる。
みさおを除いて5人は互いに顔を見合わせた。
あやのの気付いた何かが手がかりに繋がるのなら、もっと言えば自分たちの安全の為になるならと、
一同は視線だけで了承し合う。
彼女の言う”外”とは館から遠く離れた場所という意味ではなく、”エントランスの外”という意味だった。
十数メートルほど距離を置いて立つこなたたちは、ただ漫然と豪華な別荘を眺めている。
「ほら、あれ……」
あやのが東棟の端を指さした。
「ヘンなところなんて何もないよ?」
こなたが言ったが、それこそがおかしいとあやのは言う。
「突き当たりは物置でしょ? あそこには窓は無かったわ」
等間隔で並んだ窓は棟の端まで続いている。
位置からしてそれが突き当たりの部屋の窓であることは明白だ。
「それに物置だけちょっと狭く感じなかった?」
そういえば、とゆたかが首を傾げた。
「じゃ、じゃあ……暖炉みたいにあの物置にも何かあるってこと?」
「たぶん。でないとあの窓だけ余るもの」
強い口調で推理を展開するあやのは、この考えに自信を持っているようだった。
見るだけ見てみようとこなたが言いだし、一丸となって物置へと移動する。
「ここで追い詰めるハズだったのよね」
かがみが息を漏らした。
後になって見つかった隠し通路を使って犯人は逃げたとの結論を得ているが、そうでなければ
みなみの見た人影は最終的にはこの物置で見つかるハズだった。
「パトリシアさんが隠れてるかもしれないわよ?」
かがみはまだパティを疑っている。
代表してこなたが開けることになった。
誰かが飛び出して来ても持ち前の運動能力で避けてみせると彼女は意気込んだ。
……が、身構えてドアを押し開くも何者かが潜んでいる気配はなかった。
じめじめしていてカビ臭い室内は一様に不快感を抱かせる。
「確かに狭いね……」
勇気を出してこなたが一歩踏み出す。
「窓は……やっぱりないよ」
かがみにぴったりと張り付きながら、つかさが確認するように言った。
「峰岸先輩、あの本棚――」
袖を下に引っ張られたあやのが振り返ると、ゆたかが前を指さしていた。
正面の壁に本棚が置かれてある。
天井に届くそれには表題すらも読み取れないほど埃を被った書籍がぎっしりと収められている。
本棚そのものには怪しいところはない。
「不自然な置き方に見えます」
あやのを支持するようにゆたかが付け足した。
1架しかない本棚は物置の角ではなく、端から60センチほどずれた位置にあった。
そこに気付けば試さない手はない。
みさおとかがみ、2人がかりで本棚を押す。
「ん……?」
しかし見た目に反して軽い。
底面にローラーがついているのか、一度動き出した本棚は手を添えるだけで難なくスライドした。
「あっ!」
その場にいた全員が声をあげた。
本棚の向こうにはあやのが予想したとおり、もうひとつの部屋があった。
奥にありながら室内が見通せるのは、もちろん窓から差し込む光のおかげだ。
「すごい…………」
ゆたかが呟いた。
まるで忍者屋敷のように次から次に現れる秘密に対してではなく、そうした秘密を目聡く見つけるあやのの
鋭い観察力に対する感嘆だ。
もちろん暖炉にしても物置にしても誰もが見落としてしまうような些細なところに気付くあやのは、
成績優秀なかがみやみゆきを凌駕する観察力の持ち主であろう。
しかし彼女の発見は一同を驚かせるものではあっても、事態を進展させるものではなかった。
「何もない、ね……」
こなたが辺りを見回して言った。
隠し部屋には言うとおり、何もなかった。
あるのはせいぜい隅々に溜まる埃くらいで本の1冊、棚のひとつもない。
8畳ほどのがらんとした部屋があるだけ、という雰囲気は妙に不気味だった。
「でもなんでこんな作りにしたんだろうな」
腕を組んでみさおが唸った。
「設計したのは祖父だと聞いていますが、確かに意図が読み取れませんね」
珍しくしかめっ面のみゆきは、もの珍しそうに部屋を見回してから窓際に立った。
「何かを隠すつもりで作ったのか……それとも別の――」
不自然なところで言葉を切ったみゆきは、目を細めて窓の外を見た。
「ゆきちゃん、どうしたの?」
すっかり過敏になっているつかさは、あやのとは違った意味で注意深くなっている。
「いえ、あの木の陰――何か動いたような気がしたのですが……」
きっと気のせいですよね、といってみゆきは引きつった笑みを浮かべた。
しかし離れた場所に立っていたかがみはそれをしっかりと聞いていて、
「どのあたり?」
みゆきの横で揃って窓の外を眺める。
「あれです――あの赤っぽい大きな木……」
かがみも鋭い目つきで凝視するが別段おかしなところはない。
「――戻るか」
ここに居ても得られるものは何もない。
通路に続き隠し部屋を見つけ出したのは、あやのの大きな手柄だ。
が、それらを見つけたところで何の解決にも結びついていない。
せっかくの発見だったが、汚れ具合や本棚周辺の床の様子から自分たちの前にこの部屋に出入りした形跡がないと分かると、
一同は憮然とした様子で物置を後にした。
午後7時48分。
7人は遅めの夕食にありついた。
例によって調理はあやの、つかさ、みゆきが担当し、その他は配膳や卓の手入れを行う。
だがこの役割分担の中にちょっとした変化があった。
まず3人、4人に分かれた彼女たちが常に互いの顔が見える位置にいること。
みなみの件を考えればたとえ一瞬でも独りになるのは危険だ。
特に注意しなければならないのは厨房と食堂を行き来する時だ。
体力や運動能力に秀でたこなたとみさおが配膳を引き受けたのは、この2室を往復する必要があるためだ。
厨房の3人は性格的にやや頼りないが、場所が場所だけに武器になるものはいくらでもある。
そしてもうひとつの大きな変化――。
「何かあると思ったんだけどな」
隠し部屋の存在に気付いたものの、進展に貢献できなかったあやのを気遣うようにみさおが言った。
呑気に構える彼女は死と隣り合わせの危機を感じていないかのようにころころと表情を変えた。
「でも峰岸さん、よくあんなとこに気付けたよね」
みさおの思惑を汲んでかこなたも同調する。
ゆたか、みゆきも表情は暗いものの何とか間を持たせようと会話に参加する。
だが柊姉妹は殆んど喋らなかった。
厳密に言えば会話に加わろうとしたつかさを、かがみが制するように割り込んで流れを断ち切ってきたのだ。
「…………」
もともと陰鬱な雰囲気の中、誰もがかがみの変化に気付いた。
気まずい雰囲気の夕餉。
「つかさが作ったのはどれ?」
かがみはわざと皆に聞こえるように訊ねた。
「え? えっと……このスープと――」
妙な質問に首を傾げつつ、つかさは記憶を辿って自分が作った料理を示していく。
それを聞き終えたかがみは、つかさだけが関わった物のみを食す。
「かがみ……それ、どういうこと……?」
みゆきやあやのの手が加わった料理を卓の端によけるかがみに、こなたは怪訝そうな顔で訊ねた。
しかし彼女は何も答えない。
妹だけが関与した料理はスープと粗末なサラダ。
とても空腹を満たせるような量ではなかったが、かがみは他の品には目もくれない。
「かがみさん?」
さすがにその様子のおかしさにみゆきも訝る。
全員の目が自分に向けられていることに気付いたかがみは小さく息を漏らした。
「私はここに来てからずっとつかさと一緒だったから、私もつかさもお互いに犯人じゃないって分かってる」
「…………!!」
「…………!!」
その言葉にそれまでどこか警戒していた様子のこなたたちの顔が緩んだ。
彼女の台詞には聞き覚えがあるのだ。
そしてこの発言の意図も分かっているのだ。
「大丈夫よ、小早川ちゃん」
あやのが囁いた。
唯一、事情の呑み込めないゆたかに、
「これは柊ちゃんの演技なの。私たちが疑い合っているフリをして犯人を油断させる作戦だから」
「そ、そうなんですか……びっくりしました……」
あやのは優しい口調で説明する。
前もって言っておかなければ、体の弱い彼女はこれがショックで寝込んでしまうかもしれない。
「違うわよ、峰岸」
「えっ……?」
「今度は本当よ」
「なに……どういう意味……?」
「だからあんたたちは信用できないって言ってるのよ」
キッパリ言い捨てる彼女の目は猜疑心に憑依されているようだった。
鋭い双眸はまず高良みゆきに向けられた。
「暖炉の隠し通路も物置の隠し部屋も知らなかったって言ってたわよね? それって本当なの?」
「な――ッッ!?」
「この別荘、そもそもみゆきのとこでしょ? なんで今日来たばかりの峰岸が気付いてみゆきが知らないのよ」
「ちょ、ちょっと待って下さい!! それではまるで私が――!!」
「怪しいじゃない。知ってて知らないフリするくらい簡単よ。それに……」
「それに……なんですか…………?」
みゆきの顔が恐怖と怒りに引き攣った。
指先を小刻みに震えさせて唇を噛んでいる。
「田村さん殺しはみゆきにしかできないのよ?」
バン! と卓に両手をついてみゆきが立ち上がった。
「いい加減にしてください! なんで私がよく知りもしない田村さんをころ……殺す必要があるんですかッ!?」
「へえ、じゃあよく知ってたら殺すのね?」
「柊ちゃん、いくらなんでも言い過ぎよ! 演技にしても悪質だわ!」
みゆきに代わってあやのが反駁した。
大和撫子と評して差し支えない彼女は、男を魅了する美顔にハッキリと憤りの念を浮き上がらせている。
かがみはちらっとあやのを見やる。
「みゆきが疑われて安心してるように見えるけど?」
「…………ッ!?」
「仮にみゆきが潔白だったら次に怪しいのは峰岸なのよ? 分かってる?」
「なんでそうなるんだよ?」
みさおが敵意を含んだ目でかがみを睨みつけた。
「暖炉だの物置だの、さも今見つけたみたいに振る舞ってる可能性もあるってことよ」
「お、お姉ちゃんっ!」
見境なく疑ってかかる姉を、つかさが額に汗を浮かべて止めにかかった。
「ゆきちゃんやあやちゃんがあんな事するわけないよ!」
だが彼女の攻勢はその程度の諌止では抑えられない。
矛先は険しい顔のみさおとこなたにも向けられた。
「峰岸がそうだとしたらこなたと日下部も疑わしいわ」
「はあっ!?」
「ちょっ――!!」
2人は揃って絶句した。
「かがみさん! あなたは――」
相手を選ばず噛みつくかがみの行動は、一同の結束を引き裂く以外の効果を齎さない。
力を合わせて生き延びようという時に猜疑心を植え付ける行為は誰にも理解できなかったが、
すっかり平常心を失っている彼女たちは感情を剥き出しにして抗う。
「Aグループ……島の中ほどを捜索してたのに急に館に戻ってきたわよね」
「そ、それは峰岸さんが気が付いたことがあるからって――」
「きっかり1時間後にホールに集合って約束し合ったのに不可解な行動だと思わない?」
かがみは挑発的な物言いでゆたかを見た。
「え、それ、は…………」
覇気に圧されてゆたかはどうにも返答できなかった。
「島を捜索しようって言いだしたのは日下部だったわね。まああの時はまだ私も犯人がうろついてると思ってたから賛成したけど……。
あのグループ分けってどうやって決めたんだっけ?」
「………………」
射竦めるような目にこなたは無意識に顔をそむけた。
彼女はしかしここはかがみの攻勢を断つべきだと考えたのか、
「グループに偏りがないように、って。仮にどのグループが犯人と鉢合わせになっても抵抗できるようにだよ」
語気を強めて言う。
「そうよ。確かにそう。クジなんかじゃなくて話し合いでそう決めたのよね?」
過去の事実をひとつひとつ確かめるようにかがみが問う。
「で、私とつかさとゆたかちゃんは不安があるってことで館近辺の捜索をしたわ。でもこれが偶然だとは思えないのよ」
「…………」
「私たちBグループを館に縛り付けておけば、あとはCグループだけに注意すればいいんだから」
「お姉ちゃん、もうやめてよ! そんなことあるわけないよ!」
かがみの論は裏付けのない推理を重ねただけの妄想だ。
そういう可能性があるというだけで納得させられるだけの根拠がない。
「私が見つけなければよかったのよね」
拗ねるような口調であやのが言った。
「たまたま気付いた所為で私だけじゃなくて、みさちゃんや泉ちゃんまで疑われるくらいなら黙ってた方がよかったわね」
「峰岸さんは何も悪くないって! かがみ、いい加減にしてよ!」
「そうだよ。お姉ちゃん、おかしいよ!」
みすみす敵を作るかがみの行為に、こなたとつかさが口を揃えて諌める。
「ちょっと待ってください――かがみさん、矛盾していますよ」
物腰優雅なお嬢様は一度嫌疑をかけられたためか、やや攻撃的な口調になる。
「パトリシアさんの件をお忘れではありませんか? 日下部さんが疑問に思われて皆で確かめましたよね。
私は……こういう事は言いたくありませんがパトリシアさんなのではないかと思っています。
それはかがみさんも同じだったハズです。だからこそ団結しようと決めたではありませんか。
冷静になってください! 私たちが疑い合うことに何の意味もないんです!」
前半は責めるように、後半はせがむようにまくし立てる。
パティの話を出されたかがみは勢いを挫かれた。
彼女も間違いなくパティを犯人だとする主張に賛成していたのだ。
「私はパトリシアさんじゃないと思います」
おずおずとゆたかが言った。
「……何故ですか?」
みゆきが不愉快そうに訊いた。
ここで”パティ=犯人”という共通認識を構築しておけば仲違いせずに済む。
それをわざわざ混ぜ返すような発言に、みゆきは冷たい視線を向ける。
「パトリシアさんがそんな事するとは思えません……」
「ゆーちゃん……」
純真な人間なら誰もが思いつく意見に、こなたは気遣うような視線でゆたかを見つめた。
それに、と彼女はさらに付け足す。
「いなくなってるから犯人だっていうなら……みなみちゃんも疑われるから……」
「…………ッ!!」
「…………ッ!!」
消え入りそうな彼女の一言は、彼女を除く全員を震撼させた。
厭でも忘れられない、パティとひよりの死の所為で意識の外においてしまった事がある。
――岩崎みなみだ。
彼女の場合は殺害されたのではなく、拉致あるいは行方不明という見方もある。
「じゃ、じゃあ2人は共犯なのよ! だいたいあの状況で岩崎さんがいなくなるのって不自然じゃない。それしか考え――」
「かがみっ!!」
食堂全体を震わせるようなこなたの号(さけ)びに、皆はびくりとなって彼女を見た。
「いい加減にしてよ。団結しなきゃ私たちもやられるんだよ? 疑り合ってどうするのさ!?」
「…………」
「ゆーちゃんの顔、見てよ。パトリシアさんの事もみなみちゃんの事も信じてるんだよ。
疑心暗鬼になるのは勝手だけどそのせいで皆がバラバラになるんだよ?」
「………………」
普段見せないこなたの一面に、かがみは毒気を抜かれたように立ち尽くした。
パティに疑いを向けていたみゆきもばつ悪そうに俯いている。
「お姉ちゃん……」
つかさが不安げにかがみを見上げた。
「…………ッッ!!」
一度は落ち着きを取り戻しかけたものの、感情的になっている彼女は言われた相手がこなただったこともあってか、
再び疑念と憎悪に満ちた目で席を立った。
「え? あ……お、お姉ちゃんっ!」
つかさの手をとって強引に引っ張り出そうとする。
「ど、どこ行くんだよ!?」
「自分の部屋よ! それが一番安全でしょ!? 私たち、迎えが来るまで出ないつもりだから!」
「待ってください! 一緒にいたほうが安全です!」
「イヤよっ! あんたたちも自分の部屋に篭ってたほうがいいんじゃないの?」
最後に冷たい視線を向けたかがみは、困惑するつかさの腕を掴んで食堂を出て行った。
乱暴に扉が閉じられると、食堂は途端に重苦しい空気に包まれる。
「なに考えてんだ」
吐き捨てるようにみさおが呟いた。
彼女の向かいではすっかり怯えた様子のゆたかに、こなたが何事か囁いている。
「かがみさんのお気持ち、分からないでもありません」
長嘆息したみゆきはコップの水を一気に飲み干した。
「こんな状態では疑心暗鬼になるのも仕方ないと思います」
「だよ、ね……それにかがみ、妹想いだし――」
ゆたかの頭を撫でながらこなたも後押しする。
「それは分かるけどさ……疑われたほうはどうなるんだよ……」
みさおは悔しそうな顔をしてあやのに目を向ける。
肝胆相照らす仲の幼馴染みは呆けたように天井を仰いでいて、その様子からは彼女が何を考えているのかは窺い知れない。
「とにかく先ほども言いましたが、これ以上はバラバラにならないことです。決して1人で行動しないでください。
何かあっても必ず2人以上――できれば3人……いえ全員で行動すべきだと思います」
この顔触れでは3人で行動した場合、必然的に残りは2人組となる。
そこに気付いたみゆきは何度も言葉を訂正した。
・
・
・
・
・
午後8時11分。
現状、当然とも言えるみゆきの提案に従い、5人は常に揃って行動する。
今回は役割分担など関係なしに全員が食器を片付け、全員が洗い物をする。
ちょっとした部屋移動にもぞろぞろと連れ立つ様は滑稽だったが、この方法でしか身を守ることはできない。
移動時のポジションにも気を遣う。
前列をみゆきとこなた、後ろはみさおが固めることであやの、ゆたかを守る。
「談話室にいたほうがいいと思います」
というゆたかの言葉で5人は適当にソファに腰をおろす。
こういう時、テレビが無いと重い空気はさらに重くなる。
中身のないバラエティ番組でも流しておけば、それだけで緊張は解れるハズなのだ。
「………………」
この場を支配しているのは沈黙。
3人の犠牲が出ている、という空気が彼女たちの口を固くしていた。
「みなさん……」
俯いていた彼女たちは、あまりに小さなその呼びかけが誰から発せられたものかすぐには分からなかった。
それを発したみゆき自身も同じようにうな垂れていたからだ。
「申し訳ありません……」
「…………?」
こなたはみゆきが眼鏡を外しているのに気付いた。
「私が……私が皆さんをお誘いしたばかりに……こんな……」
固く握り締めた拳を震わせて、彼女は大粒の涙をこぼした。
「高良ちゃんは何も悪くないわ」
横にいたあやのが弱々しい口調で慰撫する。
「そうだぜ。眼鏡ちゃんは私たちを楽しませようって誘ってくれたんだろ?」
「ですが……ですがそのせいで皆さんを――」
「そんなこと言うなよ。今はどうやって明後日まで生き延びるか考えるのが先だぜ」
「みさきち、いいこと言うじゃん。私もそう思うよ」
4人は代わる代わるに言葉をかけるが、みゆきは自分を責めるのをやめなかった。
全てのキッカケを作ったのは私だと自分を罵り続けている。
一度ネガティヴな思考に陥ってしまえば、そこから這い出るのは容易ではない。
誰しもがそれを経験しているからこそ、逆に前向きな言葉でみゆきを元気づけようとする。
「あの……今晩はどうするんですか……?」
負の連鎖を断ち切るようにゆたかが言った。
現実的な問題である。
1人につき1部屋が充てられているが、このままでは就寝時は単独行動していることになる。
何としてでも団結し、互いに身を守らなければならない彼女たちにとっては避けたい状況だ。
「ベッドを動かすわけにはいきませんし……」
館とはいえ客室はそう広くはなく、人数分のベッドを集めるのも無理がある。
「じゃあ2、3で分かれるのは――不安だよね、やっぱり」
「そうよね……」
誰も妙案が思い浮かばず鬱々としているところへ、
「じゃあもうここしかねーじゃん」
やや面倒くさそうにみさおが言った。
これは彼女のアイデアというより消去法で最後に残った方法である。
「ソファをベッド代わりにすればいいんだよ。それにここなら見通しもいいし」
「それはそうだけど……」
みさおはそう言うが、長テーブルを囲むソファは4脚しかない。
「私は地べたでいいから。眼鏡ちゃん、部屋から掛け布団持って来てもいいだろ?」
「え? え、ええ、それは構いませんが…………」
困惑するみゆきはこの案に乗り気ではないようだ。
が、他に全員が集まって一夜を過ごす方法はなく、やがて彼女も首を縦に振る。
取り敢えず人数分の掛け布団を用意することになり、5人は連れ立ってそれぞれの部屋に向かう。
重厚なベッドとセットになっている割に布団は薄くて軽い。
「では後は私の分ですね」
4人分の掛け布団をソファに置き、こなたたちは管理人室へ移動する。
「これは……!?」
ドアを開けた瞬間、みゆきはあるものに目を留めて息を呑んだ。
キーボックスが開いていた。
何者かが侵入し鷲掴みにして奪っていったのだろう。
フックに残っていた鍵は7個ほどだった。
「1階の鍵がほとんどないわ」
あやのが言った。
残った鍵にはどれも2階の部屋のシールが貼られている。
となれば犯人は1階のほぼ全ての部屋に自由に出入りできる、ということになる。
「朝は確かに閉まっていました」
みゆきが確認するように呟くが、もはやその記憶に意味はない。
犯人が何度か内部に入っているのはこれまでの出来事から明らかなのだ。
「………………」
みゆきはキーボックスをしっかり閉めて鍵をかけると、手早く自分の布団をとって談話室に引き返した。
「とりあえずこれで揃ったね」
ソファ上に集められた5人分の布団を見てこなたが言った。
人数が合わないため少なくとも1人はソファを使えないが、優先的にゆたかにソファを譲ることが全員の中で決まっていた。
ゆたかは遠慮して何度も断ったが、唯一の後輩であることや体調面などを理由に説得され甘んじることになった。
「すみません……」
「気にすんなって――じゃあ決まりだな」
みさおが手を打った。
「私はそのへんに適当に寝るから」
あぶれた1人は自分でいい、邪魔にならないように直接床に横になると言ったみさおに、
「みさきちだけそうさせるワケにはいかないって」
すぐさま待ったをかけたのは、意外にもあやのではなくこなただった。
「んなこと言ったって4個しかないんだからしょうがないだろ。どこで寝ても同じじゃん」
「じゃあ私が代わるよ」
「いや、いいってヴぁ」
「でも…………」
などと押し問答が続いたが結局、この話は有耶無耶になってしまった。
午後9時7分。
寝るには少し早い時間である。
こなたたちは今日一日で起こった凄惨な事件による極度の疲労から強い眠気を催していたが、
同時に姿の見えない殺人鬼に狙われているという恐怖が睡魔を吹き飛ばす。
「固まっていれば大丈夫だよね?」
不安感を誤魔化すようにこなたが呟く。
「絶対――とは言い切れませんが……」
今のところはこうするしかない、とみゆきは重ねて言った。
「柊ちゃんたち、大丈夫かな?」
「ん……?」
みさおが一瞬、怪訝そうな顔であやのを見た。
「だってひーちゃんと2人だけだし」
「ああ……」
かがみなら犯人が現れても抵抗できるだろうが、つかさでは心許ない。
部屋に篭った2人はドアの鍵をかけるくらいしか防御策を持ち得ないのだ。
ただし防衛面の不安は談話室にも同様にある。
玄関ホールと廊下に繋がるこの部屋には明確な仕切りがない。
したがって施錠するドアも存在しないのである。
「なんか落ち着かないね……」
ゆたかがそっとこなたに囁いたが、静寂に包まれる談話室では小声は本来の目的を果たさない。
「何か淹れてきましょうか? ココアでも――」
それを聞いていたみゆきがそっと腰を浮かす。
「駄目よ、1人で行動しちゃ危ないわ」
みゆきが厨房に行きかけたのをあやのが制した。
「あ、いえ、いいんです! ごめんなさい」
自分の不用意な発言のせいで気を遣わせてしまったのだと思ったか、ゆたかは慌てて2人を止める。
が、淑女みゆきは本音か建て前か、
「私もちょうど何か飲みたいと思っていたところでしたので……」
力のない笑みを浮かべてふらりと立ち上がる。
その後をやはり頼りなげな足どりであやのが追う。
「余計なこと……言っちゃったかな……」
2人が去ってからゆたかがポツリとこぼした。
こなたは無言で彼女の頭を撫でた。
「落ち着かないのはみんな同じだって。むしろおチビちゃんに感謝だな」
「え? どうしてですか?」
「おチビちゃんのおかげで2人とも席を立つキッカケを得たようなもんだしさ。
人間って……他の動物もそうだけどジッとしてるのって結構ストレス溜まるんだぜ?
不安とか心配事があるとついソワソワするだろ? そういう経験ないか?」
「あ、あります! そういえばそうですよね」
「あれってさ、無意識のうちに体を動かして疲労物質を取り除こうとしてるんだよ。
長時間座ってたら背伸びしたくなったり、首を回したくなったりするのも同じなんだ。
運動ってやり過ぎると疲れるだけだけど、例えば軽く腕を振るってだけでも健康にはいいんだぜ。
特にこういう時はな――ストレスが溜まるから……」
言いながらみさおはゆたかの前に立つ。
「ちょっと両手だしてみ?」
言われるままに両手を突き出す。
みさおはそのか細い腕を軽く掴んでやや上に引っ張った。
「んん…………あっ?」
「な? たったこれだけで肩が楽になった感じしないか?」
「は、はい! それになんだか体も軽くなったような……」
「そういうもんなんだって」
みさおが屈託なく笑った。
相手が年下だからか、男っぽい口調で話すものの、ゆたかに対するそれは普段より若干柔らかい。
「あ、あの日下部先輩……ありがとうございます」
ゆたかは赤面して言った。
「みさきち、よくそんなの知ってるね」
「昔、先輩に言われたこと思い出してさ。あん時はちょうど私も今のおチビちゃんみたいな状態でさ。それでいろいろ気にかけてくれたんだよ」
「その先輩って男の人?」
「ああ、けっこう速かったんだよ。そういや中学の時はずっとその人の背中ばっかり追いかけてたな。結局、勝てずじまいだったけどさ」
みさおが遠い目をして言った。
思い出を語る彼女の目は憂いを帯びている。
「その人はどうしたの?」
そう問うこなたの目は逆に輝いており、色恋沙汰に興味のある普通の女子高生のそれと同じだった。
「……亡くなったよ、去年。病気でな」
「ごめん――」
「いいって」
和みかけた空気が俄かに重くなる。
ため息をひとつついたみさおは、ソファにもたれて天井を眺めた。
もうこの話題に触れるのはよそう、とその仕草が語っている。
こなたもゆたかもばつ悪そうに視線を下に向けた。
「お待たせしました」
銀製のトレイにカップを乗せて2人が戻ってきた。
ゆらゆらと湯気が立ち昇っている。
「ホットココアのほうが良いと思いまして。これでホッとできればいいのですが……」
慣れない洒落はみゆきなりの気遣いのようだ。
こなたたちは高良みゆきが持つイメージとのギャップに噴き出した。
「いただきます……」
昨日まで10個必要だったカップは今や7個で足りてしまう。
こなたたちはそれぞれに自分のカップを手に取った。
「柊ちゃんたちにも持って行くわ」
すぐにとって返し、2人はホールの方へと消えた。
その後ろ姿を見送ったこなたはある事に気付いて、視線を横に向ける。
先ほどの話が尾を引いているらしいみさおは、心ここにあらずといった様子でカップに口をつけている。
「ねえ、みさきち」
「ん?」
「さっき何で峰岸さんと一緒に行かなかったの?」
「………………」
彼女は自然な所作でさらにココアを飲む。
こなたは答えを待った。
特に無視するような質問ではなく、それに答えないのは却って不自然だ。
「疑われたくないからな。私もあやのも」
「えっ……?」
どういうことか、と訊きなおそうとしたところに2人が戻ってきた。
かがみたちにココアを届けたハズが、みゆきの持っているトレイには2つのカップが残ったままだった。
「なんで?」
「それが…………」
「柊ちゃんたち、飲みたくないって。喉が渇いたら自分たちで用意するからって」
言い難そうにしているみゆきに代わってあやのが答えた。
「なにそれ? まさか私たちが毒を入れてるとか疑ってるんじゃないよね?」
「さあ……ですがあの時のかがみさんの様子からすれば……」
そう思われている可能性はある、とみゆきが言った。
「柊だってそこまで思ってないだろ。ただ、さっきあそこまで言い切ったから引っ込みがつかないだけなんじゃね?」
「だといいのですが……」
「そのうちひょっこり降りて来るかもよ」
みさおはなんとか取り繕おうとするが、みゆきの表情は晴れない。
「とりあえず貰おうよ。せっかく温かいの淹れてもらったんだしさ」
言うなりこなたが手本を見せるように一口含んだ。
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午後10時5分。
ココアの作用もあってか、こなたたちはいくらか気分を落ち着けた。
目まぐるしく過ぎた一日に疲れたゆたかはソファをベッド代わりに寝息を立てている。
本来もてなす役のみゆきも背もたれのある側を向いて既に夢を見ているようだ。
「……私たちも寝よっか?」
眠そうな目でこなたが言った。
みさお、あやのは殆ど気力だけで起きていたがそろそろ限界が近い。
「うん……」
あやのの声に元気がないのはただ眠いからだけではない。
意識を失うことへの恐怖。
視覚も聴覚も失う瞬間が堪らなく怖いのだ。
知覚できない時間が流れるのが恐ろしいのだ。
「あやの、辛そうだぜ? いいからもう休めよ」
「でも…………」
もうひとつの気がかりはみさおである。
残りのソファは2脚。
こなたとあやのが使えば、みさおは彼女が言うように床で寝ることになる。
それを避けたいあやのは眠るまいとするが、心身の疲れはピークに達している。
「みさちゃんはどうするの……?」
「私はもうちょっと起きてる。何かあったら困るしな」
みさおが不吉な事を言った。
「な、なにかって……!?」
こなたが額に汗を浮かべた。
「さあ……」
「さあって……」
こういう時のお決まりのセリフだ、と言ってみさおは笑ったが状況が状況だけに2人は笑えない。
何気なく吐いたその一言のお陰で再び不安が押し寄せてくる。
「私のことは気にすんなって」
明らかに空元気である。
精神的にも肉体的にもタフなのはみさおのほうだ。
だが現実離れした凄惨な事件が繰り返されている現状、そうした違いは意味を持たない。
「交代で見張るってのはどう?」
互いに譲らない2人を見て、こなたが提案した。
「見張る?」
「そ、1時間ずつ交代で。最初はみさきちで次が私。で、またみさきちで次が私。
それならみさきちもソファで寝られるでしょ?」
「なるほどな……お、ちょうどいいのがあるじゃん」
談話室の隅に目を向けたみさおが言った。
彼女が指差した先には木組みの椅子が置いてある。
「見張り役はこれ使うってことで」
「ちょ、ちょっと待って。それなら私もやるわ」
2人だけに負担をかけるわけにはいかない、とあやのが口を挟む。
凛とした、しかし弱々しい口調はとても見張りが務まるような体ではない。
「でも峰岸さん、疲れてるみたいだし……」
「それならみさちゃんや泉ちゃんだって同じでしょ」
「う……まあそうだけど……」
「いやさ、うちらは体力あるほうだし」
「そんなの理由にならないわ。こんな時だもん、皆で協力し合わなくちゃ」
自身も憔悴しているというのに、あやのは頑として譲らない。
「分かった。じゃあ3人で交代な」
何度かの押し問答の末にこなたたちが折れた恰好となる。
順番はみさお→こなた→あやの……となった。
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みさおは粗末な椅子にそっと腰をおろす。
この位置なら談話室全体が見通せる上に背後は壁で守られる。
「…………」
見張り役を一番に引き受けた彼女は油断なく室内を見渡す。
仮に犯人が堂々と入ってきても、動くのはみさおが先だろう。
この中で最も体力に自信のある彼女は、その時に備えてかぐっと拳を握り締めた。
10分ほどが経った時、
「みさきち……こっちこっち……」
不意に小声でこなたが手招きした。
寝ていたハズがいつの間にかソファの端に座っている。
「ん?」
何かあったのか、とみさおが緊張した面持ちでこなたに近づいた。
だが異常はない。
「目、覚めちまったか。やっぱ寝られねえよな」
こなたは普段どおりの眠そうな目をしている。
これでは本当に眠いのかどうかは見た目には分からない。
「いや、ずっと起きてたよ。ネトゲやってたら徹夜なんてしょっちゅうだし」
「ふーん……」
ネトゲに興味無さそうなみさおは適当に相槌を打つ。
「――峰岸さんは……よく寝てるみたいだね」
「今日はいろいろあったからな……」
「だね。みさきちも疲れてるだろうから早く寝たほうがいいよ」
みさおは怪訝な顔でこなたを見る。
「交代で見張りやるって言ったのチビッ子だろ? まだ10分くらいしか経ってないじゃん。
それに次なんだから今のうちに寝ておけよ」
そう言ってみさおは元の見張り用の椅子に戻ろうとする。
が、その手をこなたが掴んだ。
「あれ、ウソなんだ」
「は……?」
言葉の意味が分からずみさおは目を白黒させた。
「見張りっていうのはウソなんだ」
「ウソって? 交代で見張りやるつもりなかったってことか?」
「うん」
「…………? なんでわざわざそんなウソつく必要があるんだ?」
嘘言には悪意のあるものとないものとがある。
こなたの様子からすぐに後者であると悟ったみさおは、しかしその意図を測りかねた。
「だってそうしないと峰岸さん、休めそうにないし――」
「…………ッ!!」
「みさきちだけソファがないこと、峰岸さん、すごく気にしてたからさ。
交代で見張りやるって言えば納得するかなって」
「チビッ子……」
ぐいっと腕を引っ張られ、みさおはこなたの横に腰をおろした。
「峰岸さん、自分だけソファで寝てみさきちが寝られないのが嫌だったんだろうね。
まあ、私もあんまり気持ちいいもんじゃないけどね。なんていうか落ち着かないし」
「あ、ああ……」
「ちょっと狭いけど縁のところもクッションになってるから枕代わりにはなるでしょ」
完全に身を横たえるならソファ1脚につき1人が限界だが、
座ったままの姿勢から縁を枕代わりに凭れるようにすれば2人が寝るスペースを確保できる。
みさおは驚いたようにこなたを見つめた。
飄々としてマイペースなオタクは実は気が回るらしい。
「サンキュな。あやのの事、気遣ってくれて」
みさおが苦笑混じりに言ったが、
「私も同じだよ」
それを待っていたかのようにこなたがすぐに返した。
「ゆーちゃんの体調のこと、一番気にかけてくれたのみさきちだし。それにさっきだって元気づけてくれたじゃん」
「ああ、あれか。おチビちゃん、あんま丈夫な方じゃないんだろ? ああやってリラックスさせたほうがいいと思ってさ」
「お陰でゆーちゃん、ちょっと元気出たみたい。だから……ありがとね」
「へぇ〜〜」
みさおがニヤニヤしてこなたを見た。
「チビッ子ってけっこう従姉妹想いなんだな。ちょっと意外だぜ」
「妹同然だからね〜」
悠然と答えたこなたの顔は少しだけ赤い。
その後、2人は不安を紛らせるために他愛のない会話を続けたが、不意に強烈な睡魔に襲われどちらからともなく深い眠りに落ちた。